小説「具体的だもの」(原題:「👻⚡🚙⚡👻」/原作:平井召正/和訳:石見透(非おむろ))
具体的な報
酬をそうやって提示されては、こちらも語らざるを得ないねえ。う~ん……つっても私はそう弁の立つ方では無くてね。おまけに、この良い匂いの影響で、唾液が、もう……喋り難いわ! 朝飯啖(く)ってなくてねえ、こちとら……。──まあ、兎(と)まれ角(こう)まれさっさとお話を終わらせて、報酬を頂きましょうかねェ。ケヒヒヒヒ!
しっかし、久方振りの雨だわこりゃ!
木村ァ……の前に、鮃ェ……の前に、あれか、盗撮王のところから話をしなきゃならんかねェ。まあ、こちらとしても、一度見聞きしたことを立体的に組み立てて、
(まあ、多分こういうことなんだろう。)
と思っているだけだから、他の霊の情報と食い違っていたらスマンね。……って、そんな前置きは釈迦に説法の亜種で、不要か。アンタ、〝この業界〟、長そうだもんねエ。
では、話すには話すけど、霊っつっても万能じゃないし、私は甚だ空腹であるからして、軽く話すだけだヨ! 途中で飽き乍(なが)らも個人で作った出来の悪いゲーム攻略サイトみたいになっちまうだろうけど、宜しくね!
扨(さて)ェ!
空梅雨が地
表を炙り、炙り、炙り、甲斐の山峡(やまかい)は一切六月らしからざる六月を迎えていた。真夏も真夏の様相を呈していた〝去年(こぞ)の〟六月の朔日、六名が甲府刑務所早川刑務支所を出所した。
渠等(かれら)はそれぞれ此処南巨摩郡(みなみこまぐん)に所縁(ゆかり)のある者ではなかったし、抑も入所日だってバラバラだった。甲府刑務所早川刑務支所は甲府刑務所の刑務支所の中でも最大級の施設であったこともあり、〝おつとめ〟中に渠等六人(むたり)に関わりは無かった。
渠等六人の〝はじめまして〟は、出所後の勤め先で、だ。
有限会社斑猫(ぶちねこ)ブセニッツは中小企業ではない。零細企業である。万年人手不足であったのに加え、老練社員二名の〝退職〟が痛手となり、去年の六月、㈲斑ブセの代表取締役・鮃 鮪🉅(ひらめ しびだ)は二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなっていた。
騎馬民族の末裔である鮃社長はややこしい事情を大量に抱えている六十九歳で──ああ、去年の時点では六十八歳ね──詳しい事情は省くが、兎に角金が要る。そんな折、看守等(ら)との人脈(じんみゃく)を生かして、渡りに船と許(ばかり)に、例の出所直後の六人を召し抱えた。去年(こぞ)に劣らぬ空梅雨(からつゆ)なれど、恵みの雨が六滴、鮃社長へと降り注いだのだ。
六人は六人で、世知辛き憂世(うきよ)に〝完全に自由な〟就職の光明なぞ一切無く、扨(さて)、冗談でも何でもなく本当に縄と位置エネルギーを用いて首をあーだこーだするか、というような暗澹たる状況だったので、一も二も無く飛びついた。ダブリュー・アイ・エヌ・ハイフン・ダブリュー・アイ・エヌの関係、というヤツだ。
いくら霊と
雖(いえど)も私も密着取材を日毎夜毎に四六時中やっているわけではないので、詳細不明なことが多いが、有限会社斑猫ブセニッツは夜間工事の交通整理を生業(なりわい)とする零細企業である。……が、その肩書きからは想像も出来ない程に儲けている会社だ。安定して儲けているという訳ではなく、ムラっ気というのだろうか、〝波〟がある。会社単位での〝副業〟として、何かをやっているのだろう。ハイリスク・ハイリターンを絵に描いたような何かを。が、まあ、それはいいとして……兎に角、六人は一年間を経る中で、金欠で放浪するような事態にはならず、人並みの生活を営むことが出来た。「兎に角」という言の葉は私の口癖でも何でも無いのだが、この話、込み入った事情が所狭しと躍っちょる故、何(ど)うにもこうにも、「兎に角」という端折りと区切りの静音チェーンソーで、整理して淡々と告げてゆかねばならぬのだ。私も、苦しいのだ。なんせ、腹が減って、もう、さあ……。
閑話休題。鮪🉅乃御父貴(しびだのおじき)、鮪🉅乃御父貴──と六人は鮃社長を慕ってついて来た訳で。──そんなこんなで年が明け、今年に入った。六人がもうすぐ入社して一年となるという、そんな、今年の、六月と相成る六日前の晴れた宵のこと。
シフトは原則二~四人を一班(ひとはん)として散る形式で、その時は偶々、元からいた社員である焙煎 五十三(ばいせん いそみ)、チャック=〽=篩(ふるい)、活 快卌(かつ かいしゅう)の三人(みたり)が〝現場〟へ入っており、事務所には鮃社長と六人が居た。
六人はソファーに腰掛ける等めいめいの場所にいる。事務所にて、鮃社長はブラインドを調整した後、防弾硝子(ガラス)越しに夜空を見上げ乍(なが)ら、右眼を蔽いたる眼帯を撫でつつ、ラム肉が入ったメスシリンダーを片手に呟いた。
「そう云やあ、お前等(めえら)が入社してからもうすぐ一年か、早いナ……。皆、〝仕事〟の──フフフ、〝本業〟の嚥下に加えて〝副業〟の咀嚼が速くて、非常に助かったゼ……。」
コレマタ防弾硝子越しに居待月(いまちづき)が、南部(なんぶ)の町の山河や田畑(でんぱた)を睨んでいた。
金献「……なんの……。悉(ことごと)く皆、鮪🉅乃御父貴の御蔭で御座居まさァ。」
鮃「おいおい、男に褒められたって嬉しかァ無いぜ。」
茶岡「然(さ)らば、私奴(わたくしめ)が。」
鮃社長の肩にそっと爆乳を押しつけ乍(なが)ら、茶岡(さおか)が、鮃社長の持つラム肉入りメスシリンダーへラム酒を注ぐ。これで、ラム肉入りラム酒入りメスシリンダーと相成った。
鮃社長が、爆乳の茶岡から酌されて、どう思ったかは不明だ。更に云うならば、爆乳の茶岡ではなく、逆に、普乳のバドフルリレーや貧乳の三浦から酌して貰いたかったかどうかというのも、不明だ。そこを詮索するのは、ポリコレ(ポリプロピレン・コレクターのことだ)に反するだろう。
鮃社長は茶岡に〝お礼〟をした後、誰にともなく、述べた。
「己(おれ)ももう歳だ……。それに、先々月の一件の稼ぎで、野暮用の為の金にも遂に困らなくなった。有限会社斑猫ブセニッツを畳んで、日本国から去ろうと思う。」
居待月への呟きだったのかもしれない。そんな風に感じさせるような、何気ない、語り口だった。
血川「鮪🉅乃御父貴、お戯れを……!」
鮃「冗談では、ないんだな、此(これ)が。」
木村「……そんな……。」
三浦「……えぇ……!?」
鮃社長は、本当に社を畳もうと考えていること、具体的にはあと三ヶ月だけ古株の焙煎、チャック、活と共に閉業に向けての〝締め〟をしようと考えていることを告げた。
鮃「己(おれ)は、最後にお前等みてえな兵隊、いや、家族を持てて幸せ者(モン)だったぜ。」
六人の胸に一年間の思い出がいっぱい去来し、何かを云おうとしたが、静寂を冒瀆する者は遂に現れなかった。そりゃあそうだ。鮃社長は、目的の金額まで稼いだのだ。加齢も実際発生している現象だし、何より、
(日本国に居ると、この人、命がいくつ有っても足りないんじゃないかな……?)
