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「ボランティアは見返りを求めてはいけない」というやつは、「ルール」ではなく「セオリー」だって話。

 セオリーって言葉があるっすね。ゲームなんかでは「定石」って意味で使われます。「ここはこうするのが定石/セオリー」っていうね。定石っていうのは囲碁の言葉で、辞書的には「昔から研究されてきて最善とされる、決まった石の打ち方」のこととされています。

 で、なんで急にそんな話をするのかっていうと、まちづくり分野でしばしば言われる「ボランティアは報酬を期待してはいけないのか問題」に対する一つの考え方を提案したいからで。

 ボランティアちゅうのは、一般に「自発的な志願」を意味するもので、僕は「非契約的活動」であると説明しています。

 契約に基づかないですから、いわゆる労使契約に基づく労働とかとは別モンですよ、って話になるんすね。ところが、ボランティアは非契約活動、つまり契約に基づかないので、いわゆる労働にはあたりません。翻れば、雇用主や学校の先生など、メンバーの生殺与奪の権力を持つ人が、これを濫用して、「労働契約に基づかない労働」をさせることができてしまうんですね。当然、そんな都合のいい話をうまく使わない手はないですから、権力者は、ボランティアを「対価支払コストなしで、労働を強制することができる人達」みたいな意味で理解し、使うわけです。だから、そういう経験から学習した人は、ボランティアに「強制無報酬労働」という意味の理解をしていて、そういう人は「ボランティアをしませんか?」という呼びかけに対し、嫌悪と反感を覚えるわけです。

 で、そのように考えると、次のように言えるわけですね。よく、「ボランティアは報酬を期待してはいけない」といいますね。それを真に受けると、「ボランティアには報酬を期待してはいけないというルールが有るに違いない」という理解をしてしまいます。しかし、ボランティアっていうのは、別に「契約に基づく義務に発する行為」ではない、というだけなので、別に報酬は受けたってかまわないんですよね。

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