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読書は著者との対話と言われる理由(私的見解)

 読書は著者との対話であると言われる理由が、最近分かりました。私的見解ですが・・

結論から言うと、同じ本を読んでも、人それぞれ捉え方、感じ方が異なると言う事です。本を読み、自分事として捉え自分の糧にすることが、読書のご酸味ではないでしょうか?

 なぜ、人それぞれ捉え方が異なるのでしょうか? それは、人それぞれ経験、知識、価値観が異なるためです。身近な例として、原作が映画化されると、「ちょと違う」と言う声を良く聞きます。これは、【具体と抽象】の著者 細谷 功さんが言うように、読書は抽象的に捉える事が出来るため、経験、知識、価値観の違いにより、各々に、自分事に置きかえられるためです。ところが映画化により、俳優さんやシチュエーションが具体的に落とし込まれるため、良くも悪くも、捉え方の自由度がなくなり「原作とちょと違う」という事が起こるのです。 

 読書の利点としては、上記のように、『人それぞれ、自分事に置きかえて捉える事が出来る』と言う事です。「著者が何を伝えようとしているのか」を深く考えることも大切ですが、哲学者ジャック・デリダが、「書き手の意図を完全に知る事は難しいのだから、読み手中心の解釈でいいんじゃないか」というように、私は、本と対話し、自分事に捉えて、自分の人生の糧にする事が大切で、それが、「読書は著者と対話する事」と言われる所以なのではないでしょうか?

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