と、六人中六人が十一ヶ月程前から強く思っていた。それに、筆頭株主兼代表取締役が閉業すると口にしているのだ。反駁(はんばく)も屎(くそ)も無い。
本棚の地球儀を視線で舐めた後、バドフルリレーは泣き始めた。長身だが、小さく見えた。
何(ど)れ程経ったのだろうか、鮃社長は六人に退職金入りの封筒を配り始めた。
「済まねえな、先月焙煎の改造原付が撃たれただろ? アレが痛くてなあ……。一人六百万円は用意する筈だったんだが、本当に済まない。百六十六万円掛ける六名だ。……流石に、少な過ぎるか?」
真逆(まさか)! とんでもない! 御冗談を! ……そんな言葉の雨霰(あめあられ)だった。今迄の御恩で充分過ぎる程に充分、寧ろ我々がお返しをせねば……という旨の声の大合唱だった。
鮃社長は、愛されていた。
それから夜
が明ける迄、七人(ななたり)は語り明かした。
その中には、こんな話もあった。
鮃社長曰(のたまわ)く、
「お前等、馬坂 乳母稜威(ばさか うばいつ)って知っているか?」
と。
木村「馬坂……! 無論です。」
金献「あの、都市伝説の〝東海道の盗撮王〟ですね……?」
鮃「都市伝説、と来たか! ハッハッハッハッハ。」
茶岡「人面犬だとか、口裂け女みたいな……酒が飲めぬ齢(よわい)の者の酒の肴みたいな、愉しむ為の捏(でっ)ち上げの咄(はなし)ですよね?」
鮃「……扨(さ)~て、何(ど)う乎(か)な?」
血川「……矢っ張(ぱ)り、実在するんですか?」
鮃「ほう、こちらは、矢っ張り、と来たか。う~ん、奴も怪人冥利に尽きる、と云うか、犯罪者にとっては褒め言葉である、と云うか……。」
バドフルリレー「若(も)し仮に馬坂乳母稜威が実在するのならば、襲名制でなければ、余程高齢かと……。」
鮃「ふむ。冴えとるなバドフルリレー。」
バドフルリレーは静かに絶頂した。名を呼ばれたからだ。
鮃「口は災いの元であるからして、そう全てを云うわけにもいかんが……。」
三浦「はい……。」
鮃「……いかんが、今後、お前等が奴の弟子と対峙することがあったら──と思うと矢張り全く云わぬのもいかんし、ま、或る程度までは云うか。」
そうして、鮃社長は、馬坂に纏わる色々(エトセトラ)を語った。
・馬坂 乳母稜威(ばさか うばいつ)は別名を〝東海道の盗撮王〟と云う。実在する人物である。
・馬坂は鮃社長より〝一回りぐらい上〟だそうだ。
・癌の治療が上手くいって再びデジタルスポーツ宮内庁で働き始めた高齢者がいるが、その者は(鮃社長の話を聞く限り、どうやら)馬坂の友でもあり、鮃社長の友でもある人物らしい。
・馬坂の一門は盗撮の他に、弓術に秀でている。また、暗視スコープも常備していると思った方がいい。眼鏡も何も掛けていないような者でも、最新のコンタクトレンズ型暗視兼盗撮機器を眼球に(コンタクトレンズ同様に)装備していないとは限らない。
・奴等は符号として、出刃包丁の刺さった椅子のような絵をよく使うらしい。この出刃椅子印(でばいすいん)は馬坂一門が公表している家紋等ではなく、寧ろ極秘中の極秘のマークらしい(鮃社長がどうやってこの情報に辿り着いたのかを血川が訊いたが、はぐらかされた。)。
・一般的な馬坂一門の〝兵隊〟は基本は弓術なのだが、用心棒としてなのか弟子としてなのか、拳闘術や状術だか棒術だかを使う連中も馬坂直属の部下にはいるらしい。その少数精鋭の接近戦部隊の中の連中が、ここ何年かで幹部へとのし上がったらしく、馬坂一門内も荒れているとか。
・来月、即ち六月になると、馬坂も愈々〝撮弓(さっきゅう。カメラ付きの弓。)〟の特許を球にして手放すとのこと。世代交代。馬坂が遂に隠居する。
・特許についてだが、具体的には、東濃特許許可局と契約済みの特許鉄球(通称・ちんたま)の入手が、〝撮弓〟の不労所得獲得への唯一無二の旅路らしい。これは先述のデジスポ宮内庁の友からの情報だ。鮃社長としては、この件は半信半疑ならぬ七信三疑ぐらいの感覚のようだ。
鮃社長は馬坂と会ったことはございますか──と三浦が問うた時、鮃社長は不敵な笑みを掲げつつ、沈黙した。
刹那、夜風が、防弾硝子を舐(ねぶ)った。
その話は鮃社長により、
「ま、興味があったら六月、隣町の身延町(みのぶちょう)に注意しときゃあ。どうやら馬坂は部下とは別筋の代理人を使って、〝撮弓〟のちんたまを身延町のどこかに放つらしい。放つっつっても、まあ、具体的には射出するんじゃなくて、隠す、ってところだろうけどな。……この別筋の代理人ってェのは、案外と云おうか案の定と云おうか、アイツ──〝友〟なのかもなァ……。ま、〝撮弓〟のちんたまを本気で捜しているのは馬坂一門の弟子共だろうから、お前等ももし身延町で〝遊ぶ〟んなら気を抜くなよ。弓っつうか、矢なんか、見てから躱(かわ)すのは先(ま)ず以(もっ)て能(あた)う可(べ)から不(ざ)る也(なり)。〝見る前に躱さなきゃ〟なァ。ハッハッハッハ!」
と締められ、別の話題──食物繊維やニュートリノ、JR各社の経営状態等だ──へと移っていった。
翌(あく)る朝(あした)。六人は、借りていた桑原製軽便拳銃等を全て返却し、有限会社斑猫ブセニッツを退職した。
とまあ、そ
んなわけだが──いやあ、腹減ったね。私ゃ、もうちょっと省略して述べることにするよ。
っつっても不親切だから、六月の件(くだり)の前に、六人の簡単な紹介だけでもするぜ。サラッと行こう、サラッと。
一人目。バドフルリレー=Q=ンペユモヲヴヱヰ。二十八歳前後と思われる女性。あ、年齢や性別は全て私の調査若(も)しくは見た感じだから宜しく! 間違ってたらスンマセンってことで。地毛は濡羽色(ぬれば)いろの天然パーマで、日本人と全く以て似た髪なのだが、入社してからストレートパーマをあてて金髪にしている。ポニーテールにしていることが多い。父はギリシャ系でキプロス共和国におり、母はトルコ系で北キプロス・トルコ共和国にいる。が、生まれも育ちも孤児院で、母語は日本語、喋れる言葉も日本語のみだ。美脚。甲府刑務所早川刑務支所に入っていた理由は、松本空港内の助詞・助動詞喫茶店で非正規雇用の労働者として勤務中に、最も盛況なお昼時に店主・林 左(はやし たすく)の指示通りに店内BGMのゲインを構ったところ、166dB出てしまい、自分を含む空港内の粗(ほぼ)全ての蒼氓(たみ)の鼓膜を逝去させてしまったから、だ。爆音罪。尤も、本当に爆音罪に問われるべきなのは林店長なのだが、冤罪により獄(ひとや)へ追い込まれた。六人の中でも特(とりわ)け、代表取締役・鮃 鮪🉅(ひらめ しびだ)に心酔していたようだ。長身普乳で、ヌンチャクを使う。決め台詞は、
「汝(なんじ)も亦(また)泡沫(うたかた)の擬音ぞ! 夜露と消え、朝露と去れ!」
決め台詞って何だ。
二人目。三浦 送炎(みうら そうえん)。三十六歳前後と思われる女性。短髪。寡黙。一人っ子であるにもかかわらず、両親に〝難が有り〟壮絶な家庭環境で育った為、足音や気配を消すのに長けている。家庭や学校やアルバイト先や部活、各所でのストレスがMaximumに達し、遂に混雑している図書館の、カウンターにも近い最も混むテーブルで五平餅を焼き始め、取り押さえられた。図書館内餅類調理罪の現行犯で、即お縄。六人の中で最も、ムショ暮らしが長かった。先天的なことなのか後天的なことなのか判然とせぬが、朝に弱い為、看守からかなり責められてきた。現在所有している自動車はホホノヤマテ社のンヤゴナ改二。熨斗目花色(のしめはないろ)のSUV。中くらいの背丈の貧乳で、引き締まった肢体から攻撃を繰り出す。その際に、自前の竹製メリケンサックが使用されることが多い。両脛の蟹のアップリケが、御洒落(おしゃれ)。決め台詞は、
「地球(ここ)は図書館だ!」
ねえ、だから決め台詞って何?
三人目。茶岡 移場質(さおか いばたち)。二十一歳前後と思われる女性。可愛い。が、同性からは滅茶苦茶嫌われそうだなコイツ、という印象を誰が見ても一発で抱くであろう──という、印象だ。あくまで、印象だ。小中高と剣道部だった。学生時代は下ネタが嫌い(と少なくとも周囲には云っていた)だったが、葦鷹彦(いようげん)新聞社に入社し、業界の負の側面を瞬く間に吸収し、色んな意味で搦手・寝技のエキスパートになる。あとは、酢だこが好きだとか、天気予測能力に長けるとか、長年会っていない兄が関東地方にいるとか、色々。身長は百五十糎(センチメートル)を下回っている。そうそう、なぜ入所していたかというと、葦鷹彦新聞社の巻夕部署(まきゅうぶしょ)の記事制作を任されて、すっかりマスメディア特有の暴走をしてしまったからだ。巻夕(まきゅう)というのは、葦鷹彦新聞社の目玉商品である〝竹簡の夕刊〟である。非新聞紙。出所して入社してからは外ハネのカールの茶髪。なお、マスメディア特有の暴走、というのは、ありもしない〝つけけつ毛ブーム〟の記事を拵(こしら)える為に、或るロープウェイの中で老若男女を脱がしまくり、菊門を撮影しまくった。山頂にて菊門撮影罪で須臾(しゅゆ)にして捕縛。出所後は発泡スチロール製の太刀を佩いており、物に擦って怪音を出す。あとは、普通に蹴ってくる。爆乳。決め台詞は、
「本質を……斬る!」
本人の立ち居振る舞いと台詞があまり合っていないように感ぜられるが、若しかしたら外的側面(ペルソナ)を剥がしたその奥の本人の本質とは、ガッチガチに合致しているのかもしれない。そこは、分からない。
四人目。ここからは、残念乍ら男性だ。聞き流してくれても一向に構わない。〝これ〟が動画媒体だったならば、迷わずシークバーでクイッと時をすっ飛ばしているところだ。で、四人目。木村 抹設沼(きむら まっせつしょう)。三十二歳前後に見える男性。大男の部類だが、太っておらず筋肉質。女性の年齢はメイクもあって分からないが、男性は男性で観測者(こちら)側に興味が無いこともあり、著(いちじる)しく分からない。どうでもいい、と云った方が正しいかもしれない。包茎だが巨根。修行の末に独立し、サッカー場でヨーグルトの天ぷらを売る仕事をしていたのだが、〝或る蟲〟が大量発生し、自己破産を余儀無くされた。精神が崩壊した後にいつもの格好でサッカー場を訪れ、ふらふらと彷徨い乍ら擬音を連呼。その日一日、サッカーも見ずに擬音を連呼し続け、ロスタイムの最後の一分で何らかのフラッシュバックを起こしたらしく、突如ピッチに降り立ち主審へ頭突き。対主審頭突罪と終日擬音連呼罪の二つの罪で、二本のお縄。現在はチアイアチ社のコンパクトカーの中でも、知る人ぞ知る鬼畜じみた四駆のナソ⚡︎ルペを〝或る業者〟に依頼して改造を施した個体に、報情(むくいなさけ)という名をつけて可愛がっている。御召御納戸(おめしおなんど)のボディーに空五倍子色(うつぶしいろ)のルーフのツー・トーンである。この自家用車を除けば或る一つの得物(えもの)を持ち歩くことはしない質(たち)で、殴るだの蹴るだのという場面においては、ムエタイに似た格闘スタイルであると評してまず間違いはないだろう。黒髪で、長髪とまではいかないが、元は角刈りだった髪型を何か月か放置した後のような何とも言えない髪型をしている。凡庸な髪型とも、普遍的な髪型とも云えなくはない。決め台詞は、
「ガソリンを嗅ぎてェか?」
言われた側は、
(は、はあ……。)
といった感想しか出て来ないと思われがちだが、この台詞が出て来る頃はもう〝聞き手〟は折れていない肋骨の方が少なくなっているような状況なので、正直、決め台詞どころではないだろう、という意見も(私の脳細胞の一部では)有る。
五人目。金献 関昏(きんこん かんこん)。二十五歳前後と思しき男性。サラサラの長髪に丸眼鏡だが、スポーツマンや格闘家のように引き締まった体つきをしている。入社して半年が経つ頃には既に〝ヒラシビ二世〟との異名を擅(ほしいまま)にした投擲術の若き鬼。業界内では精鋭揃いとして恐れられる有限会社斑猫(ぶちねこ)ブセニッツだが、その中でも擢(ぬき)ん出た戦闘能力があると社外の人間に認識されている。鮃 鮪🉅(ひらめ しびだ)の二世たりえるという声も強(あなが)ち的外れではない。包茎。公共交通機関を好む傾向があり、運転免許は有していない。豚箱へぶち込まれた理由は、亜鉛のサプリの会社の全社員を半殺しにしたから。元々、亜鉛のサプリを転売しようとしたのだが、商才が無いというか、莫迦(ばか)と云わざるを得ないというか……亜鉛のサプリを大量に定価で買って、パッケージを独自のブランド『マポマポ鉛に亜ぐ錠!』に変更して買った値段の一・五倍の価格で売る心算(つもり)だったらしいが、売れるわけもなく、怒り狂って気がつけば購入した亜鉛のサプリの会社の全社員を半殺しにしていた──というパターンだ。健康目的錠剤を扱う企業に属する社員への暴行に関する法に抵触し、逮~捕(タイ~ホ)。決め台詞は、
「日本を駄目にすンじゃねェ!」
そんなことを叫(おら)ぶ割には清王朝時代の満洲服に酷似している服を着ていることが多い。
六人目。血川 流児(けつかわ ながるじ)。幼名・羗羗(えびすああ)。四十歳前後か。顎鬚は無いが、口髭が凛々しい男。短身痩躯のオールバックの人物で、本来の用途で使うベルトの他に二本のベルトを腰に巻いており、時折それを鞭として用いて闘う。無地の紅緋(べにひ)の半袖半ズボンをしていることが多いので、低身長の割にやたら目立つ。だが、それ以外の服を着ている時も勿論あるだろう。野球中継をよく見るんだと本人は云っているが、プロ野球や高校野球は一切見ず、社会人野球のみのようだ。野球のルールをイマイチ把握しておらず、軟式、準硬式、硬式の区別もよく分かっていない。巨根。俊足。このあいだの秋に敵に日本刀で斬られ命を落としかけたが、何とか治った。この騒動の時に愛車であるチアイアチ社の中古の軽トラックが爆散した為、冬からはスシャガール社のトッケリク661を乗り回している。あまり評判の良くないMTのトールワゴンだが、中古にて廉価(れんか)だったので購(あがな)った。鶸茶(ひわちゃ)のボディーで、サンルーフも開く。そうそう、野球のルールもよく分かっていないのに社会人野球の中継ぎとして登板したのだが、その時に九連続エンタイトルツーベースを打たれ、監督に降板を告げられた際に怒り狂い──何への怒りだったのかは分からない──信じられぬ程の大声で、
「安全進塁権って何なんだ!?」
と絶叫し、敵球団、味方球団、会場に応援に来ていた(というより、社会人野球なのだから、〝柵(しがらみ)によって嫌々出席させられていた〟)観客達、警備員、後で来た警官……総勢一万名を半殺しにした。最後、警官の中でも特別機動部隊が扱った機関銃から発せられた護謨弾(ごむだん)で全身を骨折し、鎮圧と相成った。五桁半殺罪(ごけたはんごろしざい)の現行犯逮捕者は、何年振り、いや、何十年振りだっただろうか。尚、決め台詞は、
「噫(ああ)!」
云ってろ。
六人の簡単な紹介も終わったし、もうこれでお話、いいか? ……え、駄目? 厳しいねェ。じゃあ、六月の件(くだり)に触れるかね。
っつっても、起こったことを端的に語るだけだヨ? アンタもだいたいは知ってるんだろ?
