![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/72721786/rectangle_large_type_2_1804ee07a629d7ff0e279008533e3987.png?width=1200)
音楽遍歴③ 吹奏楽と一生の友。その二
晴れて、高校に入学した。
吹奏楽で推薦入学させてもらったのに、私はこの期に及んで、"吹奏楽に入部しなくてもいいのではないか?…"という考えが頭の端っこにあった。
それはたぶんこの高校の吹奏楽部が優秀で盛んだったから。
自分がこの中でやっていけるのか、不安があったから。
練習が厳しそうだったから。
ちょっと逃げ出したいかも、と頭の端っこで思っていた。
でも、推薦入学をしたという手前、それを裏切ることはできないとおもったし、友達も入部するし、で予定通り吹奏楽部に入部した。
入部した当初は、木造の平家建てのものすごく古い部室。部員人数は多いから床ぬけるんじゃないか、とおもうような詰め詰めの部室だった。
その木造の雰囲気も悪くはない。
足一歩踏み出すと、キシッキシッと音を立てる。
"どれだけの高校生がこの床を踏んできたのだろう"。
そんなことを考える余裕はたぶんなかったけれど。
ほどなくして鉄骨三階建ての新しい建物ができ、その三階が吹奏楽部の新部室となった。
三階だから重い楽器は大変なのだけど、そんなのどうでもいいぐらい綺麗な出来立ての建物に部室があることは誇らしかったし、うれしかった。
…
高校では、中学の時とは違う、はっきりくっきりとした縦社会が待っていた。
返事の仕方(イントネーション)、挨拶の仕方、からはじまり、練習中のメトロノームの早取り早巻き、片付け、荷物持ち、などなど。
"先輩がしようとすることを、私がやります!
先輩が持ってるものを、私が持ちます!
先輩が廊下を通る時は、端にすっとよける!"
が常。
いつも気を張りながら、部活に励んだ。
特に、メトロノームのカチ、コチ、カチ、コチが最後切れる瞬間のカチ、" ふわっ"という瞬間を見逃さず、メトロノームに素早く駆けつけて、ものすごいスピードで巻く。
ことに、執念を燃やしていたかもしれない。
むしろ楽しんでいたかもしれない。
1日何度もメトロノームをとれたら、どや顔になっていたとおもう。
…
部活の内容は、
個人練習、パート練習、パート複数が集まってする練習、合奏、外練(マーチング)、朝練があった。
パート練習は同じ楽器ごとに練習をする、というもの。そのパート練習が1日の部活の半分をしめていた。
場所は、放課後の人のいなくなった教室。
窓の外は青い空から少しづつ夕焼けになり、そこから徐々に日が落ちていく。
パートごとに教室は異なっていたので、それぞれのパートの様子は分からない。
だからなのか、パートごとに雰囲気とか練習風景とかが異なった。
パートリーダーを中心に、今日はこの練習をしようと決め、パートの音をまとめていく。半分雑談するパートもあれば、みっちり練習するパートもあるし、日によっても違った。
同じ中学からきた友達は、クラリネット、フルート、トランペット、とばらばら。
それぞれ違うパートの時間を過ごし、パートの仲間ができ、もちろんパート外でも同級生の吹奏楽仲間がたくさんできていった。
…
吹奏楽部は休みがほぼなかった。
夏休みだって、ずっと部活はあった。
昼ごはんは、高校の隣にあったほか弁を買いに行くか、コンビニに買いに行くのが主だった。
ほか弁はチキン南蛮が人気だったけど、私はしょうが焼きが大好きだった。みんながチキン南蛮を注文する中、わたしだけ生姜焼き。そんな日が続いたから私のしょうが焼き好きはすぐに定着した。
コンビニでは、だいたいの日が、とろろ蕎麦とグレープフルーツゼリーの組み合わせ。これもお決まりになっていった。
階段下のひんやりしたスペース。
決まりのない並びで座り買ったお昼ご飯を食べる。
なに話してたかは覚えていない。
けど、くだらないことばっかり。ピーチクパーチク、よくしゃべってよく笑った。
夏の合宿。真夜中の"説教教室"。
ばらばらに椅子に座る私たち。
教壇のほうからぐるっと囲むように先輩が並ぶ。その先輩からお叱りの言葉が次々とはじまる。
一人終わったら、もう一人、、、。まだいるのか…。時計を見た、
私たちは泣きながら、反省の言葉を述べる。
次の日の朝の私たちの目の腫らし様はすごかった。その腫らした目でラジオ体操、なぜか清々しくてひどい顔を見ては笑った。
夏休みの運動場、炎天下の中、麦わら帽子をかぶる集団。
帽子の下から汗たらたら流しながら、マーチングのフォーメーションを確認しながら歩く。
"○○さん、もうすこし右!"
朝礼台にはドラムメジャーの先輩が立っている。いつもながらにかっこいいな。
1.2.3.4、カウントに合わせて、足踏みが揃う。横、後ろへ歩くときも常に上半身は前!
仲間の誕生日、本人を呼び出す。こっそり秘密に練習してきた。うまくいくかな。
"午前0時を過ぎたら イチバンに届けよう
Happy birthdayHappy birthday
Happy birthday to you"
ドリカムのHAPPY HAPPY BIRTHDAYを歌う。そのあとはおのおの、他の祝いの歌や演奏、手紙などを披露する。喜んでる仲間の顔。
誕生日おめでとう!
