マガジンのカバー画像

読むまちづくり

486
まちづくり絡みの話をまとめています。随時更新。
まちづくり絡みの記事をまとめたマガジン「読むまちづくり」。 月額課金ではなく、買い切りです。なので…
¥990
運営しているクリエイター

2020年7月の記事一覧

私たちは、人々のために見えない妖怪と戦ってくれる戦士達に、どれだけのサポートをすることを了解できるだろう?という話。

 昔、夜に家に帰ると、自宅マンションの前で座り込んで何かをしている人がいて。どうも道の脇の排水溝の上で背中を丸めて何かを洗っているようなんです。え?なに?こえー!と思ったんです。妖怪の類に見えたんですね。だけど、近づいてみると実は友人で。事情を聞くと、農作業かなにかで汚れた長靴を、家に持って上がるわけにもいかないから、ここで洗っているんだ、みたいな説明を受けて、あー、そうなのね、とほっとした覚えがあります。  このとき僕が思ったのは「前後の因果関係がわからない人や出来事」っ

会社経営者が部下に「経営者の視点を持て」という場合の「経営者の視点」とは何かって話。

 会社経営者が、自分の会社の社員に、「経営者の視点を持て」という場合があります。そのように言うとき、例えば、じゃあサラリーマンは経営者視点がないか?っていうと、ちゃんと考えると、そうではないということがわかってくるわけで。  というのも、サラリーマンが日々やっている、上司の命令を受け取りつつ、自分自身の時間と労力を、何にどれくらい投じて、どんなリターンを得て、自分の生活を回していくか、っていうのは、明らかに経営の思考だからですね。  サラリーマンに限った話ではありません。

人間関係を「空気」に、人の心を「水」に例えると、どっちも絶縁体なんだよねっていう話。

 人間集団でしばしば起こるトラブルに、「わし聞いてへんぞ」問題っていうのがあります。おそらくみなさんも一度は体験したことがあると思うのですが、主催者がステークホルダーだと思っていなかった人が、実はステークホルダーとしての自己認識を持っていて、自分の決済を要求してくるというものです。  この「聞いてへんぞ」プレイ、ありふれたものではありますが、成り立つにも条件があって。誰でもできるプレイではないんですね。  まず前提として、「情報は自然と広く伝わるものだ」という錯覚があるん

「怒ること」を肯定する。

 アンガーマネジメントなんて言葉が一時期流行りましたけど、そもそも怒りは快楽なんですよね。なので、人はしばしば怒りの対象を自ら探し、けしからん!と怒り、快楽を得るわけです。怒りを、不快な気分であると認識すると、自分から怒りの対象を探すって、実に不思議な感覚ですが、怒りが快楽であると考えると、実は意味がすっと通るんですね。けしからんものはたしかに不快かもしれないけど、そのけしからんものを見て怒る、その気持ちは快楽なわけです。  だから、「嫌なら見なきゃいいじゃん」というツッコ

実は、未来なんて、その時になってみないと、自分がどう感じるかなんてわからないって話。

 こないだ保育士さんのYouTuberが言っていて、へーと思ったのが、子供の行動を制限しようとするとき、「そんなこと、自分がされたらどう思う?」という促しはあまり効果がないそうで。  「自分がそのシチュエーションに置かれたらどう感じるだろうか」というのは、高次な思考なのだそうです。  確かに、僕らが、ある仮定の場面を脳内でシミュレートし、その中で自分がどう感じるか、と想像するためには、「実際に自分がそれに類似した場面でどう感じたか」という過去の記憶を参照する必要があるわけ

「集まる」という力について〜都市というものは権力によって作られるし、また、人々は権力にジョインするために都市に集まる、という話。

 これまで私たちは、様々な問題を「集める」という方法で解決するということを行ってきました。人を集めて何かをする、というのは、パワフルかつイージーな手段だったからです。しかし、疫病の流行は、この「集める」という方法を一定難しくしたように思います。そのように、問題の解決に「集める」という手段を安易に選べない状況を、僕はこれまで「非集」と呼んで考察してきました。  非集化した社会は、「集めることで有利になる人々」にとってはディストピアだったでしょうけど、一方で「いやいや集まらされ

「やりたいことをやりましょう」型のまちづくりが勃興してしまう背景には、地域の合意形成機構の権威の衰えがあったんじゃないかって話。

 「まちづくり」って多義的な言葉なので、議論で使うためにはまず定義が必要です。で、僕は「まちづくり」とは、「まちの人なら誰でも使える公共財づくり」であると定義しています。誰でも使えるわけですから、例えば道路や橋、景観なんかも公共財であることがわかります。とすると、勝手にまちづくりされては困る人もいることがわかってきます。  まちづくりには、どこか善のイメージが伴っており、まちづくりで困る人がいる、というのはなんだか想像がしにくいかもしれません。しかし、例えば道路に不快な絵を

今さらだけど「アナと雪の女王」を初めて見た。

 一時期、もうそのへんの子どもが全員レリゴーレリゴー言うてましたよね。それくらいの大ヒット作品なんだけど、ご縁がなく、先日7年見送ってついに見ることになった。なるほどなー。面白かった。  国家って、人口が増えすぎても減りすぎても困るんすね。だから、人口のコントロールは国家にとって大きな課題の一つなんです。で、異性婚カップルをベースとする人口コントロールは、施政者としてはイージーに思いつくところなんですね。中国の一人っ子政策とか有名ですよね。  で、異性婚カップルのマッチン

僕らは「新しい憧れ」を探すために、Instagramをぼーっと眺める。

 よく、「お金を儲ける能力」は大事だと言われがちですけど、「儲かるという現象」は結果としてついてくるものであって、その一歩手前に「欲しい!と思わせる能力」というものがあるんですよね。「憧れを喚起する能力」とでもいうか。  当然ですけど、どんなに良いものでも、人が「あれが欲しい!」と憧れてくれないと、売れないわけです。その、人々の「あれが欲しい!」に素早く反応して、「あれ」を供給できると、儲かるわけですね。例えば、ついこないだもマスク不足があったけど、あそこでマスクを素早く供