「集まる」という力について〜都市というものは権力によって作られるし、また、人々は権力にジョインするために都市に集まる、という話。
これまで私たちは、様々な問題を「集める」という方法で解決するということを行ってきました。人を集めて何かをする、というのは、パワフルかつイージーな手段だったからです。しかし、疫病の流行は、この「集める」という方法を一定難しくしたように思います。そのように、問題の解決に「集める」という手段を安易に選べない状況を、僕はこれまで「非集」と呼んで考察してきました。
非集化した社会は、「集めることで有利になる人々」にとってはディストピアだったでしょうけど、一方で「いやいや集まらされる人々」にとってははからずも訪れたユートピアだったように僕には思えます。だから、この疫病騒ぎが落ち着いてくるタイミングで「元通り集めたい勢力」と「もう集まらされたくない勢力」との間で、これからの社会の形をめぐる政治闘争が始まるだろうと予見してきました。
それにしても、なぜ私たちは、集めたがるのでしょう。あるいは、集まらされることを拒むのでしょう。そもそも集まるとはなんなのか。以前はこんなことを書いたりもしていました。
そんなヒントを得たいなと思って、色々と本を読んだのですが、今回読んだのはこちらの本で。
本書は、都市の形成を、「権力」というキーワードを使って説明するものです。ここでいう権力っていうのは、ウェーバーの定義のよるもので「人の意思を曲げてでも強制できる力」のことです。例えばあなたが税金をいくら払いたくないといっても、脱税をすれば犯罪者扱いされて罰を受けたりします。そう考えると、あなたは税金を払いたくない、という意思を曲げて、税金を払うことになります。この場合、あなたの意思を曲げてでも税金を払うという行動を強制できるわけですから、国家や自治体には権力があるといえるわけです。
で、本書は都市というものは権力によって作られるし、また、権力は都市を必要とするんだ、と主張するわけです。これだとわかりにくいと思うので、具体的なシチュエーションを例に挙げて考えてみましょう。
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