部活帰り、自転車にのり、ほか弁の後ろの空きスペースへ。そこでルーズソックスに履き替える。
よーし、街に繰り出すぞー。
おにぎり村のおにぎりを食べる。常照園の抹茶ソフトもペロリ。ぶっかけうどんのかき氷も…。そして、プリクラを撮る!
部活着のまま、夜の街のお祭りに繰り出す。テンション高め、無駄にインスタントカメラで写真とる。奇妙な自撮り写真が後で現像される。
休みの日に部活仲間の家にお泊まりする。川辺で花火する。話は尽きない。
・
・
懐かしい。
楽しかったな。
・
・
そうやって過ごしながら、私たちも後輩を迎え、3年生になっていった。
私が、一年の時は、先輩にかなり憧れを抱いていて、人気の先輩はかなりキャーキャーもんだった。
吹奏楽部は9割以上女子だったので、例えるならば宝塚の先輩に対する尊敬や憧れ、に似ていたかもしれない。
だけど、果たして自分はそんな存在になれていたのかはわからない。
3年生になると、私はパートリーダーを任され、
コンクールではソロを任された。
何をするにしても、私には自信はなかった。
自分がうまいと思ったことはなかった。
人をまとめるタイプでもなかった。
でも、
自分が思っているより、周りは認めてくれてるのかもしれないな。
ありがたいな。がんばらなきゃ。
私は自信がないなかでも、私なりに必死にまとめようと頑張った。
たくさん練習した。
うまく出来ていたかはわからないけど。
・
そんなある日、その頑張りの糸がぷっつんと切れた時があった。
もう高校生活もあと半年ぐらいしか残ってないときだったかな。
ふと、
"これでいいんだろうか"
"わたしの高校生活、これでいいんだろうか"
と思いだした。
高校に入ってから、毎日毎日ずっと部活漬け。
たしかに仲間もたくさんできて、みんなと切磋琢磨して練習して、結果も出してきた。
なにより楽しかった。
でも、
他にもアルバイトとか色々やりたいこともあったんじゃなかったか。
他にも時間の使い方があるんじゃない?
残りの高校生活、好きなように時間を使いたい!
その時の私は、
ドラマにありそうな青春を演じたかったのかもしれない。
そこには既に変え難い青春があったのに。
その考えを友達と話していたら、二人そろって、
"そうだそうだ。私たちには他にも時間の使い方がある!よし、部活をやめよう!"
と。
今考えるとなんて短絡的だったんだろう、と思ったけど、その時はその波を起こして乗っていくのもアリだと思っていた。なんなら、他にも賛同して乗ってくれる人もいるかもしれない。とも。
私たちは、すぐ幹部にそのことを伝えた。
※幹部…3年生の中で部活をよりよく運営するための精鋭たち
(先生には幹部づてで伝えてもらった気がする)
とりあえず、伝えた。
そしたら、
"勝手にしなさい。でもよく考えて。"
と突き放された。
"あれ?
引き止められると思ったのに…
今まで一緒に頑張ってきたのに、
引き止めないの??"
そんな想いがよぎっていた。
ちょっと拍子抜けした自分がいた。
(もしかして、引き止められるのを待ってた?)
でも、この幹部が発してくれた言葉は正解だった。
二人で出した答えは、やはりあまりにも短絡的で一時的なものだったから。
しばらくの間、本当に辞めていいのか私はたくさん考えた。
(辞めた方が後悔するんじゃない?)
ちゃんと考えて、
やっぱり部活を辞めることを辞めることにした。
(ほらね。って声が聞こえる)
このことで、少し仲間からは呆れられたけど
(少しどころじゃなくだいぶ呆れてたかもだけど)
でも、あの時突き放してくれたおかげで、ちゃんと考えた末に納得して戻ることができたから感謝している。
恐らく、突き放すのも勇気がいることだったとおもう。
ありがとう。
私はやり抜く!!!
と決めて、高校最後まで吹奏楽での活動をやり抜きました。
と、同時に、同じ目標に向けて一緒に走ってきた仲間と、仲間との時間、を得た。
自らの手でその大事なものを失うところだった。
本当によかった。
…
その後、高校卒業して、進学したり就職したり、それぞれの道を歩むことになったけど。
私たちは定期的に集まった。
高校生活のあの時の話、この時の話、
話は尽きない。
だんだんと集まる仲間も限られてきたけど、
それでも集まった。
最終的に私を含め5人になり、私たちはこの集まりの名前を決めた。
"登喜緒"
一緒に喜びを登る、という意味。
20歳をすぎたので、毎月、幹事を変えて"登喜緒会"と称した飲み会をするようになった。
毎月毎月、何年も集まった。
高校生活の話に加え、
それぞれの新しい場所での話もたくさん。
話は尽きない。
わたしの20代は、この5人のおかげで、だいぶだいぶ楽しかった。
もちろん、新しい場所である短大や会社で出会った人たちもたくさんいて、友達もできた。
けど、この5人の集まりは、ホームみたいなもの。
何があっても、戻って来られるような、安心感。
私はいまだにこの5人の中に、なぜ自分が居れているのか不思議で。ちょっとした奇跡だと思っている。本当に居ることができてよかった。と思っている。
40代に突入した今、結婚もして、子供もいるので、集まる頻度はかなり減ってしまった。
けど、頻度はすくなくなれど、変わらない。
いつも変わらない。
私たちは変わらない。
それがうれしい。
…
長くて拙い文章をもし読んでくれた方がいたら、大変ありがとうございます。