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雪道の記憶
掃除機をかけ終わって空気を入れ替えようと窓を開けると、ふわりと小雪がちらついていた。
いま暮らす街に舞い落ちる雪は、ふわふわと漂ってはすぐに消えてしまう。
故郷に降りつもる雪は、もっと重たかった。
私の故郷である宮城は日本海側と比べれば雪が少ないが、それでも年に何度かは雪かきをしなければいけない日がある。
ある雪の降る日、祖父母の家のまわりで、歩道だけ雪かきがされていた。
除雪車が通ったわけではない。
誰かの手によって、やっと人が通れるくらいの幅だけ雪がよけられていた。
雪かきされた一筋の道はずっと遠くまで続いている。
だれがやってくれたのだろう。
不思議に思った私は母に尋ねた。
祖父母の店のお客さんのひとりが、雪が降るといつもこうして雪かきをしてくれているのだと母が教えてくれた。
祖父母は電化製品を売る小さな店を営んでいて、その店には祖父母と同世代のお客さんたちがたえず何かを買いに来たり、ただお茶を呑みに来たりしていた。
雪かきをしてくれているというお客さんも、何度も店で見かけたことのあるおじいちゃんだった。
この一筋の道は小学校までつづいているらしい。
小学校に通う地域の子どもたちのために、そのおじいちゃんは朝早くからひとりで雪かきをしているのだという。
私はそれを聞いてひどく驚いた。
雪かきをしたことのある人はわかるだろうが、雪かきはかなりの重労働だ。
雪は一見ふわふわに見えても、雪かきショベルで掬ってみるとずっしりと重たい。
自分の家の前だけやるとしても、相当な重労働だというのに。
それを数キロにわたってやりつづけるなんて。
しかも雪が降るたび。
子どもたちが通るよりも前に雪かきをしているということは、子どもたちから直接お礼を言ってもらえるわけでもないのだろう。
けれど雪が降るたびに、子どもたちは自分たちのために雪かきをしてくれる人がいるあたたかさを感じていたのだと思う。
そのおじいちゃんは子どもたちの安全を守ってくれただけではなかった。
子どもたちが地域の人からどれほど愛されているかを教えてくれた。
祖母の家は、実家の隣町にあったから、私はその道を歩いて学校に通ったわけではない。
それでも、あの雪景色のなかに走る一筋の道を、私はいまも覚えている。
故郷に暮らしていた頃、雪が降ってうれしかったのは小学生までで、中高時代は駅から学校まで数キロの雪道を歩かなければならないことに辟易していたし、大人になってからも雪道で転ぶたび雪を恨んだ。
せっかく雪が降らない地域へと引っ越したのに、なぜか雪を懐かしく思うのは、雪の日のあたたかな記憶がいまも脳裏にちらついているからかもしれない。