100年後は遠くない未来?
まちづくりに関わってきた
持続可能な未来、という言葉が耳の痛いほど聞かれるようになった
未来はどうあるべきか
未来のためには
と、みんなが口をそろえて
かくいう私もそうやって過ごしてきた
ところがある時から少しだけ角度が変わった
幼いころの100年はすごく昔に感じたけれど
100年ってそうそう昔ではないなあとなって
面白いなあ
なんだこの感覚は!
とぞくぞくしたのを覚えている
そして
先日1000年カレンダーというものに出会った
今ここね、とその方が指さした先は真ん中辺で
みんなそれぞれいろんな視点で見ていただろうけど
私は
そのカレンダーの中のほんの100年の間を私たちは生きている、
ということが
貴くもあり笑えるぐらい楽観的になるような
そんな感覚で
私は微笑んでいたと思う
少子化という中で
産めよ殖やせよ政策、この言葉は誰もが知っている歴史的事実
とはいえ、あまり詳しく考えたことはない、という人がほとんどだろう
今やそんな言葉を政治家が言ったら大変
私たちでも
叩かれ蹴られ大変だ、という社会
2016年2月の産経新聞の記事を見つけた
もうこの時からだいぶ経つが少子化は
逆転の出来事もなく、政策も成功せず、変わらず
加速しているのだろう
だけれども
100年先、いえ500年先の人たちが
今の私たちの時代をどう話しているのか
やっぱり人口1億人を保てなかったねと
言っているのか
へえ~そんな時代があったんだ~と
笑ってくれているのか
こんなことを考えている私は
間違いなく「まちづくり」に関わってしまった
職業病のようなものだ
そんな偉そうなことを言えるようになった私は
そもそも28年前からしばらくはただの専業主婦だった
ただの主婦
されど主婦
子育ては脳を使う 家事は知恵を働かせる
まちづくりは国を造る 政治だ
私たちの生活は政治そのもの
家事や育児を軽く見ているのは私たち女性だったりするんじゃないかな
働くことは大事、ということはある
それよりも
家事や育児で大事なものを見出していく専業主婦女性も
働いて社会を平等にしていく働く女性も
両方必要なこと
バランスが崩れていることを再確認したいもの
女性の社会進出はどちらも社会進出なのだから
とはいえ経済は大事で悪循環だから優先順位がくるってくる
次回、手取りと未来の国の財政の設計についても
持論書いてみたいなあと思います。