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先生を目指したきっかけ

先生を目指したきっかけ

私が先生を目指し始めたきっかけは大学3回生の頃になります。高校生の頃からダンスを始めて、毎日練習漬けの日々。大学に進学したのも、就職すると自由な時間が取れなくなり、ダンスができなくなるのが嫌だったから。

そんな思いで大学に就職したので、大学生になっても授業は最低限受けて、空いてる時間はひたすらダンスをしていました。
将来の事など何も考えず、日々どうやったら楽しく過ごせるかしか考えていませんでした。
そんなこんなで、大学3回生末まで特に卒業後のことを考えることもせず、ちゃらんぽらんに日々を過ごしていました。

ある時、ダンスサークルの合宿でスノーボードに行きました。
夜の宴会が終わり、なかなか眠れなかったのでリビングに行きました。すると、友人が2人で将来の事について語り合っていました。
2人とも卒業後にしたいことが明確でした。いつも、行動を共にしていた友人が、きちんと将来のことについて考えていることに驚きました。そんな友人たちに、「将来どんなことしたいん? 」と聞かれて何も答えられない自分がとても恥ずかしかったです。

自分と向き合う

合宿から帰ってきた自分は、卒業後にどんな仕事をしたいのだろう?と就職サイトを閲覧してみましたが、どれも興味がわきませんでした。
もっと、自分に向き合わないといけないと思って、過去から現在までをさかのぼって自分が何を大事にしてきたのか振り返りました。

一番最初に出てきたのが、高校生のときの体育祭や文化祭で仲良くなった友人たちでした。
私が通っていた高校は、イベントに力を入れており、体育祭の応援団や文化祭後に行われる後夜祭など、自主参加で関われる機会が多くありました。どちらも、放課後に生徒だけで集まって、どんな出し物をするのか企画を考えたり、練習したりして本番を迎えます。
それらのイベントを頑張れば頑張るほど、友人たちと一緒にいる時間が増え、何かを一緒に成し遂げることで関係性が深まります。

気づいたのが、学校の行事としてイベントを設定して先生たちが間接的に生徒同士の人間関係を繋いでくれているのではないか? ということでした。

そこに感謝できるのであれば、今度は自分がいろんな生徒同士を繋げられる存在になりたいと思い、学校の先生を目指したくなりました。

生徒同士の関係性づくりに想いがあるのであれば、それに関係する教科の先生になりたいと、とても短絡的ではありますが、コミュニケーション能力を育てられる教科として国語を教えたいと思いました。

しかし、当時、私が通っていた大学は文学部がありません。私自身も経営情報学部だったので国語の免許を取得する事は不可能です。

そこで、いろいろ調べた結果、文学部がある大学に3年次編入して国語の免許を取得することにしました。

編入するための入試は直近でも4回生の夏だったので、合格すれば現在通っている大学を卒業して、その年に3回生として文学部のある大学に通い始める流れになります。

この段階で先生になるためには3年以上かかり、とても長い道のりです。最初は、チャレンジするかとても悩みましたが、初めて見つけた夢だったので挑戦することにしました。

勉強漬けの日々

編入をすると決めてからは、毎日勉強漬けの日々でした。朝から大学の図書館に通い、夜遅くまで勉強し続けました。大体毎日12時間以上です。
1時間勉強するごとにチョコレートのDARSを一欠片食べてもいいルールにしてて、全て無くなったらゴールとしていたのが懐かしいです。

DARS(チョコ12粒入り)


その頃、同学年の友人たちは早々に就職先を見つけ、卒業に必要な単位も取り終えていたので、毎日楽しそうに遊びまくっていました。
そんな傍ら、自分だけは進路も確定しておらず、毎日勉強漬け。正直、将来の見通しが立たないことや自分だけ遊べないのが結構辛かったです。

精神的にきつかったのか、眠る前になると猛烈な不安感に襲われて、何回か泣くこともありました。(おれはけっこう弱虫)

積み重ねて達成する喜び

何度も何度も挫折しそうになりましたが、その度に「せっかく見つけた夢なんだからあきらめたくない」との思いで勉強し続けました。
試験当日のことはあまり覚えていませんが、面接では先生になりたい気持ちをぶつけたのは覚えています。

そのかいあってか、編入試験は見事合格。
とても嬉しかったのを覚えています。
試験勉強を始めて半年間ほどでしたが
今まで努力を積み重ねて何かを達成した経験はなかったので、喜びは格別のものでした。

目標を決めて、そこに到達するまでに日々どういった努力をしたらいいか設定し、あとは折れそうになっても続けていく。とても難しいことですが大切なことを学びました。

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