ママの笑顔が一番 という呪い



SNSなどで、

「子供にはママの笑顔が一番」
とか

「ママの笑顔は家族の太陽」

というような言葉をよく見る。



この言葉を、表面的な意味で捉えて

ママは笑顔でいなくては!と思う人は多いのではないだろうか?


というのも、

わたし自身

過去にこの言葉に振り回された時期があり

常に笑顔でいることが辛かった。



言葉が一人歩きし、

「ママは笑顔でいなくては」と理解し


もはや、笑顔はママの義務である

笑顔ではない接し方は、

子供の健全な成長を妨げる。

とさえ思っていた。




笑顔のママは、明るく優しい母親の象徴である。

そうありたいと思い、子供の前では笑顔でいることに努めた。

しかし笑顔とは裏腹に、

心から笑えない、安らげない毎日だった。

ある日、

私は笑顔でいることをやめてみた。



自分の顔が無表情であることを許したのだ。

すると意外にも、子供たちも安定して過ごすようになったのだ。

私自身も、ニュートラルな気持ちで過ごせ
イライラするほどの疲労感を感じなくなったのだ。


【笑顔がいいってわけじゃない】

私のように義務感に駆られながら、笑顔を作っている人もいるのではないだろうか。


なぜ、ママが笑顔になるのが子供に良いのか、もう一度考えよう


私の幼少期の頃を思い出すと、

母が歯を見せて笑っているのを思い出すと、なんだかざわざわする。好きじゃ無かった。

ただ、母がリラックスして、コーヒーを淹れていたり

祖母が優しい声で返事をしてくれた。
(祖母も一緒に暮らしていた)

こういう光景が私の胸を熱くする。





母の顔が笑顔なのがいいんじゃない

安心してる、リラックスしていることが重要なのだと思う。


緊張は相手に伝染するという。

リラックスしている空気も、相手に伝わるだろう。



必ずしも笑顔じゃなくていいと思った

人間はリラックスすると、表情筋もゆるみ、笑顔ではない。

1人でいるときの顔がリラックス状態だろう。

あるいは、寝てる時とか。


子供が見るママの顔は、そういう顔であれば、笑顔じゃなくてもいいようだ



【リラックスすれば、自然に笑える。】

作り笑顔は疲れる。

私もこのことに気づかなければ、今も疲れてイライラして、子育てって疲れるわ、、とか思っているだろう。


今は、笑顔を作ることはやめて

子供達とリラックスすることを心がけている。


また、子供たちを笑顔にさせようと色々と遊びを頑張っていたのをやめて

やはりリラックスだけを考えている。

子供たちを側で黙って見つめているだけの時間が増えた。



すると、不思議なことに


自然に笑顔がでてくるようになったのだ。


単純に、子供たちの動きや言葉が
可愛くて、面白くて。

それらに気づく感度が上がったというか。


そういう笑顔は、全然疲れない。

私の心は平穏で、

子供達も、以前より安心して過ごしているように見えた。


私は、「ママの笑顔が一番」という言葉を表面的な意味で理解していた。

ママが自然に笑顔が出るくらい、
楽に、安心して生活しろということのようだ。


【心がけるのはニュートラルであること】


普通でいい

ただ、安心していればいい。

テンション低くていい、無表情でもいい

冷静で、安定したママがいい。



笑顔でいなくちゃと躍起になるのはやめよう。

明るいママ像は、間違っていた。

落ち着いていたらそれで充分なのだ




子供が安心できるのはそういう雰囲気だと、元子供の私は思った。



自分の子供はどうなってほしいか考えたら

いつも笑顔を貼り付けた営業マンのようになつてほしいとは思えない。

笑いたい時だけ、笑ってほしいと思う



無表情のママも、魅力的だ。


そのなかで少しだけ自然の笑顔が出れば、それで充分なんだ

【頑張りすぎないで とは】

こういう無駄な頑張りをひとつずつ無くしていくのが、

巷で言う「育児、頑張りすぎないで」

ってことなんだろうな。

ただ、なかなか自分では気づきにくい。



そうだ
私たちには、自分では気づけない呪縛がある。

親や世間からの言葉を間に受けて、
ずっと信じてきたものだ。


今回は、「ママは笑顔が一番」


こういったものを一つ一つ疑って、勇気を出して捨ててみる。



捨てて心地がよければ、それは正解なのだ。


そうやってどんどん軽くなって
毎日がもっと楽しくなる。



私はもっと軽くなれる。


明日も自分の信じてきたことを疑ってみようと思う。

いいなと思ったら応援しよう!