今年の六月
。……の一日前。五月三十一日、金曜日。
有限会社斑猫ブセニッツを六人が退社してから、五日……いや、四日か? 算数は苦手でね。まあ、数日が経過した日の、朝。そこから語り始めるよ。
扨、淡々と語ろうにも、複数人が同時に動いていたわけだからなァ……。
朝も朝。下部温泉郷にて、一人、足湯に入る男がいた。
例年ならば足湯は午前八時半からなのだが、今年は下部温泉郷の幹部同士の微妙な小競り合いが思わぬ影響を生み、足湯は午前四時からやっている。発狂の一種のようなその足湯にて、一人、足を温めている男。
場所としては、身延町(みのぶちょう)の右の方である。
その男が足を温め始めてから四半刻(しはんとき)──即ち、三十分程経過した時、丸山公園という山の中の公園にて、或る者と或る者がお互いみのぶまんじゅうを片手に会っていた。足湯の場所と同様に身延町ではあるのだが、足湯の場から南へ九粁(キロメートル)程進まぬと辿り着けぬ丸山公園。お互いに声が聴こえる筈も無し。
丸山公園には二人の他に人はいなかった。抑(そもそ)もこの公園は、JR身延駅から近い筈なのに、駅を裏手に廻って山道を結構ゆかねばならぬ難所。無人が常だった。
「よく来てくれたね。拙者、てっきり、来てはくれぬかと。」
鈴を転がすような声だった。爆乳帯刀茶髪、茶岡 移場質(さおか いばたち)。今日の茶岡は、上は桃色のTシャツの上に黒ジャージを羽織っており、下は紺のチノパンだ。
茶岡と並び、黙ってみのぶまんじゅうを齧っているのは、悪人面で筋骨隆々の巨軀。灰色の緑版のような色──千草色(ちくさいろ)のツナギを着ている。
「……何かの罠か? 茶岡。」
「あっ、ひどーい。」
存在そのものがハニー・トラップである茶岡の至近距離に居り乍ら鼻の下一つ伸ばさずにみのぶまんじゅうを咀嚼するとは、流石は木村 抹設沼(きむら まっせつしょう)である。
その後、茶岡が酷く芝居がかって〝告白〟をしたが、木村は、
「どうせ〝撮弓〟の特許鉄球の情報が目当てだろう?」
と一蹴。
「ちんたま目当てじゃないもん! 拙者は、本当に、心から、木村のことを……。」
と泣き出す茶岡を背に、木村は去った。
去った直後、噓泣きを止めた茶岡は、特に舌打ちをすることもなく、無表情に限りなく近い、〝まあ予想通りだな〟といった表情を朝焼けの公園に晒していた。
下部温泉郷の足湯の方はというと、もういい加減に出るか、と金献 関昏(きんこん かんこん)がのびをしていたら、視界内を鶸茶(ひわちゃ)のトッケリク661が東へと横切ったのが見えた。
(……血川……か?)
南巨摩郡で血川 流児(けつかわ ながるじ)の他に鶸茶のトッケリク661に乗っている者はいない。驚異の不人気車種で、生産終了さえしているのだ。まず、そうだろう。
(何だったんだ……?)
そう思いながら足を拭いていると、今度は、心做(こころな)しか気が重そうな足取りで、東へと歩んでいる金髪の女性が視界に入ってきた。金献は元㈲斑ブセ社員の中でも特に優秀で〝ヒラシビ二世〟とまで称された男。殆ど忍のようなものだ。反射的に隠れ、やり過ごす。
(あれは……バドフルリレーだったな。あいつら、扨は、〝撮弓〟の特許鉄球・ちんたまを求めて、結託しているのか? ……それとも、単にデキているのか?)
そんな表情を、金献はしていた。──いや、これ、私の調査ですからね!? いくら霊と云っても、読唇術は出来ても読〝心〟術となると容易に非ず。まあ、独断と偏見も若干込みの、補足と思って下さいヨ、心の声は。
金献は、血川の、この一年で相当良くなって来ていたものの、方向音痴というか、地図の読めなさというか……地理知識の欠如を、思い出していた。入社当初の血川は酷いもので、山形県と山口県の違いも覚束無かった。山梨県内の地名もちんぷんかんぷんで、石和温泉(いさわおんせん)や笛吹市(ふえふきし)のみならず、甲府市(こうふし)を知らなかった。一度、血川は社内で〝小生(しょうせい)は長野県東温市(とうおんし)の出身だ〟と云っていたことがある。長野県東御市(とうみし)出身なのか、愛媛県東温市出身なのか、はたまた別の市町村の出身なのか、判然とせずに終わった。そんなことも、あった。
で!
足湯から東
へ東へと下部川沿いに進んだところにある、湯町ホタル公園。六月の宵は蛍で賑わう此処も、この早朝は二人しかいなかった。
一人は血川 流児。もう一人はバドフルリレー=Q=ンペユモヲヴヱヰである。
朝焼けが血川の紅緋(べにひ)の半袖半ズボンを、より一層紅に染める。
血川はバドフルリレーに愛を告げた。茶岡の演技とは異なり、これは、本当の告白のようであった。
バドフルリレーは断るような口調で歯切れが悪く話し始めた後、〝答えを保留〟した。その後、血川は、
「それならば、〝撮弓〟の特許鉄球を入手して、君にあげるよ。それで、結婚してくれないか。」
と述べる。
「……交際だとか、結婚だとかはちょっと、ウチの中で整理が出来ていないから一寸(ちょっと)保留させてね……。……御免ね……。……ちんたま探しについては、ウチも手伝うよ。これは、その、交際や結婚を抜きにした、協力ってこと。だってどうせウチ、なんか、退社してから、燃え尽き症候群というか……なーんにもやる気が出ない感じだし。」
こんな具合でやや気が鬱(ふさ)ぎ気味のバドフルリレーは、血川とちんたま入手の共同戦線を、取り敢えずは組んだ。金献 関昏(きんこん かんこん)の読みは、中(あた)らずと雖(いえど)も遠(とお)からず……いや、というより、中(あた)っているような塩梅だ。
山梨県の至
る所に朝の弱い人物はいるかどうか、という話であれば、まあそりゃあ、いるだろう。併(しか)し、筋金入りの朝が弱い女性といえば、この貧乳の三十六歳を無視する訳にはゆくまい。
と、云っても、昨晩早々に春鶯囀(しゅんのうてん)──良き日本酒である──を呷って寝た為、三浦 送炎(みうら そうえん)にしては早起きな朝だ。朝というか、午前というか。
ゴルフ場の近くの、安宿での起床だった。ここの宿は丼勘定のお婆さんが経営している。三浦は昨晩、酩酊状態で雑に数連泊をお婆さんへお願いし、お婆さんも雑にOKしたのだ。
辛うじて午前である時間帯に、三浦は朝飯も食わずに身延山の方へと向かった。帯びている憲法黒茶のランニングポーチには、一応は少々、現代版の忍具のようなものも入っている。極めて微(かす)かな宿酔(ふつかよい)が、三浦をおちょくっていた。
退社から数日、〝撮弓〟の特許鉄球・ちんたまについて調べようと、或る時は下部温泉郷の風呂上がりの休憩場に、或る時は胡乱な輩が出入りする居酒屋に単身転がり込んでそれとなく探りを入れてみたが、案の定どこにも情報は無く、三浦は正直なところちんたま探しはややあきらめかけていた。今日なんかは、鉄球が落ちていたら拾おう、程度の軽い気持ちでお散歩をしているだけだった。いや、ほぼ、ちんたまのことなんぞ忘れていた。それよりも、次はどこに就職しようかとか、そういったことで頭がいっぱいだった。或る意味、正常と云える。
そういえば、と、三浦は思い出した。愛車であるホホノヤマテ社のンヤゴナ改二を昨日の夕方から、下部川沿いの空き地に放置したままだ。あの後、酒を飲んだから、其儘(そのまま)歩いて帰って来てしまったのだ。下部川沿いの空き地と云うのは、下部温泉郷から山中を東やら南やらへ進んだところにある。湯町ホタル公園への道の途中だ。
ま、いいか、と三浦は思った。もう既にぶらぶらと身延山の辺り迄来ているのだ。町の西側に来ておきながら、着くや否や態々(わざわざ)町の東側へと行くのも面白くない。
身延山ロープウェイは午前九時から午後四時まで。つまり、とっくに稼働している。
山麓の駅付近にて、ぶらぶら。
(別に急ぎでも何でも無いし、ロープウェイに乗るか徒歩で山頂するか、さて、どうしようかな……。)
そんなことを思っている(であろう)時、山麓から近いロープウェイの塔の根元のあたりに、チラリと人影が見えた。スキンヘッド?
