叱られても、へこたれない方法は?(前編)
医療記者の私がイタリアンレストランでバイトを始めて、8ヶ月が過ぎた。
一通りの仕事には慣れ、自分ではそれなりにホールを回せるようになったと思っていたのだが、シェフから見ればまだまだ足りないところが多い。
厳しい注意や叱りつける声に悩みながら働いているのが実情だ。
週1回から週3回に増えたシフト
私は平日にフルタイムで記者として働いているので、これまでは休日の土曜日のディナーだけ働いていた。
ところが、3月にはこれまで会社を経営しながら金曜日のディナーの接客だけ手伝っていた男性が本業が忙しくなって抜けることになった。また、調理補助のアルバイトが日曜日のディナーは入れなくなる。さらに、ホールの主力選手だった大学生のコイズミ君は就職のため3月いっぱいで辞める時が近づいていた。
一気にホール担当に空きが出てしまうことになり、このままでは水曜日、土曜日以外のディナーの時間は、ほとんどシェフのワンオペとなってしまう。2月末からバイトの募集をかけ始めたが、一向に応募はない。
シェフが困り果てる姿を見て、「じゃあ臨時的に私が入りますよ」と申し出た。3月から特にお客さんが多い金、土、日の週3日、ディナーに入ることになった。
ピリピリして飛んでくる罵声
私としては本業を抱えながら無理をして協力しているつもりで、「きっと感謝してくれるだろう」ぐらいに思っていたのである。
ところが、週3日入るようになってシェフの期待値が上がったのか、厳しく叱られることが増えてきた。ちょうどコロナ対策の緩和が進む時期とも重なり、週末のディナーがこれまでになく忙しくなってきたこともあるのだろう。
ほぼ満席の店内で注文取りや飲み物を出すだけでもてんてこ舞いな中、お客さんに料理をスムーズに出すために、ホール担当は簡単な調理補助も阿吽の呼吸でさばかなければならない。
カルボナーラの注文が入れば絶妙なタイミングで卵を割って卵黄を3つ用意し、「カチョエペぺ」というチーズと胡椒のきいた濃厚なパスタの注文が入れば、チーズ2種類を大量にすり下ろす。揚げ物の注文が入れば、皿に紙を敷きタルタルソースや岩塩を配置する。
パスタの仕上げでは、盛り付ける際に皿の縁に飛び散ったソースを拭き取り、メニューごとに決まった黒胡椒や白胡椒、ピンクペッパー、トリュフオイル、小ネギ、ルッコラなどを散らす。サラダや前菜の仕上げを手伝い、簡単な前菜なら自分で盛り付けて出す。そんなことをシェフの指示を待たずにこなさなければならない。
だが、それを間違ったりタイミングが遅れたりすると、注文が積み重なってピリピリしているシェフから厳しく叱られる。
少し余裕のある時だと必要以上の丁寧語で「こうやってくれって言いましたよね? なぜ言われた通りにやれないんですか?」「もう何ヶ月も働いているのになぜ覚えられないんですか?」などと言われる。さらに忙しくなってきてシェフのストレスがマックスになってくると、「馬鹿野郎!」「バーカ!」「もうやらなくていいよ!」「手を出すな!」などと怒鳴られる。
先回りして用意すると「それが仇になってるんだよな!」と言われ、わからないことを質問すると「質問するぐらいならやらなくていい!」と言われ、自分の判断でやろうとして意に沿わないと「わからないなら聞け!」と言われる。
「コイズミやコウタ(調理補助のバイト)は普通にできていることを、なぜできないのかな」などと、他のスタッフと比べられるのもつらかった。
シェフは普段はむしろ陽気で、営業中も料理の余った切れ端を食べさせてくれたり、おどけて笑わせてくれたりと優しい人だ。だからこそ、このギャップに余計ショックを受けてしまった。
罵倒には慣れていたはずが…
私は長年、古い体質の新聞社で働いていたこともあり、上司から怒鳴りつけられるのは慣れていると思っていた。
特に新人時代は上司に叱られることが仕事のようなもので、「辞めちまえ!」「馬鹿野郎!」「お前この仕事向いてねえよ!」などと罵倒されるのは日常茶飯事。時には無視され、物を投げつけられもしたが、転職まで20年間働き続け、典型的な昭和のブラック職場を生き延びてきた自負があった。
だからバイト先でも、自分が要領が悪いから叱られるのだし、普段は優しく仕事ぶりは尊敬できるシェフなのだから、この怒鳴り声にも慣れようと最初は思っていたのだ。
だが、こんな日々が続く中、いつものように店に出勤する道を歩いていた時、「また今日も怒鳴られるのか…」と気持ちが重くなっているのに気がついた。普段、客として外食している時、スタッフを怒鳴る声が客に聞こえるような店は嫌だと感じていたことも思い出した。
自分がプロとしての仕事ができていないのだろうが、それまでの週1回のバイトはお客さん扱いだったのだろうか。でも叱られると身がすくんで慌ててしまい、余計に指示が頭に入らなくなる。緊張してミスも増える。
バイト不足に悩む店をフォローしようと思ってシフトを増やしたのに、余計にシェフをイラつかせているなら本末転倒ではないか。
忙しかった3月のその日の夜、またも怒鳴られまくった営業が終わった。ワインを飲んで酔った勢いもあり、私はシェフに直談判をした。
シェフを脅す
