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一年前の私へ


文章をかくことをすっかりご無沙汰しています。


このあいだ、ふとnoteを開いて、
自分の過去の記事の見出しをぼーっと流し見ていた。

見出しを見ても、"うーん、これ何書いたっけ…?"となるものも多い。
全然ピンとこず一旦素通りしそうになったけれど、ひとつの記事を開いてみる。

それがこちらの記事。

↓(記事名からして、なんか良いことがあったんだろうな、とそこだけは予測はできた)


一行一行、読み進めて行く。



その時の記憶が徐々に、徐々に、蘇ってくる。



この記事の最後にも書いてあるとおり、いや、書いた時の予想よりもだいぶ早く、その時のことを、私はすっかりぽっかり、忘れていた。

"やっぱり人って忘れていく生き物なんだな"


必然性とか諦めとか。忘れる、という事がなにか人生において一つのテーマだとなんとなく思っているから、でてきた"やっぱり"だった。


そして変な意味で感心していた。

約一年前、こんなにいい日だな、と感じた日でさえ、このことに触れるきっかけがなければ思い出せなかった。
ありふれた日常なら、そのきっかけさえも失われる。



記憶は儚い。

そう思うと、この記事を書いた一年前の私を褒めてあげたい、とおもった。


きっと私はこの記事を読まなければ、こんな詳細にこの日のことを思い出すことはできなかったし、あったかい気持ちにもなれなかったとおもう。
あったかい気持ちをさらに確認したくて、
記事の中にあった"娘の変な踊り"動画をカメラロールから探し出して、こんな踊りしてたのね、、と微笑んだりしなかったと思う。


一年前の私、ナイス
よく書き留めておいたね、ありがとう。


写真にしろ文章にしろ、音楽にしろ、
記録というものは多岐に渡ると思うけれど。
その時の自分や周りを残していくこと、記していくこと、は自分にとって大切にするべきことだとおもう。
その記録の中でも、私にとって一番身近にあるのは音楽。私は曲を作ると、その曲を作った時の感情、背景、ことば、など丸ごと記憶されていく。
全部が全部じゃないかもしれないけれど…。
だから、きっと私はこの先もずっと曲を作り続けていく、気がしている。




記憶が引き出される時、その時の自分と今の自分が対峙する。
今の自分の目の前には、昔の自分がいて、その当時の物語が繰り広げられる。
記憶を引き出す、ってそういうことなんだろうけど、なんかおもしろい。

タイムスリープしているみたい。

今の自分、もしくは未来の自分が昔の自分に会いに行っているんだ。
またはその逆も。

〈時をかけるな、恋人たち〉
という今放送中のドラマの主人公たちみたいに、いつかの私がいつかの私に会って、辻褄合わせたりなんかしてるのかもしれない。そうやってうまくいくようにしているのかもしれない。

そういうことを考えだすと、キリがなくいろんな妄想にふけちゃう私。


きっと今回のことは、昔の自分が今の自分に、この日のことを思い出してー!とノックしてくれたんだ。

そのノックに応えるように、私は会いに行く。

もし、

今一年前の私が目の前にいたら、

今の私は一年前の私にきっとこう伝える、だろうな。


"記してくれて、ありがとう"



そして、


"この3ヶ月後くらいにトイトレで追い詰められること、5月から働きだすこと、7月から9月にかけて娘の登園拒否で毎日悩むこと。
大変だよ。でも、すべてちゃんと前に進めてるよ。一年後の私も幸せ。だから、大丈夫!大丈夫!!!"



と。



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