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父のこと

母のことを語る前に、父のことを書き留めておきたい。

父は昨年11月 胸が苦しくて呼吸困難になり、病院へ急ぐとそのまま入院。
肺に水が溜まっていることがわかり、水を抜く手術をして、穴を4つ塞いだ。その手術は成功したけれど、検査の結果「肺腺癌」のステージ4と告げられた。

父は抗がん剤治療を固辞。
「十分に生きた。83歳だもの、抗がん剤を打って辛い副作用を耐えてまで治療したいとは思わない」
「もう入院はいやだ。次に病院へ行くのは、緩和ケアを受ける時だ」

30年前に狭心症となって手術、煙草をスッパリ止めて心臓の薬を飲んでいたので、今回も心臓の発作だと思っていたら、まさかの肺。
ヘビースモーカーだったのが原因らしい。

父は私にとって、話しやすくて相談できる親であり先輩だった。
意見が違う相手の話を聞こうともしない母とは違い、意見のキャッチボールができるので話していて楽しかった。
時には厳しい指摘を受けたり、許せない言葉を投げられたりもしたが、話せば分かってくれるので、最後はお互いを信頼できた。

そんな父がステージ4
母はこの時既に認知症を疑われていたので、この先私は家族のことを誰と話し合っていけばいいのだろう と絶望した。

何とか他の治療を受けてもらえないか
身体に良いというミネラルを送ったり、違う病院でセカンドオピニオンを受けてみるよう説得したりしたけれど
「そういうのも考えたけどね 違うというか…それよりも 在宅医療とかこの先の住まいとか、そういうことを考えないとな」と優しくもキッパリと父は言った。
自分の体より、残される母のこと、兄のこと、遺産のことを心配していたのだ。

父が旅立ってから、その心配は心配ではなくなるようにマニュアルとして残されていた。
年金や保険の証書、それらの手続きに何が必要でどこに連絡するか、水道やガスの名変手続き、手順フローなど、死後にやることをまとめてファイルに保管してくれていた。
これは病気が分かる前からコツコツと作っていたけれど、毎年最新の内容に更新されていたのだ。

これは本当に助かりました。一から調べなくても、ファイルに書かれてある通りに電話して書類を取り寄せればいいのですから。
几帳面で、何でもメモをして、最善の方法を考えるのが好きな人だったので、父にとっては当たり前の作業だったかもしれません。

でも、本当に救われました。ありがとう お父さん。
ワープロの字の横に、時おり父の手書きの文字を見つけると、すぐ隣にいてくれているようで 嬉しかったよ。


家族の大切さと儚さ 親への感謝と許せない気持ち 相反する現実にモヤモヤ…このどうしようもない気持ちを書くことで整理して 同じような経験をされてきた あるいはされている人たちと分かちあえたら。いただいたサポートは書くための活動費に使わせていただきます。よろしくお願いいたします。