
【南仏の旅】2日目: マティスのロザリオ礼拝堂とサン=ポール=ド=ヴァンス
2月のハーフタームに3泊4日で行ってきた南仏旅行の2日目です。
1日目: マントン、ニース
2日目: ヴァンス、サン=ポール=ド=ヴァンス、エクサンプロヴァンス ←今ココ
3日目: ポン・デュ・ガール、アルル
4日目: マルセイユ
ニースひとり街歩き
6時半に目が覚めたのだが、子どもたちはみんなまだぐっすり眠っている。旅先でもやらなきゃいけない仕事があるらしく夫は少し仕事をしたいと言うので、夫を宿に残してひとりで朝日を見に散歩に出ることにした。
外に出て朝の冷たい空気を吸い、潮の匂いとパンの焼ける匂いが混ざった匂いを嗅いだ瞬間に、18年前の感覚が一気に蘇る。前の日から昔の記憶を何度も思い出してきたけれど、感覚の記憶が無意識のうちに蘇ってきたのは、この旅の中ではそのときがはじめてだった。子どもたちから離れてひとりになったことも要因としてあるのかもしれない。子どもと一緒にいると、どうしても意識の中に子どもが大きく存在してしまうから。
さて、旧市街の便利な場所にある宿から海までは歩いて3分ほど。すぐ近くの広場ではマーケットの準備が始まっていた。開店準備をする人たちを横目に、サレヤ広場を抜けて海岸へ。日が昇る前の海辺には、カモメの他にほとんど先客はなかった。この日も残念ながら曇り空で水平線から顔を出す朝日を見ることは叶わなかったが、だんだんと明るくなる空をずっと見ていた。小石を転がしながら引く波の音が心地良かった。18年前と同じように、海辺で寝転がって波の音を聴いていると、不思議とそれだけで満たされた気持ちになった。


ふと隣を見ると、中年の男性がおもむろに服を脱ぎ始め、やがて海に飛び込んだ。いくら避寒地とは言え、冬のニースは寒い。わたしはダウンにニット帽の防寒姿だ。ウソでしょ!と思いつつも、好奇心から海水に触れてみたら、思っていたよりも温かかった。地中海なんだなぁ。
近くのパン屋さんで朝ごはんのパンとコーヒーを買い、そのときにはすでに開店していたマーケットの露店でイチゴを買って宿に帰った。子どもたちはまだ寝ていて、夫は仕事をしていた。

朝ごはんの支度をして、子どもたちを起こす。フランスでパンの美味しさに感動するのも毎度おきまりだ。朝から幸せな気分になって9時過ぎに宿を出発した。

マティスのロザリオ礼拝堂
向かう先はヴァンスの山奥にある小さな礼拝堂。アンリ・マティスが晩年に手がけたことで有名な礼拝堂だ。30分ほど車を走らせると到着したが、車を停めるところがない。一度通り過ぎて引き返し、かろうじて一台停められるか?というスペースに路上駐車をする。バスの誘導をしていたおじさんに「ここはバス専用だからダメ」と言われるも、「ちょっとはみ出しちゃってるけど多目に見てもらえない?」とダメ元で頼んでみたら、「うーん、いいよ」とのことで無事に礼拝堂を訪れることができた。おじさん、優しい。



エントランスから階段を下り、マティスのデッサンなどが展示されているスペースを通り抜けた場所に礼拝堂がある。切り絵を彷彿とさせる単純化されたフォルムと色彩がいかにも晩年のマティスらしかった。あまり天気が良くなかったので、礼拝堂の中は少し暗かったが、天気の良い日であれば、ステンドグラスを通して差し込む強い光が部屋の床や壁を鮮やかな青や黄に染めるのだろうと思う。南仏で活躍した画家ならではの色遣いだと思う。この色彩感覚は薄暗い土地では絶対に養われないだろう。鮮やかなのにどぎつくなくて、優しい空間だった。





ヴァンスのノートルダム大聖堂
次に訪れたのは、礼拝堂からも見えたヴァンスの町にあるノートルダム大聖堂。田舎町にある小さな教会だが、ここにはシャガールが手がけたモザイク画があるという。シャガールは1950年以降、ここヴァンスで暮らしていたそうだ。

シャガールのモザイク画は洗礼堂にあった。シャガール美術館で見た少し物悲しい連作とは違った印象で、希望や明るさに満ちた作品のように感じた。

古い町並みを残すヴァンスの町には、ご老人が多い印象だった。フランスの田舎町も高齢化が進んでいるのだろうか。もしかしたら、わたしたちが見かけた人たちの中に、昔近所に住んでいたシャガールさんを知ってるよ!という方がいたかもしれない。
教会の鐘が12時を告げる頃、子どもたちがお腹が空いたと訴え始めたので、ヴァンスを後にしてサン・ポール・ド・ヴァンスへと向かった。
サン=ポール=ド=ヴァンス
コードダジュール地方には岩山の上に築かれた「鷲の巣村」が多く存在するが、サン=ポール=ド=ヴァンスも観光客に人気の鷲の巣村のひとつ。芸術家の村としても有名で、シャガールのお墓があることでも知られる。
遠くに見えてきたサン=ポール=ド=ヴァンスは、丘の上に浮かぶ天空の町のようだった。町の入口近くの駐車場に車を停め、町を取り囲む城壁をくぐって町の中へと足を踏み入れると、そこには中世さながらの古い町並みが続いていた。


