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青く沈む

ときどき、自ら沈みたくなるときがある。

ぷかぷか浮いているいつもの水面から、少し潜って。

底のほうは、少し暗いけれど、ひんやりして心地よい。


最近、そんな気分だった。

夫が単身赴任になってひとりでいるからというのもあるのだろうけれど、いつもより静かに考えている時間が多い。

本を読んで、言葉の海を潜って、自分の言葉を書こうとバタバタもがいて、下書きばかり増やして。

はたからみたらちょっと苦しそうに見えるかもしれない。

でも、こういう何も生み出せない静かな時間も、私には必要なんだと思う。



言葉がうまく紡げない間、久々に絵筆をとった。

チャド・ローソンのピアノを聴きながら。


無心に絵筆から絵の具を飛び散らせて、パレットナイフでグサグサと刺していたら、少し心が落ち着いてきた。


落書き、としか言えないような弱々しさと、痛々しさ。

普段は絵を描くとすっきりするより、モヤモヤして終わることが多いのだけど、出来上がった落書きがあまりにも貧弱で、なんだか笑えてきた。

部屋に飾るのも悪くないかもしれないと思い、額に入れてみる。

繊細なのではない、ただ弱いのだ。


私のことを言っているんじゃない、絵のことを言っているんだよ。

だけど、私のことを言っているみたいでもあるね。


弱さを認められるのは、弱さじゃないよ、そんな言葉をかけてもらったこともあったな。


明日はこの額を飾るフックを買いに、自転車ででかけようと思う。

車を買ってからは、近くへも車で出かけてしまっていたけれど、夫が置いていった自転車で風を受けて走るのは心地よい。

駅まで10分もかからず行ける。


駅まですいっと行けてしまうと、旅のハードルも下がる。


この前の月曜日、ふと思い立って、東京へと出かけた。

東京も、平日だと静かだ。

東京の街も、きれいだと思う。

青く沈んでいる


夜遅くに帰ってきても、ひとりだから申し訳なく思うこともない。

明かりのついていない部屋に帰るだけ。


ひとりの部屋はいつもより暗く感じる。

空気も澱んでいるような。


だけど、私はきれいな空がいつでも見える窓を手に入れた。


キッチンとダイニングから見える場所に飾った。料理をしていて、ふと顔を上げるといつでもきれいな空が見える。

有明の月か、宵の月か。

夜明けか、黄昏時か。

どちらにも見えるところがいいなと思う。どちらの時間も好きだから。

イタリアに暮らしていた頃、広場で立ち飲みをしていた夜に、友人から「Aurora」と名づけてもらった。

夜明け、の意味。

いい名前で気に入ったけど、その名前で呼ばれることはなかったな。


普通、目の高さ、だいたい145cmに、作品の中心がくるようにする。でも、この絵は少し見上げる位置にかけた。

この絵を見るときは、顔が上を向くように。


お盆に実家に帰ったとき、父からも言われた。

落ち込んだときは、空を見てみるといいよ、と。

そういえば、母からは頻繁に空の写真が送られてくる。
ちょっとブレている写真も多いけれど。

実家にいた頃は、父も母もよく空の話をしていた気がする。


今夜は、細くて小さな月が見えた。