くつろぎみそ汁

夫のつくるみそ汁が毎朝おいしい。煮干しでだしを取ったみそ汁。
鍋にお椀4杯分の水を入れ、大きめの煮干しの頭を外し、お腹の真ん中を縦にぽりっと割くように真っぷたつに割って、中の縮こまった黒い内臓をとり除く。5匹くらいを、そうやって水の中に落とす。点火、中火でゆっくり沸騰へと導く。

湯が沸く間に野菜に取りかかる。夫が好きな、甘い野菜が主役になることが多い。玉ねぎは半円にスライスし、かぼちゃも一口大の幅で、つつましく5ミリくらいの厚さに切る。
だしにもなる玉ねぎを先に入れる。そのあとに、硬さのあるかぼちゃを放り込む。ぐずぐずに煮溶けてしまわないように。でも舌に硬さが残らないように。
緑の青菜、小松菜を一枝分だけ取り出してさくさくと切る。茎の部分だけ先に入れる。

これぞというタイミングで、味噌を入れる。国産有機大豆を使った、けれど割とふつうのお味噌。おたまに少しすくって、軽めに溶かす。そのあと小さなスプーンで微調整しながら、味を見ながら加えていく。

小松菜の葉の部分を入れて、少しだけ火を強めてぱっと消す。しゃきしゃきのままに。

ぽってりとした漆の椀にそそぐ。ぼんやり頭のままの私の前に供される。両手で椀を包む。ふくいくとした香り、ふくいくとした温かさ。
舌の上に甘みと塩みがふっくりと広がる。ほんわかとした温かさがのどを滑って胃に入る。胃の、内側が、温められて、冷えた身体が中から、ほうと緩むのを感じる。

残っている2杯分のみそ汁を冷蔵庫にしまって、翌朝温めなおしてまた食べる。ふくいくさが増している。玉ねぎの繊細な甘み、かぼちゃの主役級のぽってりとした甘み、小松菜のわずかな苦みに煮干しの奥行きと長らく熟成された味噌の塩みが、混然一体となって溶け合わさっている。
また、鼻からのどから内臓から、温まって浄化される。

これはただの食事ではない。ただの食べ物の摂取ではない。
これによく似た身体感覚の記憶がある。

ああ、法師温泉だ。
群馬県の山の中の一軒宿、法師温泉長寿館。目には透明の湯なのに、足先から入るにつれ、片栗粉でも溶かし込んだかのような滑らかさのある湯が体をゆっくりと覆っていく。そろそろと両足を入れ、腰をかがめて胸まで浸かりこむ。ゆっくり息を吸って、「ほう」とため息のような一息をつく。
何千年、何万年も前から湧き出てきた湯。森を通り、土を通り、砂利を通り、目に見えぬ微生物に成分をたっぷりと溶かし込み、ふんわりと包み込むように温め、毛穴よりしみこむ、大地の湯。
入れば勝手に、中から緩む。じんわり緩む。

私は毎朝、胃に大地の湯を納めている。

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