人類学/精神医学について

4/15 寄稿

シャーマンと精神医学の観点からー統合失調症―

 まず前回の課題として統合失調症の観点から、シャーマンを論じるとします。「関与しながらの観察」で有名な、精神科医で社会心理学者のサリヴァンは、その理論の中心を「場」と「対人関係」だと強調しています。¹)彼はその理論に則って、統合失調症の「環境」を整えたことで、不可能とされていた治癒に成功したと言われています。²)まさに環境が第一に大切だということは私自身、深く同感します。その理由は、天谷ら(2008)³)の研究をみてもわかるように、周りとの情緒的関係における環境により、人から偏見を向けられず、社会的排除や孤立も行われず、人から尊重され、肯定的評価をされることで自尊心へ影響し、社会参加自己効力感へを高めることは、言い換えれば全て「環境」だからです。

 その理論をそのまま引っ張ると、未開的文化におけるシャーマンは、「生き神」と崇められます。排除や孤立に追いやられるどころか、「この人は選ばれし者だ、宝だ、村で大切に扱おう!」と尊重され、村では引く手数多です。人々はシャーマンの一挙一動を有難がる。つまり共存ができている。こうした「環境」からシャーマンは自己効力感や自尊心を高め、社会参加へ積極的になり、心身が安定する好循環が生み出される、だから聖なる病も消えたのだ、とも考察することができます。注釈としてここは飽くまで、視点を変えた精神医学的考察として、読んでいただければ幸いです。

 もう一つの島村の論文を辿ると⁴)、シャーマンと統合失調症の関係性が微細に記されています。まず大切な箇所として、一度理論的に既に決着はついているとのこと。それは知らなかった。そしてそれは今現在見つけられませんでした、無念。このまま島村の論文を引用したいところですが、そもそもこの論文が文献研究なので孫引きにならないように、参考文献にだけ載せます。とても大切なことが論じられているので、ご興味のある方は調べてみてくださいませ。


シャーマンと精神医学の観点からー解離現象―

 今度はシャーマニズムを「文化結合症候群(culture-bound syndrome)」と区分したうえで、文献に基づき解離現象から考察していきます。これは地域特異的な異常行動と体験のパターンであり、しばしば今日の精神医学の主流である普遍症候群と対比して用いられる概念です。日本では沖縄におけるカミダーリなどがそれにあたります。カミダーリ=前述の聖なる病(巫病)と捉えていただければと思います。カミダーリは、特定の生まれや性質により罹る人物が選ばれ、それはしばしば霊威、霊力が高い人物にあたるとのことです。たとえば予知夢や幻聴などの体験があり、神秘体験に親和性が高い性格が罹患する、ということを精神医学の専門書籍で述べていることに、影響の深さを感じさせますね。カミダーリはイニシエーションとしてしばしば当人に苦痛を与えますが、やはりやがて守護霊が安定してくるにつれ、症状も落ち着いてくるとのことです。著者はカミダーリ(トランス状態)や憑依を解離現象として新たに捉え、論を深めていきます。

 まず解離症状とは離人感や健忘、交代人格などが代表的になるかと思われます。エリアーデにおける脱魂も、対外離脱体験としての表象の知覚化あるいは疑知覚化、としても受けとることも可能であり、たとえば憑依においても直前に何かエクスタティックな状態が先行するところが解離症状における交代人格にも同様である、と述べています。しばしばシャーマン化した者はその意識変性体験(トランス状態)を操作可能であるといいます。それに対して統合失調症は作為体験(つまり操作不可能)である点においても、区別化あるいは解離症状としてイシューを展開することも理解することができます。ここで著者は、やはり脳科学的なアプローチ(とりわけ神経ネットワークのモジュール説に準えて)から、神経細胞と神経線維のモジュール(module)がディスコネクション(disconnection)またはフリーラン(free run)しているとし、その結果としてトランス状態が集合的無意識をも巻き込んで、憑依なり脱魂なりに繋がってゆくのではないかと考察しています。

