ヴェネツィアという病
あの街から帰ってきてしばらく、私は、あの街の記憶を振り返ることができずにいた。
振り返れば、きっと苦しくなることがわかっていたから。
あの街に恋していた。
いや、恋したという言葉では足りないかもしれない。
私は、ヴェネツィアという病に冒されていたのだ。
たぶん、いまも。
私が、ヴェネツィアに降り立ったのは、2015年の8月のこと。
もう、あれから6年が経つのか。
私が、あの日の自分に何か忠告できるのなら、新しいカメラを持っていけと言うだろう。
壊れないと新しいものを買えない私は、コンデジを持って留学へ行った。
それから、見られるものは全部見ておけと言うだろう。
毎日が刺激の連続で、私は麻痺していた。
まだまだ見たいものがあったのに、もう満足だと感じてしまった。
留学を正面から振り返ることができずにいたのは、たくさんの後悔が噴き出してしまうだろうから。
あの頃は、また、すぐにでも戻って来れると甘えていたのだ。
世界がこんなふうになってしまうとは思っていなかったし、私は海外に気軽に来れる経済力を手にすると思っていた。
つぎにあの街へ行けるのがいつになるのかわからない、という現実を前にして、私の後悔は日に日に大きくなる。
しかし、あの街のいい写真が手元になくても、いまもあの街の美しい光景は、まぶたの裏に焼き付いている。
もっともっと行くべきところ、行きたいところは、あった。
でも、これからも行ける可能性はゼロじゃない。
きっといつか行ける。
そうやって、後悔の念にかき乱される我が心をなんとか鎮めながら、ようやく書き出すことができそうだ。
今はヴェネツィアへ気軽に行くことはできないけれど。
今日は、私が、あなたをヴェネツィアへご案内しよう。
歪な街
ヴェネツィアは、歪な街だ。
あの街では、だれもが迷子になる。
地図など役に立たぬ。
この街を流れる大運河(グランドカナル)には、橋が4つしかかかっていない。
テキトーに歩いていると運河に行き当たる。
迷路のような街だ。
ヴェネツィアを歩くときは、上を向いた方がいい。
街中に貼られた黄色い看板の矢印を頼りに上を見て歩くのだ。
下を向いて歩けば、たくさんの吸い殻が落ちていて、怪しげな水溜りがあちこちにある。
しかし、上を向いて歩けば、眼前には美しい光景が次々に現れる。
煌びやかな光に溢れた街ではない。
光より影のほうが多いかもしれない。
ガイドブックには、水面が反射した、眩い宝石のようなこの街が載っている。
でも、この街はディズニーシーではないのだ。
この街を愛すなら、この街の陰翳を、礼讃すべきだ。
黄昏に沈む街
ヴェネツィアがもっとも美しくなるのは、黄昏時だと思う。
街の明かりが灯り始め、空には細い月がかかり、夕闇の中に街が溶けてゆく。
レストランのテラス席からはおいしそうな香りが漂い、恋人たちの距離は近くなって、甘い言葉が通りを行き交う。
水路の色と闇の色の境が曖昧になって、水路に街灯が揺らめくあの光景を目にしたら、きっとあなたもあの街に恋してしまうだろう。
白い吐息に包まれた街
ヴェネツィアは、夏の光を受けて輝く。
でも、冬もいい。
冬は、霧がよくかかる。
景色は、乳白色の中に溶け込む。
アクア・アルタといって、膝くらいまで水浸しになることも。
観光はおすすめしないけれど、霧の日に船に揺られるのは面白い。
街が亡霊のように消えては現れるから。
メディコに追いかけられた夜
ある夜、ヴェネツィアで出会った日本人の教授の家でパーティーが開かれた。
カーニバルの時期で、街は仮装した人で溢れていた。
パーティーは、夜遅くまでつづき、街の騒めきも落ち着いた頃、帰路についた。
水路を流れる水の音だけが聞こえていた。
途中まで一緒に帰ってきた人たちと別れ、細い路地に入ったとき、足音がした。
振り向くと、メディコ(医者)の仮装をした二人が近づいてくる。
背丈からして、二人とも男性だ。
メディコというのは、ヴェネツィアでペストが流行した際に医者が着用していたとされるマスクだ。
ただでさえ怖いのに、夜中に見ると、もう超絶怖い。
私が少しずつ歩む速度を上げると、後ろの二人も速度を上げる。家まで、数十メートルだったから、全速力で走った。
でも、後ろの二人もイタリア語で叫びながら近づいてくる。
家の前までついて、急いで鍵を開けようとするが、なかなか鍵が開かず、後ろの二人に追いつかれてしまった。
二人は走るときに邪魔だったのだろう、仮面を取っていたが、まったく知らない顔だった。
ひぃーっと思いながら鍵をガチャガチャ回した。
そのとき、後ろから仮装した女性がやってきて、からかうのはやめなさいと二人を諫め、引っ張ってどこかに連れて行った。
あのとき女性が現れなかったら、どうなっていただろう。
真冬の夜の夢のような本当のお話。
おしくらまんじゅうの朝
