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将来の夢

それは、保育園での3歳のお誕生日会での出来事。

まだそのときは「嫌悪感」という言葉は知らないが、

その感情を確かに持ったことは、今でもはっきりと覚えている。


「将来の夢は何ですか?」という質問だった。


その時、私が思ったことは、こうだ。

「そんなのないよ。私は一生私のままだよ。何にもならないよ。」

私は2月生まれ。

今まで、たくさんのお友達の誕生日会があり、模範解答を見てきた。

だから、自分のそんな気持ちがこの場で吐露されていいものではないことだけは、理解できていた。


何を言ったらよいか分からなくて黙っていたら、先生から助け舟が出された。


「お花屋さんかな?それともケーキ屋さんかな?」


選択肢が出された。

簡単な2択でしょ?と言わんばかりの先生の顔が、気持ち悪かった。

渋々どちらかを選択したが、どちらだったかは覚えていない。


そして、今でもこの質問に対し、模範解答が言えない自分がいる。

確かに、資格を取り、手に職を得て仕事はしているが、

それが、夢だったわけではない。


では、将来、私は何になりたいのか。

その答えは、「おばあちゃん」である。


そう。私の将来の夢は「おばあちゃん」になることだ。


なぜか知らないが、昔から「おばあちゃん」に憧れていた。

朝起きて、仏壇にお線香を備えて何かを祈り、

適当に朝ご飯を済ませたら、温かいお茶をゆっくりと飲み、

お隣さんが会いに来たら、おしゃべりに花を咲かせ、

日中特にやることがなければ昼寝をして、

夕食を食べて9時前には就寝する、という生活。


とても素晴らしい!!なんと最高な1日の使い方なんだ!!!


しかも「おばあちゃん」が凄いのはそれだけではない。

それは、「おばあちゃん」は何をしても許される存在なのだ。

おばあちゃんが大きなおならをしても、笑っていじり倒してもらえるし、

おばあちゃんが横断歩道をゆっくり歩いても、車の運転手は笑って見守ってくれる。

これが10代や20代の若者だったら、こうはならないと思う。


そう、「おばあちゃん」は存在自体がすでに愛されている。

だから、私は「おばあちゃん」になりたい。

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