「若者に優しい」まちとプチブル〜あるいは感情経済を回す感情労働の話
役者やミュージシャン志望の「若者に優しい」まちの、「やさしさ」とは何か
京都で20年くらい小演劇というかお芝居の、本流と言うよりは端っこの方に関わってきた。大学のときの先輩が役者で、彼に頼まれて脚本を書いたり演出をしたり、時々音楽の操作なんかもしている程度だ。とはいえ、楽屋で他の演者さんとやりとりもするし、箱主の話も耳に入ってくる。
京都っていうのは若い役者志望者やミュージシャンに優しいまちだという。そもそもが学生の街で、大学の時からそういう表現活動を始めて、そのまままちに居着く、みたいなケースはしばしば見かける。
で、そこでいう「若者に優しい」ってどういうことかっていうと、具体的には、「不安定な勤務を許容する事業者がいる」ことらしい。役者やミュージシャンは、稽古やツアーなどで1,2ヶ月まともに働けません、みたいなことがしばしばあって、いわゆる安定したフルタイム労働者をやりにくい。もちろん、そういうフルタイム労働の合間にやっている人もいるけど、それなりに大変。
なので、そういう「時々ガバっと休みます」みたいな人も「いいよいいよ行っといで」と送り出し、帰ってきたら引き続き雇ってくれる、という勤務形態を許容する事業者が一定数いるということになる、らしい。らしい、というのは、その先輩の役者経由で聞く話からすると、ということだけど。
で、そういう人たちを雇う事業者も、若いときは役者やってました、バンドやってました、みたいなこともあるらしく、その意味では、世代を超えたアーティスト同士の扶助関係があるとも言える。
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