なぜわたしたちは「まちづくり人材」を「発掘」しようとするのか。
最近、「まちづくり人材をどう発掘するか」っていう話を考える機会があって。これ、面白いなあと思ったのですけど、それはどう面白いかっていうと、「そういう問いが立つ世界観」が面白いなと思ったんですね。
この世界観では、まず人材を「発掘する対象」とみなしているんですね。にしても、面白くて。例えばコンビニが店員をやってくれるアルバイトの人を探すとき、発掘って言わないと思うんですよ。労働条件と対価を示した募集チラシを貼って、それを見て応募してきてくれた相手と同意できたら、じゃあ来週から働いてください、となるわけです。しかし、まちづくりにおいては人材は「発掘」なんですね。
発掘というと、その対象としてイメージできるのは石炭や鉄などの「鉱石」です。じゃあ、コンビニのバイトとどう違うかっていうと、コンビニのアルバイトなら、チラシ見て、気になったら応募してくれると思うんですけど、鉱石は自分から手を挙げてこないんですね。掘り出さないといけない。自分から地面を割って出てきてくれればこんなに簡単なことはないんですけど、そうはならんわけです。
つまり、まちづくり人材というとき、明らかに「まちづくりに対して能動的には手を挙げてこない人」をイメージしているわけですね。
サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。