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読むまちづくり

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2019年7月の記事一覧

「投票しない人」はゲームプレイヤーとして、賢く、謙虚で、倫理的であるがゆえに投票しない説。

 面白い記事を読みました。学校の先生が、学生に選挙に行くべきかどうかと、その理由について問うた内容。  大抵の学生さんが「行くべきだ」と答え、割合見慣れた理由を書いている中で、とりわけ面白いのは「行くべきではない」と積極的に考えている人の意見。これはなかなか「選挙に行くのが当然」という思い込みの中にいる人には出てこない発想で新鮮でした。一部引用しながら感想を書いてみたいと思います。 1.ゲームとして調整が甘い論  どうも、ざっと「行かない」論の根拠を見ていくと「面白いゲー

「ボランティアは見返りを求めてはいけない」というやつは、「ルール」ではなく「セオリー」だって話。

 セオリーって言葉があるっすね。ゲームなんかでは「定石」って意味で使われます。「ここはこうするのが定石/セオリー」っていうね。定石っていうのは囲碁の言葉で、辞書的には「昔から研究されてきて最善とされる、決まった石の打ち方」のこととされています。  で、なんで急にそんな話をするのかっていうと、まちづくり分野でしばしば言われる「ボランティアは報酬を期待してはいけないのか問題」に対する一つの考え方を提案したいからで。  ボランティアちゅうのは、一般に「自発的な志願」を意味するも

「気のいい地元のパイセン」に頼る地域社会のヤンキー的秩序の話。

 こないだこんな話を書きました。  地域社会には、三権分立における司法が機能していないんじゃないか、って話です。僕らって、日本という国は、法治国家であると私たちは教えられてきましたが、「地域社会は無法状態」かもしれないというわけです。  しかし、仮に「日本の地域社会無法状態説」を前提としたとしても、当然ながら地域社会は「無法ではあるが無秩序ではない」わけです。実は日本の地域社会の秩序は「ヤンキー」のそれであり、「ヤンキー」の特徴的な行動様式が出現するメカニズムっていうのは