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ひと味もふた味も違う源平、頼朝、義経そして後白河院の歴史絵巻──安部龍太郎『天馬、翔ける 源義経』

最近ではあまり聞かなくなりましたが「判官贔屓」という言葉があります。この言葉のものになったのが源義経です。さまざまな小説や映画、テレビドラマに主人公として、また主人公ではなくても重要人物として描かれています。安部さんのいうように「日本史上もっとも愛されてきた人物の一人」です。

「はるか昔、黒潮に乗って渡来した海洋民は、太平洋側の半島を拠点とし、やがて桓武平氏の旗の下に結集していった。一方、中国北方の地から朝鮮半島を経て渡来した騎馬の民は、朝廷から源氏の姓を許されて各地に地平を築いた」
という源平観、そして先住民族である蝦夷と征服者である大和朝廷という対立を補助線として物語は綴られていきます。ひとつは源平の物語、ひとつは源頼朝と源義経との対立として、またそこには奥州藤原氏の俘囚の王としての独自の歴史も織りこまれています。つまり、その頃の日本は3つの国に分かれていて、言葉もお互いに通じなかったというように安部さんはこの物語世界を重層的に描いています。

この3つの国(言語)をすべて理解している人物として義経がいました。頼朝は京そだちですから西国と東国の2つの国を理解している人物として描かれています。小説の中では頼朝はこの2つに加えて奥州を含めた全国支配を目指し、義経は3国鼎立のようなことを考えていたように思えます。義経をバックアップしていた奥州藤原氏もおそらくは3国鼎立を考えていたのではないでしょうか。このような背景を持つ、いままでとはひと味もふた味も違う源平、頼朝、義経そして後白河院の歴史絵巻がこの小説です。よく知られた『平家物語』とは違った人物像に出会えて驚きと新鮮な感動を覚えると思います。

義経というと、軍事の天才、笛の名手で美の世界にも明るく、美丈夫で……と非のうちどころがないように描かれているものが多いのですが、この小説の義経は少し違っています。軍事の天才、笛の名手はそのままですが、親の仇という観念に凝り固まって猪突猛進する姿や頼朝への不満のあらわし方の中に、義経のあえていえば子供っぽさのようなものまで描いています。といってもこれは義経の持つ純粋さの裏返しのようなものなのですが。そのような義経を自在に操ろうとする後白河院のたくらみ、時には義経が我が子だというように思わせるそぶりさえみせるものでした……。

頼朝は小心なまでに自分の野心(本心)を隠し政治的人間として描き出されています。北条政子もまた気性の激しさをむきだしにした女性として描かれています。この小説には英雄はいない、人間がいるということなのかもしれません。人間の心理、感情ということでいえば、壇の浦での二位の尼の心情の描き出し方には鬼気迫るものがあります。人が怨念を抱く瞬間とはどのようなものであるのか、深く感じさせるものがここにはありました。

ところで「判官贔屓」について安部さんはこう記しています。
「日本人はどうしてこれほど敗れた者に心惹かれるのか。そのことが以前から気にかかっていたが、近頃、日本人の多くが大和朝廷によって屈服させられた歴史を持っているからではないかと思うようになった」
のではないかと……。

でも最近では「判官贔屓」ということがあまり見られなくなったような気がします。勝ち組、負け組の2分法が「判官贔屓」というような情を失わせてしまったのかもしれません。
日本人の心が変わってきているのでしょうか。安部さんの描いた義経像も、かつての「判官贔屓」をすぐに感じさせるような義経像とは違っているように感じるのは気のせいではないように思います。

書誌:
書 名 天馬、翔ける 源義経
著 者 安部龍太郎
出版社 集英社
初 版 2012年10月19日
レビュアー近況:夜中に観ていた番組で、NMB48のコが柏木由紀さんに「朝より老けました?」と言ったのに笑いました。既に吉本新喜劇でもNMB出身のコが活躍していますが、そういうセンスは土壌が育てるものなのかもしれません。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.05.20
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3516

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