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捨てる―学校が教えてくれないスキル
謎の算数プリント
孫の話です。
朝、手を付けていない算数の計算プリントを発見した親が、小学校低学年の孫を問いつめていました。
「これはなに? 宿題じゃないの? なんでやってないの?」
口ごもりながら答えている内容をまとめると、こういうことです。
昨日先生からもらったプリントではあるが、宿題ではないから、やっておく必要はない。
授業用のプリントでもないから、ランドセルに入れて学校に持っていく必要もない。
宿題でもなく、学校に持っていって使うプリントでもないものが、手つかずで家に放置されているという状態になることはあり得ないはずだということで、親は同じ質問をくり返します。
そして、学校に持っていく必要もないし宿題でもないのなら「捨ててもいいんだよね」と問いつめますが、孫は「捨ててはダメ」と抵抗します。
この算数のプリントは、いったい何なのでしょうか?
「算数プリント」の出自を推理する
教科書で学んだ内容を定着させるために算数でドリル学習をさせるのは、小学校でよく行われる方法です。
市販のものや手作りのプリントを使い、たくさんのドリル学習を行います。
授業中にやりきれないドリル学習は宿題になります。
定着が不十分なときはたくさんのドリル学習が必要ですが、飲み込みが早い子どもたちであれば、用意した算数プリントの一部は不要になります。
こうして宿題にする必要がない「算数プリントのあまり」が生まれます。
こんなとき多くの先生は、あまったプリントをどうするか?
たぶん、いちおう配って、こんなことを言うのではないでしょうか。
「今から配るこのプリントは、宿題ではありません。おまけのプリントです。宿題になっているところだけをやればいいですよ。おまけのプリントは、いちおう持って帰って、もうちょっと算数の計算練習をやりたいな思ったら、おうちでやりましょうね。」
「宿題ではないからやらなくてもいいし、授業でやるわけでもないから学校に持っていく必要がない算数プリント」の誕生です。
やらなくてもいいプリントなので捨ててしまってもいいわけですが、「もうちょっと算数の計算練習をやりたいな」と思うかも知れないので、とりあえず取っておく方が安心です。
そもそも先生からもらったプリントをやらないですぐに捨てるなんてこと、やっていいはずがありません。
小学校低学年の子どもには、こうしたプリントについて説明することは困難で、親からは意味不明のプリントが放置されているようにしか見えないわけです。
捨てることを教えない学校
「先生から配られたものは、大事に持って帰ってなくさないようにしましょうね」というのが学校教育の教えの基本中の基本です。
少なくとも、昭和30年代生まれの私にとって、「学校で配布されたものは、なくさないで大事に持ち帰る」ということは、金科玉条でした。
いっぽうで、先生からもらったものをどう捨てるかということを教えられたことはありません。
そのため配布物が一定の限度を超えて増えると、処理能力、整理能力が追いつかなくなり、配布物に対する無気力・無関心(配布物アパシー)におちいってしまいます。
中高時代以来、自宅の部屋の中や、職員室の机の上が大量の紙類で埋め尽くされていたのは、たぶん捨てることを教えてもらえなかったせいなのです。
いや、人のせいにしているようで恐縮ですが、「捨てることを教えない学校」が「断捨離できない私」を育てた可能性は、どうも否定できない気がするのです。
そしてもしかすると、種々雑多なガラクタが庭まではみ出したゴミ屋敷の主人や、足の踏み場もないほど物があふれた汚部屋の住人も、「捨てることを教えない学校」の犠牲者なのかもしれません。
孫の算数プリントの謎を推理しているうちに、何だか珍妙な仮説にたどり着いてしまいました。