声を荒げられると余計慌ててしまってミスが増えるので、やめてほしい。私は本業だけで生活できるけど、ここが楽しいからバイトを続けてきたのに、つらいことが増えるとなぜここで働いているのかわからなくなる。だいたい私はただのアルバイトにしかすぎないのになぜそこまで求めるのか。
そんなことを伝えると、シェフは「自分だって叱るのは嫌なことだし、不愉快だ。でも正直、岩永さんの仕事ぶりはまだもの足りない。それなら鍛えて、できるようになったほうが自分だって楽しくないですか?社員だってバイトだって仕事の質は関係ないでしょう?」と答えてきた。
確かに鍛えてもらうのはありがたいことで、相手に対して「もっとできる」という期待があるからこそ叱ったり注意したりするのはわかっている。でも、怒鳴りつけられたら身がすくんで余計動けなくなるし、互いにピリピリして職場環境も悪くなる。怒鳴り声が聞こえればお客さんも不愉快だろう、と反論したと思う。
その上で、私は勢いに任せて禁じ手を使った。
「週3回働くようになって明らかにシェフがイライラすることが増え、私も楽しくなくなった。それなら元の週1回に戻してほしい。私は無理して休日を潰して入っているのだから、それなら他のもっと動けるスタッフに入ってもらえばいいじゃないか。良かれと思って週3にしたけれど、それが裏目に出ているなら元に戻りたい。シェフはどうしたいんですか?」
私が金、日曜日を抜けたらワンオペになって店を回せず、他のスタッフも夜に入れない事情があるのはわかっていた。募集をかけてもなかなか応募がないのも知っていた。
それを承知の上で、「もう手伝わないよ」とシェフを脅したのだ。こうやって文章に書くと、自分のずるさがわかって私もつらい。だいたいアルバイトだからといってレベルの低い仕事ぶりでいいだろうと開き直るなんて、私自身が一番嫌いな態度だ。
シェフは「わかった。これからは気をつける」と沈んだ顔をして、「これまで通り金土日に入ってください」と頭を下げた。伝わったのかもしれないが、私は満足するどころかモヤモヤし、自分も心に擦り傷を作ったような気持ちになった。
驚いたシェフの反応
次のバイトの日、シェフは私にまったく調理補助を頼まなくなった。私がパスタの仕上げを手伝おうとすると「自分でやりますからいいです」と遮る。ホールの業務であるドリンク作りさえも、料理を作りながら自分が手出しするようになり、何か注意する時は気持ち悪いほどの優しい声色で、「僕は〜した方がいいと思いますけどね!」と作り笑顔をするようになった。
「もうお前には何も期待しないよ。自分でどうにかするよ」という意思表示である。それもそれで子供じみている。
(そういうことじゃないんだけどな…)と違和感を覚えながら、終始ギクシャクしてその日の営業を終えた。
その後はしばらくそうやって過ごし、コイズミ君がバイトに入っていた夜に私が店に食べに行った時のことだ。
営業を終えて3人で深夜まで飲んでいる時、モヤモヤがずっと胸に燻っていた私はまた蒸し返した。
「こういう極端な対応を求めているわけじゃない。叱ることはあっても当然だけど、怒鳴らないでくれと言っているだけじゃないですか!」
酔っている勢いもあって激しい口論になり、一緒にいたコイズミ君が「僕はシェフの言っていることも、岩永さんの言っていることもわかります!でも二人が仲良く働いてほしいと思っています!」と仲裁に入ってくれたのは既に他の記事で書いた通りだ。
「シェフがそんな態度だからバイトが続かないんだ!そんなことじゃ誰もついていかない!」「だいたいお客さんに聞こえるように怒鳴るなんてお客さんに失礼だ!いつも『お客さんのために』と私たちに言ってるくせに!」
酔いに任せて次々に言いたいことをまくし立てると、驚くことが起こった。
じっと私の顔を見ていたシェフの目からツーッと涙がこぼれたのだ。
私もコイズミ君もすっかり慌ててしまった。
「え?どうしたの?なんで?!」
ナプキンやティッシュを渡すと、シェフは「自分でもよくわからない」とうつむいて溢れ続ける涙をふいている。
自分は限界を超えて働いているのに、バイトは思うように動いてくれないし、不足するスタッフも確保できない。その上バイトに批判されて、コップの水が溢れるようにストレスが限界を超えてしまったのだろう。そこまで私がシェフの心を追い込んでしまったのだ。
なんだか急に申し訳ない気持ちになってコイズミ君と一緒にそそくさと帰ろうとした。でもシェフはコイズミ君だけ「残ってくれ」と肩を抱いて呼び止めた。その後、またしばらく二人で飲んでいたらしい。
翌朝、コイズミ君に「昨日、シェフ大丈夫でしたか?私も言い過ぎたと反省しています」とLINEで相談したのは既に書いた通りだ。
互いのストレス、どう解決するか?
私は悩んだ。このままだと私もシェフもストレスを溜めたまま、ギスギスした関係が続く。
私が辞めた方がいいのか。でも新しいバイトが入らないまま辞めると店も困るだろう。それに、私はこの店が嫌いなわけじゃないし、むしろ好きなのだから働き続けたい。じゃあどうすればいいのか。
その時たまたまTwitterで見かけた本をきっかけに、私の気持ちは少しずつ変化していくことになる。
(後編に続く)