イタリア人は朝ごはんをきちんととらない。
ヨーグルトやビスケットをつまんでおしまいだ。
でも、私は、朝からごはんを三杯食べて育ったのだ。
ヨーグルトやビスケットで足りるわけがない。
しかし、朝から山盛りのパスタを食べているとルームメイトたちが、非常に奇妙なものを見るように私を見る。
それでも私は構わず毎朝山盛りのパスタを食べていたけれど、たまにはイタリア人のようにバールで朝食を取ってみようと思い立ち、バールへ向かった。
イタリアのバールの朝を、一言で喩えるなら、
戦場だ。
みんなが、押し合いへし合い、自分の注文を叫び、なんとか自分の注文したものを受けとると、あれよあれよと店の奥へと押し込まれ、立ったままケーキを頬張り、カプチーノを流し込む。
優雅な朝とは程遠い。
しかし、最高においしい。
ケーキの甘さは絶妙だし、カプチーノはふっわふわだ。
幸せな余韻に浸る間もなく、食べ終わった客は追い出されるけれど。
ちなみに、イタリアでは、カプチーノは朝の飲み物というイメージがあるらしい。
お店では一日中頼めるけれど、イタリア通を気取るなら朝に飲むのがおすすめだ。
ついでに言うと、エスプレッソは、あまりストレートで飲まない。
みんな砂糖をたっぷり入れて、デザートのように飲むというか、食べてる。
砂糖じゃりじゃりさせながら。
ティラミスは、夜のスイーツ。
昼間から食べられるけれど。
ヴェネツィアへ来たら、ティラミスを食べるのもお忘れなく。
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うーん、やっぱりいいカメラ持っていくんだった。
という後悔が噴き出しておりますが、ヴェネツィアの雰囲気が少しは伝わったでしょうか。
今回は、こちらの企画に参加してます。
ちづこさんからバトンが回ってきました。
以前ちづこさんから、留学のお話聞きたいな~と言っていただいていたので、この機会にほんのりお話してみました。
すてきな機会をいただき感謝しております。
もっともっと話したいことがありますが、それはまたいつか。
ちづこさんは、優しくて、料理上手で、文化的素養もあり、和服を着こなす才色兼備。とても人気なお方なのに、一人一人に真摯に向き合ってくださる、すてきなお姉さまです。
私のいとこにアイコンを依頼してくださったので、私とアイコンの雰囲気が似ています。ふふ、仲良しなのがバレちゃいますね(*´꒳`*)
一度ズームでお話しさせていただいたことがあるのですが、ちづこさんの話し方はnoteの文章のイメージそのままでした。気品があり、にこやかで、包容力があるような。
ちづこさんは、子育て中の親御さんたち向けのメルマガを始められたそうです!
ちづこさんに心のマッサージをしていただいたら、毎日健やかに暮らせそうですね♪
さてさて、ちづこさんからいただいたバトンをどなたにつなぎましょうか。
前回バトンリレーが回ってきたときは、選べなくてバトンをお返ししましたが、今回はバトンが回ってきたときに、思い浮かんだ方が二人いらっしゃいます。
二人とも、とても素敵な文章をお書きになる方で、素敵な世界を教えてくださります。
でも、お二人とも、いまとても忙しそうなのです。
どうしようかものすごく悩むのですが、せっかくなのでご紹介させていただきたい。
バトンはチェンナーさんに返してもいいよというルールなのですが、そうはいっても、優しい方々なので、返しづらさもあるかもしれません。
でも、私からのバトンは、バトンをもらった人が書こうが書くまいが、この方々の記事がとても好きですということをアピールしたいというエゴでしかないので。
紹介できただけで私は満足です。
お忙しいと思うので、遠慮なく、バトンはチェンナーさんにお返しください。
お一人目は、だいふくだるまさん。
だいふくだるまさんのセンスに惚れているのです。
写真もとても美しいのですが、写真の世界観にぴったりと寄り添うような、文章のタッチがとても好きです。
やわらかな文章でありながら、世界を鮮やかに切り取ってくださる文章です。
いつか全部の記事を読みたい…。
お二人目は、168さん。
168さんの文章は気取らないのにかっこいいですね。
かっこいいけれど、たおやかでもある。
こんな文章書きたいなぁと素直に思います。
ちょっと湿っぽさもありつつ、軽快なのです。
雨の日は髪がいつも以上にくるくるするし、お気に入りの白い服は着られないし、と思うけど、私も雨が好きだな。
ウッディアレンも好きです。
ミッドナイトインパリが好き。雨のパリが出てきますね。
168さんの文章も全部読みたい。
繰り返しになりますが、お二人ともバトンを無理に受け取らなくてよいですからね。
すでに公開されているお二人の記事を読めば、二人のカルチャーは伝わりますので。