卒業式というイベント―3/26教育クリエイターフェスSCHOOL@武蔵野大学武蔵野キャンパス
中高生の頃、卒業式に出席しながら、「なんでこんなことをやるんだろう?」と感じていた。
親になって初めて「卒園式」に出たときには、「なんという素敵な時間、いったいこれはなんだろう?」と感じていた。
教師として、卒業式に参加するようになって、「卒業式は、言葉がすべて。こういう言葉を講堂に響かせられる人たちがいるなら、この時間には価値がある」と感じていた。(ときどき、そういう思いが裏切られることもあった。)
教育クリエイターフェスSCHOOL@武蔵野大学武蔵野大学で壇上から祝辞を述べるタカタ先生、くられ先生、廣津留すみれ先生、でんがん先生などの教育系ユーチューバー(クリエーター)のみなさんの「祝辞」を聞きながら、「卒業式って、言葉だよな〜」と改めて感じていた。
「祝辞」と言えば、「説教臭い」「上っ面ばかり」「ChatGPTでも言えそうな話」を長時間にわたって聞かされることになりがちだが、そこはそれ、ユーチューバー。短い時間でいかに伝えるかという知恵が、体の髄まで染み込んでいる。
次々にマイクを握り、短く、深く、味わい深い「祝辞」を述べ、卒業式はテンポよく進んだ。
ただし、卒業式という「式典」であるがゆえに、スーツを身につけ、「壇上から」「先生が」「語る」という構造が温存されていた。
例外は、壇上で卒業生姉妹が答辞を読み上げる場面と、壇上の先生たちから名前を呼ばれて思い思いの返事をする(あるいは「しない」)という場面だった。
たとえば、軽井沢風越学園の卒業式では、会場に「ランウェイ」がしつらえられて、その上を卒業生たちが思い思いの姿で闊歩したのだという。
教育クリエイターフェスSCHOOLの卒業式に、強いて足りないものを探すとすれば、個性豊かな卒業生たちが、入場したり整列したり着席したり起立したりという形式から自由である時間、短い時間でよいから何らかの形で自己表現する場ではないかと感じた。
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