生ききる
3年前、デンマークに10日間、「看取り」をテーマに研修に行った時にある人から聞いた言葉。
人の死は2つある。
「肉体がなくなる」死
そして
「周りの人の記憶からなくなる」死
だからその人のことを想っていれば
その人はずっと
誰かの心の中で生きていける。
私は介護という仕事柄、人生の最期というものに出会うことが同年代の子よりは多いと思う。去年は親戚含め、7人の人生の最期に出会った。
「人はいつか死ぬ」
ってことも分かっているし、亡くなった人とも
「もっと」
と思えばキリがないけど、大きな後悔がある訳でもなく、1人1人の生ききる姿はそれぞれで、最期の顔はとっても穏やかで、残された側は
「これでよかったのかな」
と思うしかない。思うしかないけど利用者さんのほとんどがご自宅で最期を迎えているからこそ私たちも最期まで関わるし、それまでの関係性が自分の家族以上に濃いからこそ、そこにいなくなった時、心ぽっかりになる。
昨日まで一緒にいた人がいない。
まだどこかにいるんじゃないかとか思う。
でもいない。
つい先日、また1人、職場の利用者さんが旅立った。
とってもかっこいいじいちゃんだった。
有名大学進学と共に田舎から上京し、大手企業の元営業部長に就任。
営業で世界を飛び回り、接待でいろんな美味しい店に行き、ゴルフでホールインワンを出してみたり、バブルを大いに味わった人だ。
60年近い人生の半分以上を一緒に過ごしている奥さんは
「私が我慢してるからこんなに長く一緒に居られるのよ笑」
と話していた。
「お父さん外面いいからね。家では何もしないのよ」と。
「へへ」と笑うじいちゃん。
夫婦の思い出沢山のアルバムやこうやって言い合える。
夫婦の仲の良さがわかる。
80歳を過ぎた今でも部下が家に遊びに来る。
厳しさの中に優しさがある
そんな人だった。
新しいスタッフが不慣れでもたついていると「お前じゃないっ!他のスタッフに変われ!」とスタッフがお叱りを受けていたり(笑)
でもスタッフの成長もちゃんと見てくれてて褒めてくれる。認めてくれる。
通いに来ては自分の持って来たジャズを聞きながら新聞を読み、何をするでもなくスタッフや他の利用者さんの様子を見守ってくれていた。
失語で思うように言葉が出ず半身麻痺もあり、きっともどかしさやイラつきもあったと思う。なかなか言葉が伝わらず「チクショー」ということも多々あった。
でもだからこそ単語や表情から「こういう事ですか?」と聞きながら、分かり合えた時はうれしかったな。
小さい子が来れば「おい」と言いながらちょっかいを出し優しい笑顔になる。身だしなみがいまいちだったりするスタッフには「おいっ」と厳しい口調で叱ってくれる。
ある時、大好きなジャズバンドの来日、コンサートの広告が新聞に載っていて指差していた。
「これに行きたいんですか?」と聞くと「そう」と笑って答えた。
私達と行くのも違うなぁ。きっと奥さんと行きたいのかな。
そう思って聞くと「そうそう」と笑った。
私達は介護タクシーの手配だけ手伝い奥さんとジャズのコンサートに行った事もあった。
甘いものとジャンキーなものが大好きで、でもお医者さんからは体重減らしてね。と忠告をうけていた 。だから普段はお弁当。でも週1回だけ外食。
その度にラーメンやハンバーガーを食べたいと毎回ジャンキーな店を選んではその晩の夕飯は奥さんに減らされていた笑
営業部長でバリバリに働き、美術館巡りや旅行、ゴルフやジャズバーに行くことが趣味だった。
そんなもともとの暮らしを考えたら
介護施設にこうやっていたのは本望じゃないかもしれない。
もっとできることもあったかなぁとか色々考える。
でも亡くなった後、奥さんが
「一回も行きたくないって言ったことなかった。きっと楽しかったのね。」
「家でもね。友達が来たときに、あなたたちの施設の記事を友達に自慢してたのよ。」と
嬉しかった。
なにするでもなく、物静かにみんなのことを眺めて帰る。
マックでハッピーセットを買っては、来た子供たちにおもちゃをあげる。
場所は介護施設と場所は変わってしまったけど
きっと会社で働いていた時、部下の働く姿を眺めては楽しんでいたり、部下におごっていた時のように、私たちの働く姿や子供たちを眺めては楽しんでくれていたのだったならいいな。
私が連休をもらって帰ってくるたび私のスマホを指さしては旅行の写真を一緒に見てくれた。
もう旅行から戻ってきても見てくれないのか。
寂しいな。
最期は吸引をしたり苦しいながらも、
奥さんの手作り茶碗蒸しをなめては目がキラキラしたり
思い出の写真を眺めては「おー」と声を出したり
最期まで心は動いていて、私に生ききる事を見せてくれた。
ありがとうございました。
現在、われらが社長は色々とツイッターで炎上中だ(笑)
私がこうやって利用者さんの事を書くことも賛否両論あるだろうな。
でもじいちゃんが生ききった証を残したい。
家族との関係性があるからこそできる事で
そんな関わりが出来るうちのスタッフは自慢の仲間だ。
そして家族の方が支えてくれたからこそ私たちは
最期まで関わる機会をもらえた。
感謝しかない。