ランチ
今回のランチはこのお店。海老のリゾットもトリュフのリガトーニも、どれも絶品だった。念願のサラダ・ニソワーズにもありつくことができた。



シャガールが眠るお墓
昼食のあとは、城壁に登ってぐるりと約半周し、村の南端にあるシャガールの墓を訪ねた。
シャガールが亡くなったのは1985年(享年97歳!)。わたしが生まれた年だ。ほんのわずかな期間だが、生きていた時間が重なっていたことを知った。



お墓参りのあとは、進路を子どもに任せて迷路のような狭い路地を歩いたり、噴水のある広場でアイスを食べたり、ふらりと教会の中に入ったりして、町歩きを楽しんだ。お昼に食べたトリュフのリガトーニが美味しかったので、トリュフの香りに誘われて入ったお店でトリュフパウダーを買った。€20もしたが、親切なお店のお姉さんがたくさん試食をさせてくれて美味しかったので買ってしまった。後日さっそく家でトリュフのリガトーニを作ったのだが、振りかけるだけで本格的な味わいになる便利な粉だった。フライドポテトにかけても美味しそう。
そうこうしているうちに日が傾き始めた。今日はエクサンプロヴァンスまで行かなければいけないので、後ろ髪を引かれる思いでサン=ポール=ド=ヴァンスを後にした。


エクサンプロヴァンス
ニースからエクサンプロヴァンス(以降、エクスと表記)までの道中には他にも立ち寄りたい場所がたくさんあったが、時間がないのでここからは高速を使って直行する。最速でも2時間近くかかる道のりだ。
エクスに近づくと、セザンヌが何度も描いたサント=ヴィクトワール山が右手に見えてきた。エクスで生まれ育ったセザンヌは、この山を見ながら幼少期を過ごした。残念ながら半分雲がかかっていて山の全容を拝むことはできなかったが、一目見ることができてよかった。

エクスに着いたのは18時過ぎ。もう日が暮れていた。目抜通りのミラボー通りを歩き、路地に入って夜のエクスを散策した。エクスの街はセザンヌ一色だった。わたしはセザンヌの絵もとても好きなので、本当はアトリエだとかをいろいろ見てまわりたかったけれど、その時間はなかった。。。ブティックや雑貨店ももう閉店しているか、閉店準備をしている時間だったが、飲食店が賑わい始めるのはこれからだ。



店内の左手に見えるのはセザンヌ2025のポスター
ディナー
お店の下調べをしていなかったので、適当に近くのお店に入った。英語のメニューがなく、ヒップホップが流れるタパスのお店で、「子連れには不向きなお店だったか?」と一瞬不安になったが、店員のお姉さんが優しかったのでGoogle翻訳を駆使して注文。ここで食べた料理もさすがフランス、どれも絶品だった。特に牛肉のタタキはお肉の柔らかさも風味もとろけるように美味しかった。(料理に関するコメントの語彙力の無さはご容赦ください。)
あと、個人的に好きだったのがモルビエというチーズ。はじめて食べたけれど美味しすぎてお姉さんに名前を聞いてメモをした。

カビってぽく見えるけどカビじゃなくてクセがなく食べやすい
夕食の後に立ち寄ったミラボー通りの西端の広場で、奇妙なイベントが催されていた。クレーンで吊るされた回転式の遊具のような乗り物には、よく見ると楽器を抱えた人が座っている。中にはドラムセットが設置されているものまである!リハーサルのようなグダグダな雰囲気から音楽が始まると、頭上にはくるくる回りながら演奏するミュージシャン、目の前には寸劇を繰り広げる人たち、という超不思議な光景。いったいこれは何なんだ?とわけの分からないまま、音楽が途切れたところで退散した。

エアビーにチェックイン
街から少し外れたところに宿を取っていた。宿はゲーティッド・コミュニティの中にある集合住宅の一室だったのだが、ゲートの外のキーボックスで受け取ったリモコンが作動しないというトラブルに見舞われる。ゲートの中に入ることはできたものの、ガレージのドアを開けることができず、訪問者用駐車場も満車で車を停めることができない。先客に倣って草むらに車を停めてエアビーのオーナーにクレームを入れるも解決せず。こういうことがあるから、やっぱりエアビーは旅の上級者向けなのかなぁと改めて思った。
ちなみに、ニースのエアビーは途中でお湯が出なくなる、備品に記載されていたヘアドライヤーがない、というこれまたちょっと残念な物件で、わたしは二日ぶりにシャワーを浴びることができた。今回はちょっと宿運がなかったみたい。
また続き書きます!