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伝えるために
note、Instagramの発信を始めようと思っていたタイミングで、ライティングについて学べる興味深い講座が始まったことを友人から教えてもらった。
講座のセールスレターを一読してから、ずっと頭の片隅にあり、気になっていた。
本日(2024年10月6日)、眠そうな夫に、軽くその内容を伝えた上で(笑)遅ればせながら申し込んだ。
結婚し、こどもを産んでから、限られた時間で働くものの収入が低い私には、最初は何かを学ぶことに罪悪感があった。
ほぼ手をつけられずに終わった講座も正直あった。
でも、これは!というメンターに出会えてから参加した講座の内容には満足感があった。
大切な仲間たちとの出会いがあったことや、心理的に得たものは大きかったが、私の経済状況も家庭内での悪習慣も大きく変わらず、、、(苦笑)
金額は曖昧にし、こっそり有料講座に申し込むことも度々あった。
最初はそれでも良かったかもしれない。
けれど、私はそれを学んで何を得たいのか、何故それに参加したいのかを、明確に伝えないことで、
やりきる覚悟を持つことから、逃げてるだけなんじゃないかと次第に思うようになった。
価値があると思っているのに曖昧にするのは、自分自身の心にも嘘をつくよう。
おそるおそる伝えたら、案外と理解を得られたりするんだと知った。
曖昧にしない方が以前よりも、スッキリとした心で臨めることを知った。
最初から「この人には伝わらない」と諦めてしまうことが、一番伝わらなくしている原因なんだと気づいた。
上手く伝わらないことは今でも多い。
人と人の頭の中は、同じ単語でも違うイメージを抱いていることがあるように、言葉や文章ならよりより誤解も多い。
だけど「伝える」という目的さえ見失わなければ、表現力を磨いたり、相手を感じながら言葉を選んだり、タイミングを見極める挑戦が、楽しさにも思えてくる。
そして、「伝える」には、言葉より先にまず行動の方を一致させていく必要があることを学んだ。
* * *
今、夫婦でやっている仕事で、この夏から新たなご縁があり、夫婦共に幅広く色んなスキルを身につけていった方が良い流れになっているので、ちょうど良いタイミングな気がしている。
セールスレターにも、その講座で学べる極意がたくさんつまっているとのことでまずは写経※をしてみることにした。
※ここでいう写経は、お経を書き写すという従来の意味ではなく、著者の感覚を少しでも自分の中に写せるように、文章をそのまま書き写す儀式。
、、といいながらも、結構長いので、日を分けて少しずつ行うことに。
完ぺきを求めない
だけど、伝える努力はやめない。
言葉と行動を一致させるために、
毎日noteをつづけてゆく。