見間違いかな……と三浦が思った矢先、結構、いや、相当三浦と距離が離れているにもかかわらず、そのスキンヘッドの人物と三浦は目が合った。
間違いない。
チャック=〽=篩(ふるい)だった。
三浦は駆け
寄って挨拶した。百五十五糎(センチメートル)・七十瓩(キログラム)の現役有限会社斑猫(ぶちねこ)ブセニッツ古株社員・チャック=〽=篩(ふるい)は、スキンヘッドで帽子も被らずに何かを探していたようだった。
三浦が挨拶をすると、チャックは笑顔で応じた。そして、相変わらず全身ジーンズ女だねえ、このジーパンの付喪神(つくもがみ)が、と三浦をイジったりした(三浦はデニムのジャケットにデニムのジーンズで、両膝に蟹のアップリケだ。)。
「もーっ、ま~た揶揄って~。……ところで、チャックさん、何をなされていたんですか?」
「……ん~……嗚呼、一寸(ちょっと)……掛け軸を落としてねェ、ほら、此処、寺が近いでしょ? というか、此処が寺みたいなモンでしょ?」
チャックの左耳に、いつもの韮のピアスが揺れる。
「僕(やつがれ)の知人の為に、住職に掛け軸を書いてもらったんだけどねェ……何か落としちゃったみたいで。へへへ。でも、無いからいいや。じゃ! お元気で!」
チャックおじさんは去っていった。
三浦が山頂に到着すると、御食事処へ木村 抹設沼(きむら まっせつしょう)が並んでいた。三浦は木村と特別親しかったわけではなかったが、木村の、諂(へつらい)や阿(おもねり)をどことなく忌むような寡黙さに三浦は一目置いていた。同時に、うっすらとだが、親近感を感じていた。
三浦は木村に駆け寄った。木村は流石にこの偶然の邂逅に驚いたようだった。更に云えば三浦が自分を尾行してきたのかと刹那の間のみ疑ったようだったが、別に尾行であろうがなかろうがいいか、といった表情で、共に入店した。
ゆば塩ラーメン。
この店の名物である。
二人は寡黙に食事を済ませた後、山頂の中でも特に見晴らしのいいあたりで、ぽつり、ぽつりと話し始めた。退社してからどうしていたのか、何故ここにいたのか、今日あった出来事の情報交換等……。正直、私はここらへんはあんまり聞いていなかったので、細部は分からないが、兎に角、木村と三浦は、富士山やその他を見乍ら、柄にも無く随分話し込んでいた。
その頃、金献は一人で身延町の真ん中のゴルフ場に行き、ゴルフはせずにレストランでカレーを食べていた。
また、バドフルリレーも単身、下部温泉に入浴していた。
問題は茶岡である。身延町から北へとはみ出して、呼んだ人と会っていた。場所は、市川三郷町(いちかわみさとちょう)のJR甲斐岩間駅(かいいわまえき)の近くの蕎麦屋である。
茶岡の色仕掛けを全く以て意に介さず、血川流児は五目蕎麦をさっさと平らげて去っていった。お互い、情報交換も無かったわけだが、血川はそれでも、時折発揮する──時折しか発揮しない──妙な鋭さで、おそらく自分は二番目ではないか、と読んでいた。そして、木村が一番目であったであろうことと、けんもほろろに突き放されたであろうことまで、察していた。約一年間同僚をやっていたことに由来する人間観察の積み重ねが、読みの精度を高めていたようだ。尤も、読み間違いも多いが、今回は冴えている。
血川は自分の分の金だけを払うと、さっさとトッケリク661で出て行ってしまった。愛車で南下。身延町へと再び入り、或る三箇所にて〝はがね、かすぴ、かえら〟を回収し、その後、落ち着いてノートパソコン等を構える駐車場へと移動した。
JR甲斐岩間駅近くの蕎麦屋から、お目当ての駐車場まで、仮に直接向かったとしたら東南東へと十粁(キロメートル)。十五分間の走行。併し、血川はこの重要な行事である三箇所巡りを経てから、お目当ての駐車場へと向かったのだ。
道の駅し
もべ。
血川 流児(けつかわ ながるじ)は朝、バドフルリレーには体調が悪そうだったこともあり、湯治を勧めた。そして単独でちんたまを追っていたところ、茶岡からCメールを受けた為、罠と知りつつ偵察に出向いたのだった。
そして、道の駅しもべに到着。陸の孤島のような立地で、四方を山に囲まれている。正(まさ)に四方山(よもやま)。
第一駐車場は人の目もあるので、道の駅の本体とはやや離れているが、第二駐車場に泊めた。国道300号線の中でも「本栖みち」の名を持つ道路が脇を掠めて東へと続いている。
血川は車中で、数日前に放っておいた監視カメラ付き蛍型小型ドローン・ョザゴィの映像と録音を確認し始めた。諜報において重宝されるこのョザゴィは全部で三疋(さんびき)──はがね、かすぴ、かえら。三疋とも最新の型番であるtype:G81-Rだ。高性能なだけあって高価である為、大量に所有するという願いは叶っていない。
昼下がり、車中でチェックを進める血川。
途中、一度だけ道の駅へ行った。水分の放出と補給の為である。
第二駐車場から道の駅へは、橋を渡らねばならない。常葉川(ときわがわ。ときわかわ、と清音で読む場合もある。)を越える必要があるのだ。
この赤い吊り橋は、行きは「よってけ橋」、帰りは「またきて橋」と名付けられている。帰りも粋(いき)とはこれいかに。
行きに蛙(かえる)を躱(かわ)し乍(なが)ら、一人、橋を行く血川。橋を渡っている時、川縁に、少しの区間だけ、杭を打って、綱が張ってあるのが見えた。あんな風に鳥渡(ちょっと)だけ張ってあるのも妙だが、あそこだけ危険なのかもしれない。真ん中あたりに茶色い何かが留まっていたので、猿か何かかと思ってよく見たら、木彫りの鳥だった。何故かは知らないが、綱の上に器用に固定してあると見える。威嚇用か鑑賞用か、微妙なところだ。
道の駅について水分をあーだこーだし乍ら、血川は、燃えていた。〝撮弓〟の特許鉄球・ちんたまを獲得し、不労所得を入手。物騒な世界から去り、この南巨摩郡ともお別れして、バドフルリレーと結婚し、何処かで幸せに暮らす。自分はその為に生まれて来たのだと、自らに強かに強かに云い聞かせていた。
そして、また橋を渡って車へ帰り、チェックの続きに戻った。
いや、我乍ら、よう空腹を我慢しとるわ! もう、話、これぐらいでええか!? 話、長くないか!?
え? まだ駄目? そう……。
夏至が過ぎ
て少しなだけあって、日が長いったらないが、それでも暗くなってきた頃。
下部温泉駅の周辺の或る定食屋に、女と男がいた。
男の方は、この店の名物・馬鹿丼を食べている。うましかどん、と読むのだと思ったが、ばかどん、なのかもしれない。馬肉(さくら)と鹿肉(もみじ)が丼の中で踊っている。
女の方はというと、やまめそばだ。
この店内で、金献 関昏(きんこん かんこん)は、女の方から提案してきた、一緒に風呂に入ることと、今夜一泊することの承諾を、してしまった。
そしてその宵、詳細は省くが、金献 関昏は混浴と同衾を経て、茶岡 移場質(さおか いばたち)に落とされてしまった。金献は、自分では女を落としているのだと思っていたのかもしれないが、主導権(イニシアチヴ)の本質は茶岡の掌(たなごころ)の裡(うち)に坐(ましま)すことと相成った。
なお、下部温泉駅の周辺の或る定食屋を二人が出た時点から、下部温泉郷の或る宿までを尾行した人物がいる。バドフルリレーだ。
バドフルリレーは何となく窓から闖入して茶岡を害そうかと迷った挙句、やめて、下部温泉郷の別の宿に宿泊することにした。
血川ははがね、かえらから大した成果を得られず、眼精疲労の中で、車中泊へと墜ちていった。水辺の諜報担当のかすぴのチェックがまだだったが、もう、眠くて眠くて仕方がなかった(私も、話していて、腹が減って仕方がないのだが……?)。
五月三十一日の夜は、渠等(かれら)、身延山の三人を抜きで語るのは難しい。
身延山。その山腹(さんぷく)の、身延山ロープウェイの塔のうちの一つの、根っこあたり。
まだ日付は変わっていない。天気でいえば問題無いのだが、今宵、下弦の月は日付が変わって数分経たぬ迄(まで)、出(い)でやせぬ予定だ。
暗闇。
詳細は割愛するが、長めの特殊警棒で、薙刀でいう面抜脛(めんぬきすね)──面を狙ってきた相手を引いて躱し脛を打つ技──を得意とするチャックは、二人相手に寧ろ優勢であった。チャックの面抜脛は、その低身長を最大限まで生かした変則的な技となっており、這うような姿勢から恐ろしい速度で信じられないリーチの下段攻撃が飛んで来る。
「……脛、折れてないか?」
「……大丈夫、だと思う、けど……。」
木村は三浦を案じ乍(なが)らも、チャックから目を切らなかった。ほぼ見えないのだが、厭でも夜目を利かせねば、鬼気迫るチャックの猛攻にやられ、二人共絶命しかねない。
そもそも木村は、三浦からの情報を元に、〝チャックは特許鉄球を探しにロープウェイ周辺に来ていたのではないか〟と推理し、あの山頂での邂逅の後、ずっと二人でロープウェイ周辺を調べていた。途中ゴルフ場へ夕食を食べに行ったが、わりとすぐに帰って来てロープウェイ周辺の調査を再開した。
で、チャック=〽=篩(ふるい)の奇襲を受けたわけだ。
木村は咄嗟に両(もろ)の腕(かいな)を公差させて常緑低木の南天の裏へと飛び退いた為、チャックの最初の強烈な一撃で骨折することは免れた。南天の木が木村の代わりに完全に破壊されたのだ。併し、衝撃がかなり吸収された後の接触だったにもかかわらず、木村の両腕は激痛以外の感覚を失う程に痺れていた。
その後のチャックによる二人への猛攻も、流石に有限会社斑猫(ぶちねこ)ブセニッツの現役社員といったところ。棒術の達人と対峙した時特有の〝結界を押し付けられているような感覚〟に、二人は、襲われた。
三浦もかなり攻撃を受けた。三浦は六人の中でも回避はかなり上手い方──血川に亜(つ)ぎ、銀メダルだろう──なのだが、時折、両脛の蟹のアップリケがサンドバッグのようにされた。
実力では完全に勝っていたように思われるチャックだったが、突然現れた熊に肩を咬まれ、斜面を転がり落ちていった。
木村は三浦を抱え、熊とチャックが転落していった東の沢を避け乍ら、麓を目指して南へと宵闇の山中を駆け下りた。
お腹が減っ
て気持ち悪くなってきた! 私ゃ、霊体になってもこんなに腹が減るものだとは思わなかったよ!
