エチオピアのターミナルで、消えたもの
(以前これをブログに書いたのですが、noteにお引越ししたので、ほぼ同じ文章だけどもちょっと編集しながらこちらにもあげていきます…!2017年の夏、タンザニアに2ヶ月弱行った時に書いたもの)
忘れもしない。
あれは、2017年9月10日。日もとっぷりと暮れた、夜の10時。
私は今まで味わったことのない感覚を、味わった。
少し話はさかのぼり、6月の下旬。タンザニアに来る前に、1ヶ月間ひとりでヨーロッパをバックパックしていた時。
いろんな都市を周っている中で、パリやブリュッセルで見た黒人の人に対して「こわい」と思っていたこと。
無条件にそういう感情を彼らに抱いてたこと。
それに気づいてしまった時、自分に対してものすんごい嫌悪感が襲ってきて、号泣した。
スウェーデンに1年間留学して、いろんな人と出会い、友達になって、人種や国籍、文化背景で人を差別・判断する racistって、なんなんだ…って思っていた。
彼らの思考回路が理解できなかった。
理解できないと思っていた。
なのに、人をこうやって見た目で判断している自分がいて。
人種差別をしている人たちと同じ思考回路を自分も持っているってこと…?
本当にショックで、泣きまくった。
思い切って、ポーランドのユースホステルで、私はパソコンの画面に映る人に、勇気を出して、自分の気持ちを打ち明けてみた。
私はこれからタンザニアに行くというのに、
黒人の方に対して「こわい」という感情を抱いていていいのかな。
うまく言語にできないんだけど、とっても自分が嫌だ……
ってことを話した。
画面の向こうで、
「こわい」って感情を持つことは別に悪いことじゃないよ。
その感情を否定するんじゃなくて、なんでそのような感情を持ったのか、考えてみるのが大事なんだよ。
って言ってくださった、ひとりの大人がいた。
タンザニアでのプロジェクトでいろいろ相談に乗ってくれていた方だった。
この言葉に、私は救われた。
足も届かない深い海で溺れている私を、ゆっくりと引き上げてくれたような言葉だった。
言葉ってすごいなぁ、と思う。
遠くにいても、画面越しでも、平面の上で活字になっても、
心に届いたら、ものすごく力になる。
私もそういう言葉を紡げる人になりたいなぁと思う今日このごろです。
こわいのは、知らないから
じゃあ、私はなんで、こわいって思うんだろう。
そういえば、なんでだろう…。考えた結果。
知らないから、こわいんだ。って結論になった。
じゃあ、とことん、知ろう…!
初めて行くアフリカの国、タンザニアに行ったら、たっくさん友達作ろう。現地の人と、とにかく仲良くなろう。誰よりも多くのタンザニアの人としゃべって、価値観を共有して、文化を知ろう。
これが、ひとつの目標になった。
タンザニアの学校や教育制度を学ぶことだけじゃない。
自分の中のもやもやを消すためにも、1ヶ月半でどれだけ現地化できるか。
これにかかってるな!
この涙を絶対無駄にしちゃいけないな。
そんなことを決めてから、ちょうど1ヶ月後。
私はトイレの鏡に映る、自分の姿を見ていた。
場所は、北アフリカの国、エチオピア。
人生初のアフリカ大陸
長いフライトの後で、顔もむくんでる気がする。わくわくと、不安とが、入り混じっている、なんとも言えない顔をしている。頬をつねって、いーっと歯を出してみる。
背負っているバックパックが、なんだか大きく見えた。
あぁ。こんなちっぽけな自分が、ひとりでついにここまで来てしまったんだなぁ。と思いながら、歯磨きをしていた。
そして、水道水を口に含んだ時、水道水は絶対飲むなと言われていたのを思い出し、「やばいっ、ここの水って危険なんだっけ?!」って瞬時にシンクに吐き出した。
変に心臓がどくどくしている。
私は、タンザニアに行く飛行機に乗り換えるために、エチオピアのアディスアベバ空港にいた。
アフリカで有数のハブ空港。世界中にいろんな便が飛んでいくから、とってもインターナショナルだった。アジア人はほとんど中国人だった。欧米系の人もたくさんいた。
恐ろしいほど繋がらないwifi
エチオピアの人にwifiどこですかって聞いたら、「下の階にあるターミナルに行けばあるよ」と言われので、言われたとおり行ってみた。
下の階のターミナルからは、どこへ行く飛行機が出ているんだろう。
案内画面を見たら、全部アフリカ大陸内の国だった。
コンゴ。南アフリカ。チュニジア。ケニア…
なんだかアフリカ内に行く便は国内線のように思えてくる。
スマホ片手にエスカレーターを降りていたら、こちらのエスカレーターの方を向いて、椅子がずらーーっと並んでいる待合室が見えた。座っている人はみんなアフリカ系の方だった。
エチオピアの空港だし、そこでは当たり前の光景なんだけど、でも、ちょっと、びっくりしている自分がいた。
薄暗い中、白い目だけが浮かび上がってて、みんなが私のことを見てる。
見てる。
見てる。
ええええ、すごいじーっと見てるよ…
…こわい。
と思った。
思ってしまった。
体がぎゅっとこわばり、足が動かない。
…っ
ふっと金縛りがとけたような感覚を覚えて、
あ、wifi…と思いながらスマホをいじったけど、wifiはつながらなかった。(TIA!This is Africa!)
