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定住者既得権と移動者に対するマイルドな差別問題〜徳田剛「「移動社会」の特徴とコロナ禍によるその変質」

去る2023年は、5月に新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけが5類に変わり、まちづくりにおいても様々な対面を伴う行事ごとが再開するなど、コロナ禍の終わりを感じさせる一年だった。

コロナ禍においては、人々の移動の抑制が奨励された。そうした状況で様々な社会関係が変質を余儀なくされ、大小さまざまな不便が生じた。

ではなぜ移動の抑制が不便につながったかというと、そもそも前提として、私たちの社会が「移動」に強く依存しているからだ、と言える。

こじみた状況を踏まえて地域社会学的に解説したのが、徳田剛「「移動社会」の特徴とコロナ禍によるその変質」地域社会学会年報第35集 2023である。

この問題を考える上で、筆者はJ・アーリの提唱する「移動論的転回(モビリティ・ターン)」を参照する。

アーリは、本来、社会科学が注目する労働、産業、移民、社会運動などの構造はいずれも移動パターンに規定さえており、そこを見るべきだと指摘する。一方で、既存の社会科学は「移動(モビリティ)」を軽視しがちであったと批判する。例えば、大規模な人口移動を経験した都市を対象とした初期シカゴ学派の研究でも、移動によって生じた心理的に距離を持った人々が近接している状態を「社会的に解体した望ましくないもの」としてとらえてきたという。それゆえ、社会学者の間では、移動を伴ったよそ者が占める社会を常態とみなすことは例外的でしかなかった。(PP8ー9)

日本においても江戸期のように、人の移動が制限されていた時代は、定住者に対して例外的な、よそ者は取るに足らない存在とみなされていたと言われている。(P7)

それくらい、移動者というのは定住者に比べて軽視されてきたというわけである。

しかし良く知られるように、現代では移動が日常化している。これに伴って様々な社会集団も構成や編成を変えつつある。とするなら、移動人口の存在を前提とした地域社会の運営や持続可能性を構想する必要があるはずである。(P7)

こうした、移動を前提とした生活をエリオットとアーリは「モバイルな生活(mobile lives)」と呼ぶ。(P10)

「モバイルな生活」とは、様々なインフラの発達による、移動の高速化(より早く)、遠隔化(より遠くへ)、頻繁化(よりたくさん)といった特徴がある。そしてこの移動の高速化、遠隔化、頻繁化によって生じた移動時間(on the move)を、通信技術と高度化した情報端末の普及によって埋め合わせている。

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