見出し画像

専業主婦だったわたしが映像翻訳者になるまで③トライアル連敗の絶望の日々

前回のお話はこちら

わたしが通っていた映像翻訳スクールはコース修了後にトライアルを受けることができ、合格したら仕事がもらえるシステムになっていた。受講を終えてすぐにトライアルを受けた。とにかく早く翻訳者になりたかったわたしは、絶対に一発合格したいと思っていたし、する気でいた。合格率は低いと聞いていたのに。

しかし、結果は不合格だった。合格まであと一歩の「次点」だった。次点になると審査員の講師からフィードバックを受けることができるのだが、講師の方の話を聞いても何がダメなのかいまいち分からなかった。続けて受けたトライアルも次点。そのときにフィードバックをしてくれた講師が「正直、俺は合格でもいいと思ったんだけどね」なんて言うもんだから、ますます分からなくなった。そして、三度目の正直と思って受けた3回目のトライアルも次点だった。

次点3回で繰り上げ合格なんて制度ももちろんないので、わたしはいつまでも次のステップに進むことができずにいた。3回も次点が続くということは、わたしには何かが足りないのだろうと思った。全然ダメというわけではないけれど、プロとしては通用しないという何かが。ここはこういう風に訳した方がよい、といった指摘をもらって局所的な問題は分かったかもしれないが、全体的な弱点や欠点がいまいち見えてこなかったように記憶している。だから、どうしたらよいのか分からず、出口の見えないトンネルの中を歩いているような気分だった。

そんな折に、第二子を妊娠した。このタイミングで妊娠したのは映像翻訳は諦めろってこと?ここまで受けてきてダメなのは、やっぱりわたしには向いていないってこと?と弱気な気持ちが心の中でむくむくと大きくなっていった。そして、時を同じくして夫に帰任辞令が出た。酷いつわりが始まり、わたしが使い物にならないので日本から親が引越し作業を手伝いに来てくれた。不要品の処分(掲示板に出して売る、リサイクルに出すなどの作業)は全面的に夫がやってくれた。駐在期間中に歩を進めたいと思っていた映像翻訳者への道も足止め状態で、その上、専業主婦なのに家のこともままならない役立たずで気分が落ち込んだ。

帰国後しばらくしてつわりも落ち着いてきたので、妊娠後期に再度トライアルに挑戦することにした。しかし、心持ちは弱気なまま。そんな状態で受けた4回目のトライアルは次点にすら入らなかった。あのタイミングで合格しても仕事を始めるのは難しかったと思うが、それでも受験したのは「何としてでも合格しなければ」という強迫観念に苛まれていたからだと思う。ここまでお金と時間を費やしてきたのだから、という執念。もはや「この仕事がしたい!」という前向きな気持ちではなかったように思う。

→④に続く

いいなと思ったら応援しよう!