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分からないということに気づくことを

社会人大学院
学びの中で気づく
誰もが
「分からない」
「正解はない」
ということを前提に
聞く
話す
整理する

知らなかった
学べてよかった
そう心から感じている

時折訪れる疑問

ディスカションに行くと
まあまあ
自身の意見も受け入れられやすいし
悪いとか不正解とかいう空気がない

ということは
断定的に言われている発信
というのは本当か?
という疑問は必要

高度な教育の中では
上も下もない
発言は平等だ

そういうところから
本来あるべき姿を
批判を恐れず
安全地帯で発言したいもの

信じる意見は
誰かの不信でもあったりもする
ということを
理解して
どのように合意形成に向けるのか

それは
とてもとても難しいのだから


壁のこと
伝統や歴史のこと
国のことも
防衛のことも
女性のことも
福祉のことも
人権のことも

総合的に考えられないといけない

どこかだけを推進すると
どこかが見落とされたりして危険
どれもこれもは難しいからこそ
最善を
という言葉が存在する

100年かかる
いえ100年以上とも

総合的に考えられる対話の場には
偏った今の社会感が危険過ぎると恐れを感じる

疑ってかかる
というのは言い過ぎではないのだろう
危険だ

今朝もテレビに目を向けた瞬間
書かずにはいられなくなった

私たちはどこに向かうのだろう

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