下のターミナルで持った「こわい」という感情。
まだ私はここに住んでいる人を知らないからそう思うのはしょうがない…ってどこかで思いつつ、なんだか悲しくなって、苦しくなった。
こわいと思っている自分がまだ自分の中にいた、という事実を認めたくなかったからだ。
ポイフル(という名のグミ)をちまちまと食べながら、
タンザニア行きの飛行機を待っていた。
そして、このエチオピアの空港のターミナルで自分が感じたことを、大事にしようって思った。
そして、タンザニアから日本へ
あっという間に2ヶ月は過ぎた。
タンザニアでの滞在を終えて、帰国する9月10日。
行きと同じで、エチオピアでの乗り換え。夜の10時。
私は、まったく同じ下の階のターミナルに行った。
そういえば下の階ってwifi通じるんだっけ。
wifiが通じないこと、すっかり忘れてた。
そして、エスカレーターを降りて、周りを見回した時、はっ とした。
wifi通じないんだった!と気づいたわけではなく。
私、前にここに来た時と全然違う感情を持っている…!
ということに。
2ヶ月前に初めてこのターミナルに来た時と同じで、たくさんのアフリカ系の人がいた。
私に視線を向ける人がいた。
でも、最初にこのターミナルに来た時に感じた「こわい」という感情が、その時には全くなかったんだ。
私の頭には、タンザニアで出会った人が、浮かんでいた。
そして、「またここに帰ってきたいなぁ」と思っていた。
出会った、たくさんの学生。楽しそうに授業受けてたなぁ。
私の授業に真剣に参加してくれた生徒たち。これは地理の授業!
いつもおいしいウガリを作ってくれたお母さん。
アメを買うたびに仲良くなった道端のおじさん。
電気もガスもないお家で幸せそうに暮らすマサイ族の家族。
サファリでガイドをしてくれた博識なおっちゃん。
ひとつ年下の友達Witnes。自宅に呼んでくれて、お茶もした。
家族の絵を描いてくれたマサイ族の村の子ども。照れ屋さんだったなぁ。
私が道に迷って困っている時に、ピキピキ(バイク)に乗せてくれた安全運転おじちゃん。
フレッシュな野菜や果物を売っていた村のお母さんたち。
折り紙を教えたら、私にたくさんのスワヒリ語を教えてくれた先生。
一緒に踊って歌った、マサイ族の皆様!
そして、ホームステイ先で助けてくれたホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃん。
孤児院を建てた、もともと孤児だったお父さん。
道でジャパーン!トヨタ!スズキ!って言いながらハイタッチを求めてきたおじさん。
財布忘れた時、私が払うからバスのお金は払わなくていいよって言ってくれたお姉さん。
結婚しよーぜー!!って握手してきた道端のお兄さん。
アフリカ大陸という日本からは遠い土地で生まれた人、そしてタンザニアという国で生きる人を知ることができる機会を得て。
ターミナルで、隣に座っていた人とスワヒリ語でちょっとだけ会話できた時、嬉しくて、嬉しくて。
自分の中で、なにかがちょっと変わった。
そして、私の中の偏見が、ひとつ。
しゅわーーーっと小さな音をたててなくなった瞬間を、味わったんです。
あぁ。こうやって、偏見は消えるものなのか。
それだけタンザニアで”人”と関われたんだな。
って思えたんです。
エチオピア人とタンザニア人との違いも、ひと目で分かるようになったなぁ!と、エチオピア航空のまぁまぁおいしい機内食を頬張りながら思った。
自分の中の偏見に向き合う
偏見は絶対悪と思っていたけど、偏見はあって当然なのでは、と思う。
でも、偏見がひとつなくなるだけで、見ている世界はだいぶ違ってくるんじゃないかなぁ。
タンザニアに行って、偏見が消えていった瞬間を体験して、そう思います。
世界ががらりと変わるというより、世界が優しくなる、そんなかんじ。
私の好きな言葉のひとつに、こんなものがある。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.
常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
- Albert Einstein (アインシュタイン) -
私たちが常識だと思っていることも、結局は偏見のコレクション。
これに善悪はない。でも、一回身にまとったものを脱いで、まっさらでピュアで、生まれたての赤ちゃんみたいな視点で世界を見ることができたらいいよなぁ。
その国にどんな人が住んでいるのか。
その国で生まれた人はどんな生活をしているのか。
なにを信じて、なにを食べて、なにを愛して、生きているのか。
どれだけネットで情報を集めても、やっぱり自分の実体験にはかなわない。
私はこれから生きていく上で、また自分の中の偏見に気づくかもしれない。
でも、その時は、なんでそう思っているのかな、って問いかけながらもっと知ろうとする努力をしようと思った。
なんとなくこわいという感情を持ったまま、知らないことを知ろうともせず、偏見にまみれていることの方がよっぽどこわい。
自分の中の偏見は、自分でしか、壊せないんだ。
自分には偏見があるということをまっすぐ認めて、受け入れて、行動して、関わって、話して、聞いて、笑って、泣いて、変えていけるのは、自分なのだ。
「私はracistなのかも」ってショックを受けたこと、そしてこわいという感情を持っていたことをネガティブに捉えるんじゃなくて、それをどのようにポジティブなものに変えていけるかを考える。
そんなことを学んだ経験だった。
これは飛行機から見えたキリマンジャロ。タンザニアの上空から撮った。凛々しく雲を突き抜ける姿は、圧巻でした。
傾く夕陽の熱を右の頬で感じながら、いろんなこと考えたなぁ。
まずは、知ること。学ぶこと。
たくさんの人と関わって、たくさんのものを好きになること。
これは、人生をかけてずっと大切にしていきたいことです。
なんでこの記事を載せたかというと…
来週、タンザニアに行くからです😳!!
昔の感情を、ちょっと引っ張り出したくなった次第です。
またいろんな景色に出会える旅になったらいいなぁ。
みなさんにとって、明日もいい1日になりますように!
#7本目
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