「悲哀の月」 第70話
動画の効果はあったのか、里奈の症状は落ち着いていた。改善こそ見られないものの、悪い方向に転がることなく、崖っぷちのところで踏ん張っている。
「この調子で好転してくれるといいですね。症状が」
痰を取り除いた後で沙耶は言った。この作業も重要だ。もしも器官の奥で痰がつっかえてしまえば、呼吸は出来なくなってしまう。その場合は早急に気管を切開して取り除かなければいけない。
「あぁ、そうなるといいね。この動画を見ることこそ出来ないだろうけど、音声はきっと聞こえているだろうから。だからこそ、彼女は頑張っているんだよ。本当はもう、限界をとうに迎えているはずなのに。若さだけではここまで踏ん張ることは出来ないはずだよ。だから絶対に、動画の効果はあると思うんだよな」
様子を見に来た来生も言う。彼としては、ここ数日で里奈の容体は決まると考えていた。今現在は持ちこたえている。このまま粘ってくれれば、もしかしたら快方に向かうかもしれない。そういう考えも生まれ始めていた。
だが、生まれたばかりの希望はすぐに打ち砕かれることとなった。一時間もすると、数値が下がり始めた。
「先生、里奈さんの様子が急変しました。至急、来てください」
「わかった。今すぐ行く」
連絡を受け来生はすぐに病室へ入った。
「まずいぞ。これは」
そこで一目見るなり顔つきを変えた。彼は、立ち上げ当初からコロナ病棟で勤務している。そのため、何度もコロナに感染し命を落とした患者を見送ってきた。現在の里奈の様子は、それらの人と酷似していた。
「申し訳ない。家族に連絡を入れてくれるか。危険な状態だって」
薬を投与したが一向に落ち着かないため、来生はそばにいた望に依頼した。
「わかりました」
看護師はすぐに集中治療室を出ると、自らが持っている病院用の携帯で医局に掛けた。そこで来生に託された内容を伝えていく。本来であれば一人でやる仕事だが、ここはコロナ病棟だ。病棟を出て医局に戻るだけでも、防護服を脱ぎ、キャップやフェイスシールドや手袋を外し、念入りに消毒しなければいけない。急ぎの中で、そんなことはしていられない。そこで、急用は全て内線で伝達することになっていた。
「わかりました。すぐに連絡します」
話を聞いた冬美は一度電話を切ると、すぐに受話器を上げた。そして、里奈の実家の番号をダイヤルした。
すると、電話はすぐに繋がった。
冬美は相手に向かい、今聞いた情報をそのまま伝えていった。