六月一日の土曜日へと日付が変わっても尚、血川 流児(けつかわ ながるじ)は淡々と、併し、執念深く水辺の諜報担当のかすぴのここ数日の映像を調べていた。監視カメラ付き蛍型小型ドローン・ョザゴィのtype:G81-Rという高性能機器であり乍ら、三疋という少数故に、どうしても本作戦は網羅的とはゆかぬ。情報は断片的で、遊撃戦士の趣だった為に、血川 流児(けつかわ ながるじ)は、このかすぴのチェックが終わったら別の手へと移行せねばまずいと冷静に思っていた。
チェックも、終盤に差し掛かっていた。
そこで、衝撃の映像と音声を摑んだ。電流が走った、とはまさにこのこと。血川の血液は完全に沸騰した。
血川は、〝身延町のどこかの蛍が飛び交う水辺でここ数日間低身長のボクサーのような者が潜伏していた〟ことを突き止めた。そしてそいつは、潜伏中の藪の中に〝或る紙〟を落とした。
その紙には、かなりデフォルメされていたが、出刃包丁の刺さった椅子のようなマークがあった。
血眼になってその場面の前後の映像を何度も繰り返し確認したが、どうも生い茂った葉が邪魔をして、紙に書かれている内容が全ては読めない。
ゾル■■■レト
ク■■■ヱユキ
■■■ルヰニ
■■ノプオ
■ウヤチ
ブノミ 印
上記のようになっていた(■は、葉に隠れている部分である)。整った手書き文字。一般的な黒のボールペンで書かれているように窺える。印は初めて見るものの、確かにあの夜聞いた出刃椅子印(でばいすいん)である。
──血川は内容を手帳へ書き写す。「トキ・レユニ」……? 「トキ」は時だとして、「レユニ」は……人名か? 慥(たし)か、大型の擦弦楽器の奏者で、海外にそんなような苗字の人が居たような……。或いは、暗号か? ──それは縦読み時の話だが、横読みだとどうなる? ……「ゾル」……? 〝コロイド粒子が液体中に分散していて流動性のあるもの〟を「ゾル」と云うが……。他に、「ゾル」から始まる言葉とは、何だろう。一九四一年の「ゾルゲ事件」? 抑も、暗号かもしれない。解読は後だ。
血川はかすぴのデータを再び見直した。これ、〝現場〟は何処だ? ボクサーが紙を落としたのは、身延町の、何処なんだ……?
六月一日、土曜日、早朝。
金献と茶岡は早起きして足湯にいた。多少の性行為もあったかもしれない。足湯には二人以外は誰もいなかった。
バドフルリ
レーは蕎麦屋に呼び出されていた。蕎麦屋と云っても、茶岡が血川が使った市川三郷町(いちかわみさとちょう)のJR甲斐岩間駅(かいいわまえき)の近くの蕎麦屋ではない。身延山病院の近くの蕎麦屋だ。ここの蕎麦屋は数年前から店主が発狂し、早朝から営業している。
血川はバドフルリレーを蕎麦屋へ呼び出し、二人でほうとうを食べ乍ら──ここの蕎麦屋では蕎麦よりもほうとうが吉なのだ──血川が今迄に得た情報をバドフルリレーへ伝えた。
「レユニ、や、ゾル、というのはよく分からないけど、」
食後、バドフルリレーは広げられた血川の手帳を指差しながら語り始めた。
「一字ずつズラしたりとか……「ゾル」は「ゼリ」か「ザレ」か……いや、もっと別のズラし方かも。そんなのかもしれない。ただ、〝ヰ〟や〝ヱ〟も入っているというのはポイントかも。五十音図に数字を当て嵌めて再変換したりとか。」
「ふむ。」
「けどやっぱり、解読に力を入れるにせよ、その、馬坂一門の御付(おつき)のボクサーが落としたという紙を入手しないとね。」
「ああ。と、いうわけで、これから湯町ホタル公園へ行こうと思う。映像のあの蛍の量。若しかしたら山中の沢の穴場なのかもしれないが、第一に考えられるのは蛍の名所、少なくともその近くだろう。身延町であることは確かなんだ。湯町ホタル公園へ行かねば。その周辺の藪が臭い。」
「昨日に引き続き、だね。」
バドフルリレーがそう云うと、二人の間に妙に艶っぽい沈黙が到来した。
《ダダツド、ダダツド、ダダツド、ダダツド、ダダツド……。》
その妙な沈黙が始まってから一分経ったか否か。独特の排気音が遠ざかってゆくのを、二人は聞き逃さなかった。
「この音は……!」
「改造ナソ⚡︎ルペ! 木村の報情(むくいなさけ)か!?」
店主が何事か!? 食い逃げか!? いや、テーブルに財布や手帳が置いた儘(まま)で逃げる奴なんか居るか!? ……と見て来たのも意に介さず、二人は玄関へ走り取り敢えず開ける──音の方を確認。遠ざかってゆくのは、報情(むくいなさけ)だ!
「聞かれたか!」
全身襤褸襤
褸(ぼろぼろ)になり乍ら宵闇の山中を駆け下りた木村と三浦は、身延山病院や身延町役場や蕎麦屋のすぐそばにあるタクシー会社の合同会社ブモッユ身延(みのぶ)の倉庫へと来ていた。ここは、県境無き闇医師団・し~*ROUGH(らふ)のアジトの一つでもある。
木村と三浦は診療を受けた。両者、全身の打撲も相当であったが、チャックが特殊警棒に何か遅効性の毒のようなものを塗っているかもしれないと考えた故に来たのであったが、毒に関しては杞憂であった。
木村と三浦は朝飯でも頂こうと蕎麦屋へ足を運んだが、駐車場に鶸茶(ひわちゃ)のトールワゴンを見かけた為、息を殺す。
念の為に三浦は憲法黒茶のランニングポーチをサッと開き、トッケリク661のマフラーの近くに発信機をつけた。ガム状の接着剤で付いており、意識的に剝がさなければまず取れない。
車中に人影は無かったので、蕎麦屋の外側から探りを入れる──窓辺のテーブルに、バドフルリレーと血川がいるではないか!
あとは、二人は別の二人の会話を盗み聞きして、我先にと話題の湯町ホタル公園へと向かった、というわけだ。
急いで会計をすませ、血川とバドフルリレーも、トッケリク661で湯町ホタル公園へ飛ばす──。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
同時刻、身
延山。
折り畳み自転車を降りた、ボクサー風の小柄な人物が不審にも朝靄に紛れてうろちょろしていると、妙な気配が茂みの向こうにあり。近づいてみると、スキンヘッドの人物が、満身創痍になりながらも熊を撃退していた。
「うわっ! オクビ!」
「……ああん……? ……ターイか……?」
スキンヘッドの人物──チャック=〽=篩(ふるい)は、撤退してゆく月輪熊(つきのわぐま)を睨み乍(なが)ら、一瞬だけボクサーを瞥(み)て、また月輪熊の背に目を戻し、云った。
「ずっと熊と闘っていたんだ。来るのならば、もう少し早く来て欲しかったね。」
「……ミーがオクビに加勢するかどうかは、ミーの自由だが?」
「あほか。お前の意思とは無関係に、お前の肉体を熊に投げつければ戦闘を押しつけることが出来るだろ。」
二人の間には妙な緊張感があるが、チャックがあからさまに満身創痍である為、今すぐ殺し合いに発展するような雰囲気は無かった。……ように、見えるが、実際のところは分からない。もしかしたら茶岡 任朗彅(さおか にほなぎ)の方は、チャックを葬る隙を静かに伺っているのかもしれない。
どうやらチャック=〽=篩(ふるい)は、有限会社斑猫(ぶちねこ)ブセニッツの現役の古株社員であり乍ら、〝オクビ〟というコードネームの馬坂門徒であるらしかった。スパイか二重スパイか──本命がどちらか、というのは、どの業界でも判断しにくいもの。泳がせ過ぎずに処分されるのがオチだが、チャックことオクビ──オクビことチャックは、老獪さもさること乍ら、単純にその特殊警棒による戦闘能力の高さを、両陣営から買われていた。そして、オクビ自身、両陣営に自分がスパイ──二重スパイであることが既に露見していることを承知の上で平然として振る舞っているような節もある。
ほんでもって、小柄なボクサー・茶岡 任朗彅(さおか にほなぎ)──長年会っていないが茶岡 移場質(さおか いばたち)の兄である──も、オクビと同様に馬坂一門の手の者であり、コードネームは〝ターイ〟であるようだ。
オクビとターイは協力関係ではない。同門として同じタイミングで東海道の盗撮王・馬坂 乳母稜威(ばさか うばいつ)から紙を受け取った。純粋な競争相手であるが、お互いが馬坂一門内での競争相手であるのに加えて、二人共〝馬坂一門でありながら弓使いではない派閥〟であるという、微妙な立場にある。所属と云うか、派閥を考えればそりゃあ協力すべきなのだろうが、二人とも自らの膂力(りょりょく)以外にあまり心を許す性(さが)をしておらぬ。
オクビは、今の状態ではターイに勝てぬと判断したのか、今迄の経緯(いきさつ)を伝え、これから闇医者のところへ行くと告げた。
「情報提供どうも。併し、その程度の情報では生かして帰したかァねえな。敵は少ない方がいいんだから。」
「何だ、ちょっかいを掛けてくるなら殺すぞ?」
オクビは満身創痍のように見えるが、眼光炯々、流石に構えも確かだ。ターイは内心恐怖を感じたが、平気な顔で、併し二歩程下がった。そして、お道化て云う。
「ケケケ、まあそう熱くなんなや。」
「どっちがだ。」
「……で、鉄球は見つかったのか? 隠すとためにならんぞ。」
「咄(はなし)を聞いていなかったのかお前は。儂(わし)はロープウェイの根っこを探しとる最中に襲われたんだ。見つけられちゃいないさ。」
「ほーん。……併し、あんた程の人が、盗聴器も無しにその木村某(なにがし)やら三浦某というのを返したとは思えんが?」
「……。」
「図星か?」
「ケッ! 儂とお前も何だかんだで付き合いが短くはないからな、仕方無い。こいつを受け取れ。」
そう云ってオクビは、液晶画面がついている小さな箱型端末を足元にそっと置いた。
「何だその不審物は? ば──」
「爆弾じゃないさ。この装置はコェシェコと云ってな、発信機を読み取る機械だ。俺はあの二人の攻撃なんざ屁でもなかったが、ちょいと熊にやられ過ぎた。大腿骨折れてるわコレ。だからもう、この案件はいい。それに、木村と三浦と事を構えたからには、もしかしたらあいつらが鮃社長にチクるかもしれねえ。嗚呼面倒が重なっていやがる。治療がてら、ちいと両陣営からフけさせて頂くから、お前、馬坂様やら弓陣営に夜露死苦。」
「4649ってあんた……まあ、いいけど。で、発信機を仕掛けたのか?」
「至近距離で三浦がテメエで持ってきていた発信機に、このリストバンド型識別番号盗み見スキャナーを近づけた。多分三浦は気付かなかったと思うがな。三浦という奴はウェストポーチ──ランニングポーチっていうんだっけ? ああいうの──兎に角、ポーチに発信機を入れている。三浦が発信機を宿に置き去りにしているか、誰かにひっつけて使っているか、今もまだ持ち歩いているかは不明だが、まあその発信機を辿って三浦を追えば、奴等に会えるだろう。──正直、奴等がどこまで特許鉄球の情報を持っているかは、分からんが。」
