教員研修会に参加しない校長先生・教頭先生へ―船長の椅子はただの飾りか?
港を出た一隻の船が、ゆっくりと大海原に向かう。航海の目的地は、乗組員全員が力を合わせなければたどり着けない未知の島。船には操舵手、機関士、見張り、船員たちがそれぞれの役割を持って乗り込んでいる。そして、船長の役目は、その全員をまとめ、目的地への最良のルートを指示することだ。
だが、船長が船室で新聞を読んでばかりいたらどうだろう。あるいは、航海の重要な局面で「操舵は君たち若い船員に任せる」と甲板に出てこなかったらどうなるだろうか。船長自身が舵輪を握る必要はない。けれども、船長の姿勢が、船員たちに「この航海には意味がある」と思わせる最大のメッセージになる。
教員研修と船長の役割
学校という船の船長である管理職が教員研修の場で不在だったり、消極的だったりすると、それはちょうど航海中の船長が舵を見放しているのと似ている。学校という組織は、教師という専門職の集合体で成り立つ。彼らが新しいテクノロジーを取り入れるための研修に励むのは、教育という目的地に向かうための重要な航海の一部だ。しかし、その航海の意味を船長が理解していなければ、全員の士気が下がる。
一度、こう考えてみてはどうだろう。研修は、航海の途中で新しい地図を広げる場だ。その地図を一緒に覗き込む船長の姿勢が、「ここに新しい航路があるんだ」と船員たちに希望を与えるのではないか。
若い者に任せるだけでいいのか?
確かに、最新のテクノロジーやツールに精通しているのは若い教師たちかもしれない。「自分はもう年だし、彼らに任せる」と思うのは自然な感情だ。だが、管理職の姿勢は、現場の教師に大きな影響を与える。船員たちは、船長が自分たちの取り組みに興味を持たないと感じた瞬間、「なぜこれをやる必要があるのか」と疑念を抱く。
年齢や経験が違えど、船長が舵輪に手を添える瞬間がある。それは、技術ではなく、「航海の目的を共有する」という象徴的な行為だ。教員研修で管理職が端末を操作する姿は、まさにその「手を添える」行為そのものだ。
船長のあるべき姿
船長は航海のすべてを自分で行う必要はない。むしろ、すべてを把握することも難しいだろう。しかし、船長が航海士と肩を並べ、新しい地図を一緒に見つめ、「これは素晴らしい発見だ」と共に喜ぶ姿勢は、船員たちに深い信頼を与える。学校の管理職も同じだ。教員研修において、現場の先生たちが奮闘しているときに、「自分も学ぼう」とする姿勢を見せるだけで、学校全体の雰囲気が変わる。
研修会で若い先生たちが新しいツールに挑戦している姿を見たら、管理職もそっと端末に触れてみてほしい。その一歩が、次の航海をもっと力強いものにする。
学校という船の船長である皆さんに問いたい。船長の椅子は、ただの飾りだろうか?それとも、航海を導く象徴だろうか?その答えは、あなたが次の研修会で示す行動にかかっている。
"The back of a lifelong learner shines like a lighthouse, guiding everyone forward."
「学び続ける人の背中は灯台のように輝き、みんなを導いていく。」