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専業主婦だったわたしが映像翻訳者になるまで①映像翻訳との出会い

これまでわたしはプライベートなことはほとんど書いてこなかった。いや、旅行の話もお出掛けの話も極めてプライベートなことではあるんだけど、わたしがどういう人間で、これまで何をしてきたかってことはあまり書いていなかったと思う。でも、最近たまたま見つけた元同業者の方のnoteを読んで胸が熱くなったので、わたしもちょっと書いてみたくなった。全く注目されてないnoteだけど、自分の話をするのはなかなか緊張する。でも過去を振り返る良い機会だし、今の自分に必要な作業な気がするので、思い切って書いてみることにする。

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わたしは今ロンドンで暮らしているが、海外駐在は二度目だ。一度目は今から10年前。ロサンゼルス駐在中の夫と一緒に暮らすために、新卒から勤めていた会社を辞めて当時6歳だった長女を連れて渡米した。

晴れてロサンゼルス駐在妻となったわけだが、早くに第一子を出産したわたしは、周囲の人たちよりも若かったせいもあり、日本人コミュニティーにあまり馴染めなかった。また、お料理教室に通ったり、お茶やランチをしたりといった駐在妻生活は、自分のために用意された生活ではないように感じ、気後れしてうまく飛び込めなかった。

その上、家の外に出ると言語の壁に阻まれてコミュニケーションもままならないし、車社会のロサンゼルスで車の運転が苦手だったわたしはいつでも好きな場所に行けるというわけでもなく、日中の居場所がなかった。娘の学校でボランティアをやったり、語学のクラスに通ったりもしたけれど、充足感は得られなかった。仕事をしていない、この先のキャリアも未定、夢もない、という状態が落ち着かなかった。

自分がこの先何をしたいのかを考えた。好きなものに関わる仕事がしたい、人の役に立つ仕事がしたい、特技を生かしたい、手に職をつけたい、ずっと続けられる仕事がしたい。そんなことを考えていたわたしに、あるとき「映像翻訳」という職業が目に留まった。ロサンゼルスには日系の映像翻訳スクールがあり、日本語の地元情報誌に広告が出ていたのだ。「これだ!」と直観し、パッと視界が明るくなった気がした。

さっそくスクールに問い合わせて日本人スタッフとの面談を取り付け、授業に体験参加させてもらった。うろ覚えだが、入学にあたっては、大学の成績証明書およびTOEIC等の英語試験の成績表の提出、簡易的な英語試験の受験、数千ドルという決して安くない受講料が必要だった。日本にいる親に成績証明書を大学まで取りに行ってもらい、夫に学費を出してもらう必要があったため、本当に自分がやりたいことなのか、自分には可能性があるのか、映像翻訳を志す動機をきちんと整理してみることにした。

①好きなものに関わる仕事がしたい
わたしは元々洋画や海外ドラマが大好き。学生時代はレンタルビデオ店でアルバイトをし、年間200本くらい映画(主に洋画)を見るくらいに映画が好きだった。(不真面目学生で暇だった、とも言う。)新卒のときは映画に関わる仕事がしたいと思い、とある映画配給会社を第一志望にしていたが、最終面接で落ちるという経験をしていた。一度は諦めた映画に関わる仕事に再び挑戦できると思うとワクワクした。

②人の役に立つ仕事(人の役に立てていると実感できる仕事)がしたい
自分自身、大好きな映画や海外ドラマを観るのに日本語字幕に大いに助けられてきた。(アメリカの映画館で映画を観て、今までいかに字幕に助けられていたかを思い知った。)海外生活で相手の言っていることが理解できないつらさを日常的に味わっていたし、翻訳は原語が分からない人の役に立てる仕事だと実感した。異言語や異文化をつなぐ架け橋となる、とても重要で素敵な仕事だと思った。

③特技を生かしたい
英語(リーディング)はそこそこ得意だった。英会話はいまだに苦手だが、翻訳の仕事は基本的にスクリプトがあるし、英語をペラペラに話せる必要はない。わたしはTOEIC900点で翻訳者としては正直微妙なスコアだが、やれないこともない(リサーチ力で補える)レベル。
これはあとになって分かったことだが、翻訳は語学力と同じくらいにリサーチ力が重要である。特にドキュメンタリーなんかは専門知識がないと適切に訳せないことが多く、かなり入念に調べる必要がある。

④手に職をつけたい
会社員時代はバックオフィスとして働いていたので、自分のスキルおよび成果物に対して直接報酬が支払われるという職人的な働き方に憧れがあった。映像翻訳は高い日本語能力と英語能力を求められるだけでなく、特殊な知識や技術を習得する必要もある専門性の高い職業で、誰もができるわけではない。翻訳にはもちろん才能も必要だが、地道にコツコツ取り組んで腕を磨いていく、という職人的要素も強い。

⑤ずっと続けられる仕事がしたい
夫が転勤族であるため、住む場所にとらわれずにできる仕事がしたかった。映像翻訳はパソコンとインターネット環境さえあれば世界中どこにいてもできるし、フリーランスなので定年がなくいつまでも続けられるのも魅力だと感じた。

整理してみて、やっぱり自分にうってつけの職業に思えた。当時31歳。絶対に翻訳者になるんだ!という覚悟を決め、わたしは映像翻訳のスクールに入学した。

→②に続く

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