「なるへそ。そんなら有難く頂きたいが、本当にソレ、爆弾じゃないんだな?」
「取扱説明書も此処に置いておくぞ。小型爆弾だったら、普段から持ち歩きたくねえよこんなもん。誤作動して爆発したらどうすんだ。しゃあねえから試しに起動してやるよ、ほら、画面見ろ。」
ワンテンポ躊躇(ためら)ったが、ターイはオクビに近づいて、云われるが儘に画面を見た。オクビは操作をする。
「ほら。この画面を、自分のガラケーと見比べながら……あん? 動いてるな。」
「結構な速さに見えるが……三浦ってェのは足が速いのか?」
「足は速いし貧乳だが美人だ。併し、怪我もしていると思うが……いや、この速さは車だな。車に乗っている。三浦も木村も自動車を持っている。移動中なんだろ。」
実際には血川のトッケリク661だが、幸か不幸か、目的地は同じだ。
「東へと向かっているな。下部温泉郷か? ……まあ、分かんねえが、儂はここまでだ。じゃあ、三浦なり木村なり、好きに捕えて拷問しろや。」
「おう。……達者でな。」
「ヘッ! お前もな!」
チャックは西へ、茶岡兄は東へと去ってゆく。
一度だけ振り返り、オクビはターイへ云った。
「おい、木村 抹設沼(きむら まっせつしょう)には気をつけろ。以前は確かに〝魚平組(うおひらぐみ)〟では金献 関昏(きんこん かんこん)が擢んでていると云ったけどよ、儂から見れば、木村こそが組一番の実力者だ。気をつけろ!」
ターイは、振り返らずにゆっくり歩き乍ら右手を高く上げ、その掌を振って謝意を示した。
腹減ったか
らこれで終わりでいいか!? なあ!? ……駄目!?
じゃあ、端的に云うけどよ、その後、ナソ⚡︎ルペが下部温泉郷を通って、湯町ホタル公園へ急いだんだ。猛追するトッケリク661も続いた。
朝日の中を、だ。
目の前でその二台が通っているのに、足湯でいちゃついている金献と茶岡伊場質が見逃す訳もない。直ぐに南東へと、二台の後を追う。
その後をターイ──茶岡 任朗彅(さおか にほなぎ)が折り畳み自転車で出せるMAXのスピードの印象を超えたスピードで駆けた。
七名は湯町ホタル公園で当然、鉢合わせとなる。ターイは茶岡の兄であることを告げ、一同が動揺した一瞬の隙をついて、いきなり木村の顎を砕きにいった。左ストレート。
併し乍ら、オクビが秘かに一目置いていただけあって、木村は生半可ではない反応を見せた。急に側転、いや、側宙したかと思うと、バドフルリレーの腰からヌンチャクを盗み、ターイの渾身の左拳を避けただけではなく、ターイの鼻へカウンター。間違いなく折れた。鮮やかな鼻血が公園中に飛び散る。
金献とて木村をマークしていたようだ。稍(やや)大きめの石を拾い、木村の生命を断つには充分な投擲を実行。木村の頸椎へ向けて百七十km/h前後で石が飛来! それを……三浦が、竹製メリケンサックの上に飲み水のペットボトルを入れたランニングポーチを纏った右手で、弾く! 物凄い音がして三浦の体が吹っ飛ばされたが、木村を守ることに成功。生半可な動体視力では無いし、非常に危険な行為だったが、躊躇わずに三浦は木村を守りにいったようだ。
バドフルリレーは叫ぶ。
「一寸待って! 今ウチ等がやるべきことは、その茶岡の兄とやらを締め上げて、紙を見ることでしょう!?」
その叫びと共に、六人は静まり返った。
ターイは鼻血を噴出させ乍ら、折り畳み自転車に乗ろうとしている。
金献が、
「逃がすかよ!」
と叫(おら)び砂利を投擲するが、一旦折り畳み自転車から飛び退いてターイは見事に躱す。ボクサーじみた俊敏なステップだ。
一瞬のうちに間合いを詰めたのは、茶岡 伊場質(さおか いばたち)。爆乳のぶりっこ剣士だが、腕は慥(たしか)だ。
発泡スチロールの刀で、兄の耳周辺を斬り捲(まく)る。
「本質を……斬る!」
「そういうのがあざといんだよなあ、この屎女(くそあま)。」
妹の決め台詞も、バドフルリレーのぼやきも、鼓膜が破れたターイには聴こえなかった。慌てて妹を右アッパーで殴り飛ばす。鳩尾(みぞおち)に完全に入って、数米(すうメートル)吹っ飛んだ。
茶岡妹の嘔吐、放尿、脱糞をよそに、血川 流児(けつかわ ながるじ)が決めた。二つのベルトを使い、ターイの全身を刹那のうちに打擲(ちょうちゃく)。悶えるターイの手足を、その頼れる二つの得物で拘束した。ターイ自身がしていた血塗(ちまみ)れのベルトを奪い取り、自らの腰に巻き足した。
「噫(ああ)!」
勝利の音声──個人的な勝鬨(かちどき)である。
ターイは、
完全に気絶している。
茶岡妹はずっと嘔吐、放尿、脱糞をしていたが、彼女の背嚢から飲み水を取り出して彼女の枕元に置いて少々言葉を掛けた後、直ぐにターイの全ての服を脱がせた。縛った儘である。破ったりした。あと、ターイの持ち物──襤褸襤褸のナップザックをも、改めた。併し、紙なぞ無かった。
ターイに水をぶっかけたりして起こして拷問をする手もあるが、金献は先ずバドフルリレーに問うた。
「おい! ンペユモヲヴヱヰ。隠さずに云え。先程口走った紙とは何のことだ?」
バドフルリレーは苦い顔をして血川に横目で頭を下げた。血川は小さな声で、
「大丈夫だ。」
とバドフルリレーへ告げた。
金献は石を拾って叫(おら)ぶ。
「おい血川! お前とンペユモヲヴヱヰがいつから番(つがい)と相成ったのかは知らぬが、隠すならその女、屠(ほふ)るぞ。」
「そう威勢良く吠えなくとも教えるよ。物騒なもの投げんじゃねェ。」
そう云って血川は先程奪った血染めのベルトを左手に構える。
金献は、バドフルリレーは正直投石で絶命させること能うが、血川を敵に回したら正直〝遠距離戦でも〟勝てるか怪しいと思い、打算的に行動した。舌打ちをして、石を棄てる。
「では聞こう。」
血川は、これまでに自分が摑んだ情報を述べた。木村と三浦も、改めて──今度はきっちりと、情報を耳に入れた。
金献は、フン、とだけ発声すると、公園周辺の探索に入った。〝紙〟を探す気なのだろう。
「木村、ヌンチャク返して。」
「ああ、済まねえ。」
木村からヌンチャクを受け取ったバドフルリレーと血川も、探索を始める。
木村、三浦も、一瞬金献や茶岡妹の殺害が先か悩んだが、血川とバドフルリレーが藪を越えて下部川沿いに南東方向へと進んでゆくのを見て、探索を始めた。
「なあ、三
浦。」
静かな声で、木村は説明した。
「己(おれ)の愛車・報情(むくいなさけ)は、運転席や助手席からセカンダリオイルエレメントをイジれる特殊構造でな。走行中でも別途プライマリオイルエレメントは常に稼働しているから、切り換え可能なんだ。」
「何の咄(はなし)?」
「大切な話。」
「オイルエレメントって何だっけ?」
「……車の気合いを司る筒だと思ってくれればいい。気合い筒、だ。プライマリオイルエレメント……つまり主気合い筒は、通常の車と一緒だ。で、肝腎なのはセカンダリオイルエレメント……副気合い筒。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八種類の気合い筒を切り換えることで、特殊な力を乗用車に発揮させることが出来る。仁から順に、アーケロン、アノマロカリス、メガロドン、オバケエビ、メガネウラ、マントヒヒ、オリックス、ゴキ……いや、スカイフィッシュの気合い筒と思ってくれ。」
「オカルトの咄?」
「化学(ばけがく)の咄。」
「木村は、某(なにがし)とかいう辣腕業者に改造してもらってるんだもんね、報情(むくいなさけ)を。」
「その通り。で、もしかしたらこの先、大乱闘になり、己(おれ)の両(もろ)の腕(かいな)が無事に非ざる状況になってしまうかもしれない。其時(そのとき)は、三浦も操作を手伝ってくれ。或いは、操作をしてくれ。私が、指示を出すから。」
「あら、それは……緊急事態ならば、是非も無し、だね。難しいの?」
「操作自体は、エアコンの辺りやナビの辺りを弄ってゆくわけだが……手順なんかは先ず、一朝一夕では覚えられない。操作自体は簡単だ。」
「分かった。」
「アーケロン、アノマロカリス、メガロドン、オバケエビ、メガネウラ、マントヒヒ、オリックス、ゴキ……いや、スカイフィッシュの化石燃料がフィルターに練り込まれていて……って、詳しい原理はいいとして、それぞれの特殊機能を簡単に説明する。仁が〝鉄壁防御化〟、義が〝タイヤを増やす〟、礼が〝ボンネットの巨大化〟、智が〝目くらましや分身〟・忠が〝飛行〟・信が〝車の後方へ灼熱を噴射〟・孝が〝周囲の検知特化〟・悌が〝静音爆速走行〟。びっくりしないようにね。」
「……。……いや、びっくりするでしょ。やっぱりオカルトなんじゃないの?」
「まあ、そう反応すると〝業者のアイツ〟も喜ぶと思うが……全て化学(ばけがく)さ。タイヤを増やす、なんかも、内蔵してあるタイヤやシャフトをONにするというだけだ。だが、変形の為には通常のままでは完全にトルク不足だから、義のセカンダリオイルエレメント──アノマロカリス成分の入った副気合い筒が必要、ってこと。」
「それって、アノマロカリスの守護霊を纏う印象?」
木村は、ふと、この詩的な貧乳の女性を、愛くるしく思ったが、今は時間も限られている故、すぐまた説明に戻った。
「……まあ、守護霊というのは独特(ユニーク)な解釈だが、強(あなが)ち間違いでもないのかも。化石燃料が練り込まれていることは慥(たしか)だし。あ、でも、仁・義・礼、飛んで、忠、飛んで、飛んで、飛んで、」
「回って回って回って……?」
「……えーとな三浦、仁・義・礼・忠の副気合い筒は、品切れにつき、無いんだ。」
「あらま。結構莫いねえ?」
「そりゃ、アーケロン、アノマロカリス、メガロドン、メガネウラの骨なんて、そうそう手に入らない。」
「そりゃそうだ。」
「メガネウラは蜻蛉(とんぼ)なわけだし、骨とは云わないかもしれないけど。」
「まあ、事情は分かった。残りの四筒(よんとう)は健在なんだね?」
「ああ。オバケエビ、マントヒヒ、オリックス、ゴキ……いや、スカイフィッシュは、OKだ。車中にちゃんと、ある。」
「ほーん。え?」
「シッ……ほら、三浦。見て。此処。」
木村と三浦は、初めて、昼に蛍を見た。そっと見て、そっとしておいた。
計四人(け
いよたり)──それぞれの軍勢が一時間程探したが、見つからない。
