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都留文科大学文学部国文学科 新入生のための映画「かすかな光へ」鑑賞会を開きました

昨年度の新入生に対して、新型コロナ感染症の拡大という未曾有の事態を前になすすべもなく、悶々とした日々を送らせてしまいました。

その反省から、少しでも良い形で大学と出会い、キャンパスデビューし、新生活をスタートさせてもらおうと、学科長としてまた新1年生の学年担任として企画したのが、4月2日(金)の映画鑑賞会です。

例年は入学式の後、桃の花咲く甲府盆地へと貸切バスを走らせ、県立の文学館や美術館を訪ねるのがお決まりでしたが、昨年度のバスハイクは中止を余儀なくされ、コロナが落ち着いてから感染リスクの低い映画鑑賞会をおこない、短い対話の時間を持ちました。

今年度もバスハイクを安易に計画できない状況が続くことは確実だったので、それならば…と、入学式の前日に映画鑑賞会を開催することにしたのです。

森康行監督の映画「かすかな光へ」は、都留文科大学第6代学長の大田堯先生が93歳だった晩年に制作されたドキュメンタリー映画です。

いかにして大田堯先生が教育に生涯を捧げることになったのかを明らかにしながら、93歳になってもなお、教育学者として、講演や執筆にエネルギッシュに取り組む日々を追いかけています。

谷川俊太郎による同名の詩の朗読から始まるこの映画は、公開から10年経った今でも、全国で上映会がワンコイン上映会が開かれているほどの、良質なドキュメンタリー映画です。

おそらく「大田堯」という名前を知らなかったはずの、新入生たちの感想をいくつか紹介してみます。

教育とは何なのか、生きる事、命とは何なのかを考えさせられる映画でした。「違っていいんだよで」はなく「違う」のだと言い切る姿に、その違いこそ命の本質なのだと感じました。
将来は教育に携わりたいと考えているため、太田氏の教育観や命と教育の関わりについての考え方に触れる機会があった事が自身の考えを広げる良い経験になりました。これをきっかけにして様々な意見や考え方に触れていきたいと思いました。
こんなにも教育について深く考える作品を見たのは初めてでした。
現在、様々な学校で各学生の個々の感性や才能を伸ばそうとする取り組みが増えていますが、それは近年始まったことなのではなく、戦後からこうした教育に真摯に携わる方々の努力の賜物なのだと感じました。
これからの大学生活で、自分で考え、自分をしっかりと発信し、全力で学習に取り組もうと思いました。
「人間は知りたがる生きものだ」この言葉が一番印象に残っています。「かすかな光へ」というタイトルから命に関わることを連想しましたが、学びを通して「生きるとは」「命・人生とは」という容易に説明することのできない抽象的なことを考えていて考えさせられる映画だったなと感じました。何が好きなのか分からない、学びたいことが何か分からないと引っ込む前に何事にも学びを得ようとする姿勢が学ぶということなのだろうと私は思いました。

他にもたくさんの豊かな感想が寄せられていて、文学部国文学科との共催という形で協力してくださった地域交流研究センターの北垣先生も、とても喜んでくれました。

これらの感想は、会場で共有=公開した特設サイト内で公開されています。

見る人によって、じつにさまざまな部分が「刺さる」映画なのですが、個人的に印象に残ったことを2つだけあげておきます。

1)広島県出身で、戦場で九死に一生を得た大田堯という人間を、教育という営為に駆り立て続けていたものが、ほかでもないサバイバーズ・ギルトであるということが、映画の冒頭に示されていたこと。
2)自ら働く人たちのなかに飛び込み、貧しさの中であえぐ若者たちと生活を共にし、共同学習を重ね、心と心が通わせる上で、カセットテープレコーダーという当時としては最新のテクノロジーが大きな役割を果たしていたということ。

新入生と編入生、そして映画鑑賞会の運営メンバーとして手伝ってくれた国語国文学会の新2年生、新3年生たち、さらには1年生の学年担任3名が、「かすかな光へ」という映画から都留文科大学という磁場がつくりあげてきたカルチャーを受け取る時間となりました。

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