 そうであるならば、更なる反証可能性、あるいは課題として①ではカミダーリのなかでの幻聴やカタレプシーは、統合失調症の陽性症状は違うものなのだろうか ②それとも統合失調症と解離性現象がスペクトラムなものとして存在していて、併発した状態がシャーマンであるのか ③文化的地域的にシャーマンの分布に偏りがあるのはサリヴァンによる対人関係論から「環境」として育成された要因が大きく、実際には罹患者は世界人口に基づくのか ④そうではなくて、やはり「症状」とは切り離して論じるべきなのか、などなど更なる疑問が湧き上がってきます。この議題に関して、島村も述べているように人類学分野と精神医学分野の共同研究が増えることで、ますますの解明に発展していくのではないか、と予見しております。

シャーマニズムについてー日本の事例からー

 こちらも前回の文献より事例を拝借します。まず沖縄では今でもなお、シャーマンやユタ(主に女性シャーマン的職能者=タンキ―と同義)文化が存在しています。今回は約40年前から存在していたユタの事例から。この方は度々予言をし、それがよく当たるとのことで評判になりました。まず依頼者がくると彼女は予言できるように祈り、やがて欠伸が出てきて神の意思を感じ出すといいます。それは冷たい風が吹いてくる感覚で、その状態には神の姿が見え、声が聴こえ、病人の場合には悪い箇所を自分の身体にも感じ共鳴するとのことです。

彼女も虚弱体質で、ユタになる前に大病を患います。親戚が葬式の準備を始める頃、白装束の人物が天から現れ、命乞いのために一心に祈る約束をすると、彼女の意識が回復します。それからずっと不思議な体験(神が見えたり、声が聴こえたり)をするようになったようです。彼女が指を差した神は、天照大神でした。沖縄での生き神の多くは、彼女のような体験をしている、と佐々木は述べています。また、多くの体験に共通することは、前回も申し上げましたが、自ら希望してその職位に就くことではないことです。カミダーリといった身心異常が起き、それらが神が選んだ聖なる示しだと判断され、何とかカミダーリから抜け出すうちに、徐々に順応していくのだそうです。

 これはしかし、シャーマニズムの文化が残っているということは(すぐ近い沖縄にも)、とりもなおさず未開的な文化が残っているとも捉えられるわけですね。未開や古代びいきの自分にとっては、是非一度現地にいき、フィールドワークをしてみたいものです。実際に、「ユタ」でネット検索すると最近の記事としても体験談が様々に載っています。座学ではない臨場感のある記述がそこには記されています。それこそ、前述したシンガポールで人々が順番待ちをして儀礼を行うために観光地に出向く仕組みと、未だ変わりがない聖なる文化がそこには残っているといえます。

 個人的には、そう物凄く個人的には、シャーマニズムはシャーマニズムとして謎を帯びたままこれからも、人々にロマンを与え続けて欲しいような気もしています。これだけ記述して詳らかにしようとしているのに、自分は本当に勝手だなと自分事ながら呆れています。ですがその文化のもと、主観的事実とはいえ成立している共同体があるならば、そのお城を尊重したい気持ちも、謎を解明したい気持ちと同じほど、持ってしまいます。どうもこれは、人間の性かもしれません。今回精神医学的に記述したことで、切り刻んでいないか、とても心配しています。今回はそうした少しの考察がまた、これからも続々と選ばれる際のカミダーリに悩む方々、の様々な視点への寄与になれば幸いです。



引用・参考文献:¹)岡村由美子氏『精神分析における治療関係のあり方を概観する』京都大学(https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/237843/1/prccpe22_55.pdf)(2019)

          ²)鳴崎裕志氏『人格の研究 7』太城学院大学(https://www.jstage.jst.go.jp/article/taiseikiyou/17/0/17_KJ00009708119/_pdf) (2015)

        ³)天谷 真奈美、鈴木麻揚、 柴田文江、阿部由香、田中留伊,、大迫哲也、板山稔各氏『統合失調症者の社会参加自己効力感を促進する要因』国立看護大学(file:///C:/Users/ishiy/Downloads/Vol.7No.1_01.pdf) (2008)

       ⁴)島村一平氏『久場政博著/シャーマニズムと現代文明の病理―精神科臨床の現場からー(2017)』(2018)(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/83/2/83_293/_pdf)

        岡野憲一郎編著『解離性障害―専門家医のための精神科臨床リュミエール 20』中山書店(2009)pp.14-19

        佐々木宏幹著『シャーマニズムーエクスタシーと憑霊の文化―』中公新書(1980)

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