その後、バドフルリレーはふと思い立って血川と共にトッケリク661へ帰り、映像を見せてもらった。半袖・半ズボンの血川は、昼に咬まれた脹脛(ふくらはぎ)の流血にうんざりし乍ら、バドフルリレーを車中へと案内した。
更に一時間が経ち、木村と三浦は茶岡兄のところへ帰って来た。相変わらず気絶している。公園の入り口付近へと、移動させた。これなら夕方、蛍を見に来た客が見つけてくれるだろう。それまでに死んだら、知らん。
茶岡妹はいまだにちょろちょろと嘔吐、放尿、脱糞をしていた。生きていて何より。
金献が帰って来た為、木村と三浦は構えた。
「……おい。ターイは如何(どう)した。」
金献の問いに、木村は答えた。
「入口へ放置したよ。死なれても寝覚めが悪かろう。それに、馬坂一門から下手に恨みを買っても面倒だしな。」
「フン。何を今更。」
「……ねえ。」
三浦が訊く。
「茶岡を介抱してやらないの? 病院へ連れて行った方がよくない? ……あ、妹の方ね。」
「フン。そうしたければ、お前がやりな。」
「な、何で……!? あんた達、付き合っているんじゃないの!?」
金献は丸眼鏡の奥で、凍てつくような瞳が黒焔を躍らせていた。
「何を云うかと思えば。この女はぼくを利用しようと近づいて来ただけさ。ぼくは逆に利用する心算(つもり)だったが……役に立たない道具だったな。全く。──まったく。昨日、今日と、奢らせやがって。余計な出費だった。阿呆雌(あほめす)が。……日本を駄目にすンじゃねェ!」
金献は足元に転がっていた茶岡 伊場質の股間を、思い切り蹴った。角度からして、陰核に直撃しただろう。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
普段の鈴を転がすような声からは一切予想出来ないような絶叫。茶岡は白目を剥いて、反り返った。
《ばあびい!!!!!!!!!! ばあびい!!!!!!!!!! びぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃ……。》
特大の放屁二発の後に、もう既に結構出ていた筈なのに、新たに軟便が流れ出る。
三浦は衝動的に金献に殴りかかろうとしたが、金献は一瞬で振りかぶった。いつの間にか金献は石を持っている──三浦にとって、拙(まず)い状況だ。あと一秒程度で、首の骨が折れるのだから。
「ところで
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
前代未聞の木村の絶叫に、二人とも身をビクッと震わせた。金献は石を取り落とし、自らの足の甲へと当ててしまった。
「あ痛って!」
「金献、お前、血川とバドフルリレーがいつから居なくなったか知っているか?」
「……あん?」
木村に問われて初めて、金献はこの公園から血川とバドフルリレーが消えていることに気が付いた──三浦も、気付いていなかったようで、きょろきょろする。
金献が自動車の方を見る──トッケリク661が無い。
「なあ金献。己(おれ)と三浦は特許鉄球の案件から引くよ。裏の世界からも、身を引く。もううんざりだ。俺と三浦をこのまま帰してくれ。」
己(おれ)。以前は──入社して少し経つ迄の人生では、木村は〝自分〟という一人称を使っていた。併し、鮃 鮪🉅(ひらめ しびだ)に──鮪🉅乃御父貴(しびだのおじき)に憧れ、一人称をも倣(なら)ったのだ。
〝ヒラシビ二世〟の筈の金献は、木村 抹設沼(きむら まっせつしょう)が完全に鮃社長と重なって見えた。文言の内容とは裏腹に、有無を云わさぬ凄みが、あった。
「……行けよ。」
「……嗚呼。……行こう。」
三浦を促して、木村は愛車へと戻った。遠ざかる間も木村は、金献から目を離さなかった。熊から去る時のように。
二人は、ナ
ソ⚡︎ルペ──報情(むくいなさけ)に到着した。
「三浦、待て。乗るな。」
「え……?」
三浦は、顔面蒼白となった。自分も茶岡伊場質のように、棄てられてしまうのか? と思ったのだ。
ジーンズを尿が伝う。頬には──。
「三浦。報情のドアを開けた途端に何らかのガスが噴射される仕組みになっている。この細工をしたのは、恐らくバドフルリレー。あいつは本来、ヌンチャクよりブービートラップを仕掛ける方が得意だからな。だから絶対に開けるな。残念だが、報情とはここでお別れかもしれん。催涙ガスや催眠ガスかもしれんが、毒や爆薬である可能性もある。……慥(たし)か、ここから下部温泉郷へ帰る道に、三浦のンヤゴナ改二があるんだよな? そこまで歩いていくぞ。──おい、何を泣いている? というか、漏ら」
駆け寄って来た三浦の肘鉄砲を態(わざ)と受け乍らも、木村は、金献から目を離さなかった。この距離からでも金献は、二人に致命傷を負わせるような投石が可能だ。
ンヤゴナ改
二の運転は木村が行った。縹色(はなだいろ)のジャージのズボンに着替えた後、三浦は助手席に乗った。発信機を辿る。
「……此場所は……〝一色ホタルの里〟……そうか!」
そう、血川 流児(けつかわ ながるじ)は〝身延町のどこかの蛍が飛び交う水辺でここ数日間低身長のボクサーのような者が潜伏していた〟ことを突き止めたまでは良かったのだが、〝身延町のどこかの蛍が飛び交う水辺〟を湯町ホタル公園かその付近であると解釈してしまった。バドフルリレー=Q=ンペユモヲヴヱヰはふと疑問に思い、そして、映像を自分で実際に見て、映った川幅で、確信したのだ。
紙が落ちているのは、湯町ホタル公園と並ぶ蛍の名所・一色ホタルの里だ。
血川の、未だに稍(やや)地理に弱い側面が発露したのだった。
三浦は木村
に問うた。
「ねえ。」
「何?」
「あの、車……後で取りに行くんだよね?」
「……危険だな、正直。瓦斯(ガス)だけでなく、爆弾、盗聴器──何が何(ど)れだけ詰まってるんだか。まあ、あの公園の駐車場に悪いから、放置って訳にもいかないが……金献やその他に張られていたら厄介だ。暫くは放置。最悪廃棄。」
「暫くって?」
「……最低半年だな。」
「……。」
「まあ、仕方無いさ。」
「……物凄い機能も、いっぱいあったんでしょ? ほら、例の副気合い筒とか、さあ……。それって……あたしが云っても、軽く聞こえちゃうかもしれないけど、あの……その……残念過ぎる程、残念だよね。」
「……有難う。でも、物を大切にすることと、物に依存することとは違うからね。──それに、車より大切なものが無事ならまだ救われる。」
大切なものって……何だろう、金とか、命かな? と、三浦は思った──ような表情だった。
ンヤゴナ改二はかなりの速度だが、カーブも安定した走行だ。
三浦が、木村の横顔を見詰めながら、呟くように、いや、囁くように、云った。
「ちんたまと裏の世界から身を引くって、本当?」
それを聞き木村は、微かに、併し、確かに笑って、云った。
「半分、嘘。」
三浦は、水分補給をした後に、訊いた。
「半分、って?」
「裏の世界から身を引くのは本当だ。三浦もやめちまえ、こんな世界に身を置くのは。命がいくつあっても足りやしないからよ。……だが、足を洗浄するのは、〝撮弓〟の特許鉄球を手に入れた後の話さ。」
三浦は、きょとん、とした後、つい、にやけた。
木村の横顔が、あまりにも、格好良かったからだ。
「おい。」
「おい、三浦。」
「おいってば。」
「ひゃっ!? な、何!?」
「道はこっちであっているのか?」
「あ、うん。常葉川沿いに北上した後は、電話交換局の手前を、左折。」
「了解。嗚呼、それとな、三浦。」
運転中なので、木村は一瞬しか三浦の方を向かなかった。しかし、確かに、向いた。
刹那。
二人は目が合った。
「結婚しよう。」
金献は茶岡
兄の荷物の中から、妙な機器と取扱説明書を見つけた。
数分後。
金献は、ちょいとナソ⚡︎ルペを開けたら凄い勢いでガスが噴出されたので吸わずに高速バック転で緊急回避をした後、舌打ちを連発し乍ら、全速力で下部温泉早川インターチェンジの方へと向かった。──その更に数分後、インターチェンジ直前の交差点で、高速道路を北上しようとしている大型トラックの荷台に飛び乗ることに成功していた。
一色ホタルの里。
三浦は正直、安全にさっさとズラかりたかった。木村と二人で生きてゆくことが出来るのならば、ちんたまなぞ最早、どうでもよかった。それどころか、ちんたまを追う上でこの四歳年下の大男に怪我やそれ以上の惨事があったらどうしよう、と、気が気ではなかった。無論、自分もだ。自分の身がどうこうというより、木村よりもまあ弱いであろう自分が弱点として狙われるのではないかという心配があった。
一色ホタルの里の駐車場では、バドフルリレーと血川がトッケリク661へ乗り込もうとしていたところだった。二人と愛車迄は十米(じゅうメートル)程あったので、その空間へンヤゴナ改二は辷り込み、停まった。
「三浦。エンジンを切らずに運転席にズレて待機していてくれ。いつでも車を出せるように。」
木村は早口でそう云うと、降りた。三浦は、うんしょ、うんしょと、車内で運転席へとズレる。
「よーう、御両人(おふたりさん)。紙は見つかったようだな?」
木村の大声に、血川が答える。
「アイドリング・ストップに、御協力下さい。」
「なあ血川。裏の世界から足を洗うよ、己(おれ)と三浦は。だけど、特許鉄球探しだけは、参加したくてね。なあに、手荒い事はし度(た)く莫(な)い。」
「……信用しろと?」
「信用する、しないは別として、紙を見せてくれ。」
「厭(いや)だ。」
「……。」
「──と云ったら?」
「お前を殺すのは骨が折れそうだからなあ。残念乍ら、バドフルリレーの方から殺すことになるね。」
「ケッ! な~にが〝手荒い事はし度(た)く莫(な)い〟だ。その目、巫山戯(ふざけ)るな。猛禽類が獲物を狙う時みてえな眼ェしやがって。」
「手荒い事はし度(た)く莫(な)い、ってえのは嘘じゃないよ。報情(むくいなさけ)が廃車になっても、怒りやしない。」
バドフルリレーが、蒼ざめて一歩下がった。此処に到着した時点で証左としては充分だったのだが、今の発言で、この男が、自分の罠を看破したことを百二十%確信した。
血川は静かに述べる。
「……バドフルリレーにだけは、手を出すな。」
「なら、三浦にも手ェ出すなよ。」
「……てめェ、三浦 送炎(みうら そうえん)とデキてるのか?」
「さっきデキた。」
「……ふふっ。」
思わずバドフルリレーが笑ったのだ。釣られて、木村も笑ったものだから、血川も笑った。
「おらお前
らぶッ殺すぞォォォォォ!!!!!!!!!!」
西の空から満洲服の悪魔が雄叫びと共に降って来る──石が飛んで来る!
