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義務教育はルールに従うだけの人材育成をしていないか【1分記事】#かがみよかがみ

「総理大臣になったら」。そんなテーマで朝日新聞が運営する「かがみよかがみ」という媒体がエッセイを募集していた。


大抵の問題は資本の力で解決できると思っている。
しかし、平等な社会の実現は総理大臣になりルール作りをすることが一番効果的に改善できるのではないだろうか。

前提として私は格差があるのは当たり前だと思っている。

「正しい努力」をする者と、しない者。人によっては子供の頃から小さな差を積んでいく。(正しい努力=成果に繋がる努力)

地方の公立で育った私が、当時感じていた歪みと実体験を基にした格差社会の原因についての考えを寄稿した。タイトルからは"男女の差"について書いたように思われそうだが、私は"家庭内教育の差""地域格差"も意識して書いた。

その子の居場所はそこであっているのか。

選択肢が増え、社会も変化し続けている。そのような変化に対して学校制度もそろそろ変わる時ではないだろうか。字数制限の関係で書けなかったことをここに書いておく。

今の公立の義務教育は大部分が戦後に発布された教育基本法から変わっていない。その実態は、戦後の立て直しを図るための人材の育成だっただろう。その後、社会の変化や人口の変化と共に改正されてきた。

皆が一丸となって国を良くする必要性が感じられなくなった今、日本の存続のためには知らずに摘んでいる可能性の芽を伸ばしていかなければならない状況に来ている。

1から10まで指示しなければ動けない洗脳しやすいような人材は誰のために作っているのだろう。

機会損失を誘発するような学校のままでは、組織を作り引っ張っていく素質を殺してしまう。みんな違ってみんないい。口だけだなと思わざるえない押し付けを見てきた。

「正しい努力」が報われる国であって欲しい。

「明治時代から教育現場は変わっていないのでは」「学問は格差を越えられる最低限の武器では」という意味を込めて、寄稿文では福沢諭吉の学問のすすめを引用した。

現政権は私立出身の政治家一家ではないものの、努力すれば結果は出ると思ってしまうくらいの大出世だ。苦を後世に強要する人柄でないと信じて応援していきたい。

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