書くことは苦しくても、それでもまだ書いていたい。
自分の書きたいことを、書きたいように書いている。
それでも、つらいと感じるときもある。
自分の文章はちっとも上達している気がしないのに、文章の上手な人との差は歴然としているのだから、気が気でない。
少しずつ減っていく反応に、自分の実力不足を痛感する。
「毎日読むのは大変だから仕方ないさ」
「みんなだって忙しいんだよ」
と囁く自身の声に耳を傾ける。
「でもさ、それでも読みたいと思えるほどのものを、私は提供できていないんじゃないかな」
もう一人の私が言う。
そんなやりとりを、私は何度繰り返しただろう。
「この程度書ける人ならいくらだっているよ」
「もっと上手な人もごまんといる」
「叶わない夢なら、見ない方がいいんじゃない」
「現実を見なよ」
こういう声の方が大きくなりやすい。
その声の発信源は、いつだって私。
そんなことを面と向かって言う人はいない。
自分の中から湧きおこる、大きな声に飲み込まれそうになる。
飲み込まれたって、誰も困らない。
むしろ現実を見て、書くことを潔く諦めてしまったほうが、前に進めるのかもしれないと思ったりもする。
夢の賞味期限を、誰かが告げてくれることはない。自分で終わりを決めるしかないのだ。
けれど、耳をそばだてていると聞こえる。
いやだ、という自分の声も。
まだ諦めたくないんだ。
まだ書いていたいんだ。
少し風が立てば消えてしまう蝋燭のような、か細い声。
でも、たしかな温かさをもった声。
そんな声を胸の内に灯している。
両者の声のうち、明らかに前者が優勢。
でも、そんな形勢はときに逆転する。
前者は自分一人の声。
でも、後者には応援してくれる人の声が加わる。
私の中の小さな灯火は、応援してくれる人の声によって燃え上がる。
本当は、自分自身の中にあるものを燃料にできたらいいのだろう。
でも、自分の中にあるものだけを燃料にしていたら、いつか尽きてしまうんじゃないかな、とも思う。
だから、私を応援してほしい。
そう思う気持ちも、もちろんある。
けれど、こんな二つの声が聴こえるのはきっと私だけじゃないと思う。
自分の中にあるものを燃料にできる人でも、外からの応援がなければ、きっと灯火は小さくなってしまう。
大きな灯火を燃やせているように見える人は、たくさんの燃料を与えてもらっている人なんじゃないかな。
私は、応援してもらっているほど、自分から応援できていないと自覚している。
正直に言えば、応援されたいという気持ちの方が、まだ大きいんだと思う。
応援してほしくてたまらない。自分に自信が持てない私は、燃費が悪いから、大量に燃料を欲してしまう。
だけど、燃料には限りがある。
一人が一度に応援できる人の数は限られている。
noteでも、1日に読める記事の数には限度があるだろうし、コメントも書くとなったら相当の時間を使う。サポートだって、湯水のようにお金を使える人などほとんどいないだろう。
「私を応援してほしい」といえば、それは「他の人を応援につかっている燃料を私にください」と言っているのと同じことなのかもしれない。
自分を応援してほしいという気持ちも、誰かを応援したいという気持ちも、誰かに誰かを応援してほしいという気持ちも、全部嘘じゃない。
うまくバランスをとるしかない。
応援したいと心から思ってもらえるような文章を書こう。
読み終わった後に、読む前よりも、少しでもしあわせになれるような文章を書きたい。
応援の一つ一つを糧にして、自分の灯火を力強く燃やしたい。
私も、誰かを応援しよう。
自分のことで精一杯になってしまうときもあるけれど。
応援が力になるということを、私は知っているのだから。
きっと私に言われなくても、みんなそれぞれに応援したい人を応援しているはず。
でも、あえて言わせてほしい。
あなたの応援にはものすごい力があるのだと。
あなたが思っている以上に、あなたの力を糧にしている人がいるのだと。
だから、その力を応援したいと思っている人に届けてほしい。
きっと、灯火が力強く燃えるはずだから。
今日は、#1ヶ月書くチャレンジの26日目。お題は、「今日1日にあったモヤッとしたこと」でした。
そんなにモヤッとしていることはないような気がしていましたが、心の中で思っていることを書きだしてみたら、ちゃんと(?)モヤモヤしていました。
応援してほしいし、応援したいし、自分以外の人のことも応援してほしい。全部本当の気持ちなんですが、そんな気持ちの折り合いをつけるのはなかなか難しいですね。
スキが少ないと落ち込んでみたり、全然他の人の記事読みに行けてないやと反省したり。一方で、自分よりスキが多い人に嫉妬したかと思えば、スキがつかないと悩んでいる人がいると、みんな読みにいってあげてよ、と思ったり。なんて勝手なんだろう!と自分でも思います。
でも、そんなふうにいろいろ考えるのは、つらくもありますが、楽しくもあって。
自分が本気になっているのが、なんだかおもしろくて。
夢中になれることがあるのが幸せだなぁって。
目標に向かっている人がnoteには、たくさんいて。
自分と比べてしまって、悔しく思うときもあるけれど、本気の人がたくさんいるのは心強い。
そんな人たちを見て、私は、今日も小さな灯火を燃やしつづけています。