「危ない!」
バドフルリレーを庇った血川の右腕から、とんでもない音がした。
骨が見えてはいないので複雑骨折ではないが、完全骨折──いや、粉砕骨折という奴だろう。
脂汗を垂らし乍らも立つ血川。右腕が、だらんと垂れる。
高速道路の方角から飛来した金献は軽やかに着地し、両手に石を持った儘叫ぶ。
「てめえらグルかゴミ!!!!!!!!!! 芝居こきやがって雑魚が!!!!!!!!!!」
「バドフルリレー。血川を車にぶち込んでさっさとズラかれ。」
「で、でも……。」
「早く!」
バドフルリレーは血川を促し乍らトッケリク661へと急ぐ。三浦は車を静かにバックさせて道を開けるアシスト。
金献、バドフルリレーの頭部へ投石!
「伏せろ!」
木村の叫びは間に合わぬと思ったが、何と血川が二本のベルトを左手で風車の如く高速回転させ、上手く石をベルトでかち上げて防いだ。
舞って来た石を、木村は、素手で粉砕した。
「……木村。後で紙の写メールを送るよ。」
「そいつは有難い。」
「こら!!!!!!!!!! ぼくにも送れ!!!!!!!!!!」
「何がだボケ!!!!!!!!!! 殺すぞ!!!!!!!!!!」
「……いや、血川。後で、金献にも送ってやってくれ。」
一瞬、血川も、金献も、バドフルリレーも、きょとんとした。
その一瞬の隙を見逃す三浦では無かった。
百七十km/hのSUVが、金献を跳ね飛ばした。流石に〝ヒラシビ二世〟だけあって受身を取っているが、遠めに見てもあれは全身を粉砕骨折しているだろう。
「さて、お互いズラかろうバドフルリレー! 木村、金献には写メ送んなよ!」
そう短く叫ぶと木村はンヤゴナ改二の助手席へ転がり込む。
「おう!」
木村は威勢良く返事をしたが、ふらふらとトッケリク661の助手席へ転がり込んだ。
「ところでバドフルリレー、キミ、運転することって能(あた)うっけ?」
バドフルリレーはウインクして答えた。
「ベテランのペーパードライバー!」
太陽のような笑顔だった。
一時間後。
血川から、写メールにて、例の紙の画像が送られてきた。
ゾルチクヨレト
クヤハニヱユキ
スラカルヰニ
ヘウノプオ
ロウヤチ
ブノミ 印
木村にも三浦にも、さっぱりだった。
その頃、木村と三浦は、いろは坂を抜けて本栖湖を抜けて富士山の方面へと逃走する心算(つもり)が、疲れ等色々あって、いろは坂の手前、道の駅しもべで休んでいた。
雨。
空梅雨が破れて、梅雨が訪れたのである。
図らずも三浦は、第二駐車場の、そう、昨日血川がトッケリク661を停めていたところへ、ンヤゴナ改二を休ませていた。
二人は、他愛無い会話を言葉少なに交わしつつ、橋を渡って水分の出し入れを済ませた後、またぽつりぽつりと話し乍ら橋を渡って、三浦の熨斗目花色(のしめはないろ)の愛車へと帰って来た。
改めて見ると、金献を跳ねた前方は、結構凹んでいる。
三浦は発信機の情報を見た。どうやら血川とバドフルリレーは、自分達が朝いた、タクシー会社の合同会社ブモッユ身延(みのぶ)の倉庫へと行っているらしかった。例の、県境無き闇医師団・し~*ROUGH(らふ)のアジトの一つである。
それを聞いた木村は、はてな、と思った。そりゃまあ、血川の状況を見れば闇医者へ直行したい気持ちも判らぬではないが、バドフルリレーにしては迂闊だ。金献 関昏(きんこん かんこん)や茶岡 任朗彅(さおか にほなぎ)、チャック=〽=篩(ふるい)が追ってくる可能性を嫌って、治療するならば或る程度は遠ざかるべきだ。
それとも、〝撮弓〟の特許鉄球──そう、ちんたまが、そこら辺にあるのだろうか。または、ちんたま探しへの再出動をし易い動きなのか? ……木村は暗号解読はさっぱりだったが、〝チャックや茶岡 任朗彅(さおか にほなぎ)は少なくとも身延山ロープウェイ辺りが怪しい〟と睨んでいたことは見逃していなかった。
併しまあ、
木村は、ぼーっとした頭で、考えた。──少なくとも私は、渠の表情から察するに、そう思う。
血川 流児(けつかわ ながるじ)にバドフルリレー=Q=ンペユモヲヴヱヰ、そして金献 関昏(きんこん かんこん)、更には茶岡 伊場質(さおか いばたち)、それとは別に茶岡 任朗彅(さおか にほなぎ)、そしてチャック=〽=篩(ふるい)、未だ見ぬ馬坂 乳母稜威(ばさか うばいつ)の一門の連中、特に弓使いの奴等、そして有限会社斑猫(ぶちねこ)ブセニッツの最高で千℃にまで熱した斧で闘う焙煎 五十三(ばいせん いそみ)、鉄扇(てっせん)と鉄傘(てっさん)で舞うように闘う活 快卌(かつ かいしゅう)、その他諸々──木村は、敵が多過ぎるから自分達が鉄球を手に出来ることはどうせ無いだろう、だけど、〝三浦と暮らせるならば、別に特許鉄球は手に入らなくてもいい〟、そう考えたのだ。故に、今から危険を承知で無理に身延山へ行くことなんて、ない。
これからも未だ知らざる事が、自分達を襲うだろうかもしれないが──二人で、進んでゆきたい。
永遠(とわ)に。永久(とこしえ)に。
睡魔。
昼だというのに、優しき暗雲が、二人を隠していた。
常葉川(ときわがわ)の水の音(ね)を、睡魔が、二人から、遠ざける。
二人は車中で熱い口づけを交わした後、窒息しないように、後部座席の窓を若干開けた。ドアバイザーが無い為、若干は微量も微量の小雨が車内へ舞い踊るが、もうそんなもん、知ったことではない。
もう古きときは川へと棄て去りて未知へと二人千代に八千代に
本栖みちの傍ら。閑(しず)かな雨の中。二人は、深い深い眠りへと沈んでいった──。
あ、因みに
、我々の眼下の車がソレね。ほら、見てみい、寝(い)も寝(ね)とるやろ? 御両人(おふたりさん)。ねェ。
まあ、だいたいこんな感じや! もうええやろ話は! ……何? 〝最後に一つ、訊きたいことがある。〟、って? 何じゃらほい、云うてみい。……何? 〝貴方は何の霊か〟、だって? アハハのハ、今更何を問うかと思えば……。ん~、まあ、木村抹設沼が云っていたアレよ、アレ。私は、スカイフィッシュの霊だ。ガハハ! まあ、何(ど)うでもいいやろ! 過去に縛られとるのは良くないで! そんなん! ……ん~? いや、そういうアンタは何の霊ヨ? ──え!? アノマロカリスの霊!? 珍しいやんけ! サインくれサイン! ……ん? 何を踊ってらっしゃる? ……はあ、スクイズのサインですか、はあ……。いやいや、アンタ、自分だけが知っている元ネタで自分だけが納得するギャグをやるのは、良くないと思うが……。……はい、もうええ、早く下さいな、早よ呉れ、報酬! もう涎(よだれ)で溺れそうなのよこちとら! 蟲の靈でも涎で溺れるのよ~!? ……来た来た来た来た来た、待ってました! シェフを呼んでくれ! って、アンタか! 良い仕事してますねェ! 雨に負けぬ強(したた)かな匂い! 匂いの時点でもう、美味いのが確定しているんだもの! この匂いを感じないとは、車中の眠れる御両人(ごりょうにん)の、イヤハヤ近くて遠いこと! ギャーッハッハッハッハッハッハ! 遠慮無く、私が一疋(ひとり)で平らげちゃうもんねー! ん~ッ! こいつは美味そうなビーフンのイデアだ! やっぱり報酬は、こう、具体的でないとな。カーッ! ビーフンのイデア! 最高だぜ畜生! ビビビビビビビビビッと来るわ! ビーフンのイデア! 最高の報酬だ! 語った甲斐がある、ってモンよ。なあ! おい! イデアだっつったって、莫迦(ばか)に出来やしねェよなあ! 具体的だもの!
〈了〉
小説「具体的だもの」
(原題:「👻⚡🚙⚡👻」/原作:平井召正/和訳:石見透(非おむろ))
32678文字
👌