幸せのお裾分けが辛い時もある。
テレビをつけると話題のニュースが目に飛び込んでくる。
某人気アナウンサーの結婚とか、結婚とか。
世間を賑わせたニュースは特に長く話題に上げられるためスマホを見ないようにテレビを見ないようにデバイスとの繋がりを遮断しない限り、必然的に目に入る情報。
はにかむような笑顔で、照れたような顔で、お互いに笑いあっている姿。
幸せのかたまりそのものだ。
すごく心が暖かくなって心の底から祝福できる時とそうでない時もある。
自分の人生に余裕がある時は、周りの幸せな出来事を祝福して、自分も笑って幸せのお裾分けなんて形でほっこりできるものだが
自分の人生に悩んだり、生きていくのに精一杯だったり、疲れきって衰幣している時は、表情を変えて笑ってお祝いすることはできても内面の自分は笑えないのだ。
それは周りが幸せであればあるほどに辛くなる呪縛のようなものかもしれない。
結婚報告、出産報告、新しいスタートの報告、お祝い事をたくさん聞く度に「私は…」と思ってしまう人もいるのではないだろうか。
少なくとも私はそんな時がある。
そんな時もあっていいと思っている。
完璧人間ではない。
時にネガティブな感情を持つことだってあるし、常に仏のような心でいるわけじゃない。
まだまだ成長途中な人間であり、人生経験を積んでいる最中だ。
だからそんな幸せのおすそ分けに辛くなって目を背けるような自分がいたっていいじゃないかと思う。
そんな自分も含めて、「私」なのだから。
辛い時は辛い。
幸せな時は幸せ。
日々の感情を噛み締めて生きればいいじゃないか。
そしたら、いつかきっとまた幸せのお裾分けをありがたく頂戴できて、今度は自分がお裾分けできるようになると信じている。
いつか、きっと。
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