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わたしの1番大切な人

私の1番大切な人。

それは誰か。
いつも私のnoteを読んでくださっている方だったら、絶対あの人でしょう、と予想するだろうと思う。

私も、まぁそうだろうと思う。
この記事のヘッダーも、このくまちゃんがだれかさんに似ているなぁと思いながら選んだ。

だけど、だれかさんが1番だとすると、じゃあ他の人は2番、3番…?それでいいのか?という気もしてしまうのだ。


今日、私は友人と会ってきた。
会ったのは、水色の朝にメッセージをくれた子だ。

その子は、会う前から、「ももちゃんと会うのが楽しみだなぁ」と言ってくれていた。私も久しぶりにその子と会うのがとても楽しみだった。

実際に、今日友人と会っている間も、友人はとてもにこにこしてくれていて本当に楽しそうだった。私も、久しぶりに友人と話して、すごく楽しいな、と思った。

友人と会うのは一年半ぶりだった。
そんなにも会うことが少ない友人は、何番目に大事な人だろう。

私は、そんなふうに考えるのは嫌だなと思ってしまった。

「1番」といっても、そんなふうに重く考えないで、「1番」と言ってもいいと思う。

だけど、1番と言ってしまうと、2番、3番もあるような気がしてしまって、私はなんだか居心地が悪い。


私は、今日友人と話していて思った。

私が友人と一緒にいて楽しいのは、友人が私のことを大切にしてくれているからだと。

友人は、私と会っている間、私のことを第一に考えてくれる。
それを、言葉でも、態度でも示してくれる。

私の友人たちはみんなそう。
友人と会っている間、その子は私のことを1番大事にしてくれる。

みんなには、みんなの「1番大切な人」がいる。
それは私も知っている。

だけど、私の友人たちは、一緒に過ごす時間をとても大事にしてくれるのだ。

会えてうれしい。今日はありがとう。すごく楽しかったよ。
そんな言葉を、空虚な社交辞令ではなく、本物の感情だと思わせてくれる。

1番大事な人が他にいるなら、本当は、その子にとって私は1番じゃない。
第一に考えてくれているというのは、私の思い込みだ。

1番大事にしてもらっていると思わせてくれる、優しい嘘。

だけど、私は、そんな優しい嘘をついてくれる友人たちが好きだし、
私も、そんな優しい嘘つきになりたいなと思う。

実際のところ、私の1番大切な人は、まちがいなく夫だ。

でも、私は目の前にいる人をいちばん大切にしたい。
その気持ちも本当だ。

ほかの人といるときも、夫に会いたいと思ってしまうときもある。
でも、そんな気持ちはできるだけ悟られたくない。
たとえ、そんな私の気持ちを知っても、やさしく笑ってくれるような相手だとしても。

一人でいるときは、自分を
友人といるときは、友人を
家族といるときは、家族を
夫といるときは、夫を

1番大切にしたい。

それが綺麗事だとしても、「1番大切にしてもらっている」そう相手が感じられるような優しい嘘をつけたらいいなと私は思っている。



今日は、昨日「#1ヶ月書くチャレンジ」を休んだので、2本目の記事です。
今日は、「Day16 あなたの1番大切な人」でした。

このチャレンジも折り返しです。なかなかお題に対して素直に書けないことが多いなぁ、と反省。
でも、そこが天邪鬼な私らしい気もします。

今日も、記事を読んでくださって、本当にありがとうございました。
もう少しチャレンジが続きますので、最後まで見守っていただけたら嬉しいです。