週報 2023/09/03 天然睡眠薬、アジャイル漫画開発、『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ
8/26(土) からあげパフェ食べたい、目指せキッチンドランカー
元気だったので珍しく朝から外出。冷え性人間の朝は遅く、土日の午前はゾンビみたいに家のなかをうろうろしている。俊敏に動けるようになるのは昼すぎ、遅いと夕方である。
カフェで週報執筆をした。選んだのはホリーズという関西ローカルのチェーン店。タリーズのパクリなのかな?と思って調べたが確たる情報は出てこなかった。ホリーズの発祥はからあげパフェで有名なからふね屋で、もともとは同じ企業だったらしい。バブルで失敗していろいろあったあと、今はからふね屋だけJR西日本の系列会社になっている。ホリーズとからふね屋で、今でも共通するのはダッチコーヒーという抽出方法を用いる点だろうか。店頭に実験器具みたいな抽出装置が置かれている。
なお、ホリーズにからあげパフェはない。なんでよ。
ホリーズはフードメニューが微妙だったので、今後はタリーズかベローチェを使うことにした。カフェとしてはスターバックスも魅力的ではあるのだが、いつ行っても座る場所がない。そろそろスタバ席とりシステムができてもおかしくない。それくらい混んでいる。
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夕食後、疲れを癒やすためにワインを飲む。「疲労物質のフリーラジカルをワインのポリフェノールで打ち消すのだ!」と言って飲んだがただの言い訳である。でも、胃腸がよく動いて体温が上がり、元気にはなった。西欧料理の食前酒はもともと食欲増進を目的としている。冷えで食欲が失われやすい私も食前酒を嗜んでもよいのではないか。目指せキッチンドランカー。
ついでに妻氏にも飲ませた。妻氏の場合は仕事か何かで悩んでいたようで、話を聞いたところ答えが出ない悩みにみえた。とりあえずアルコールで忘れさせ、あとで日記による言語化をしてもらった。ワインで上機嫌になった妻氏はmtd製作所にスパチャをし始めた。
8/27(日) 種ありブドウはレトロニム、天然睡眠薬、『自閉症とマインド・ブラインドネス』
種があるブドウのほうがおいしいのに気づいた。種があるとほどよい苦みが感じられる。たぶんタンニンだと思う。
というか「種ありブドウ」ってレトロニムだ。本来はふつうのブドウのことである。種なしのほうが自然ではない。
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我が家には「カレーを食べたらなぜか寝る」という謎があった。昔からよく再現する現象で、お気に入りのカレー屋、自炊のカレー、イーブイ(フランス式野菜スープ)を食べたらたいてい寝落ちしてしまう。特に妻氏は寝やすい。昼でも夜でも寝落ちする。
原因はセロリとタマネギだった。不眠対策に使われるほどの野菜だ。たくさん入ったカレーを食べたらリラックスしすぎて寝るのだと思う。
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『自閉症とマインド・ブラインドネス』を読んだ。
ヒトはふつう「他者の心を推測する機能」を持っている。例外的にできないのが自閉症スペクトラム障害(ASD)の人たち。なんでできないのかというと、心の理論が欠けているから、らしい。本書では心の理論はID, EDD, SAMなどの基本的な機能で構成されて云々、と謎の理論が出てくる。ほんまか〜?となった。
大事なのがSAM、共同注意と呼ばれる機能で、定型発達の乳幼児であれば「母が見ているものを見る」みたいな行動ができるようになる。これが欠けているのが自閉症だ、という主張がされていた。
翻訳もよくなくて読みにくい本だった。自閉症の理論を知りたい人にはおすすめ。
8/28(月) 冒涜的邦題、サービス精神と創作
また積読を増やしてしまった。目当ては『ビジュアル・シンカーの脳』という本だったのだが、いつもの癖で人文学、科学の棚を眺めていたら二冊増えた。本屋に行くとお財布がガバガバになり、値段を見ずに買ってしまう。好奇心とはそういう生き物である。私のせいじゃない。
家に帰って『ビジュアル・シンカーの脳』の装丁を眺めていたら原題が"visual thinking"なのに気づく。どこにも"brain"なんて書かれてないのだが?
邦題に変換するときによくある操作で、日本人に売れやすいようタイトルを改変しているのだ。冒涜なのでやめてほしい。
有名なのは映画化で"The Martian"を『オデッセイ』にしてしまったやつ。ハヤカワ文庫だとちゃんと『火星の人』だったのに。
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『ハンチバック』の市川氏が芥川賞授賞式で挑発的なことを言っていた。「二十年ラノベ新人賞に応募してきたが、落としてくれた人たちのおかげで今私はここにいる。感謝いたします」的な。
本人が自分で言っていたことだが、たしかに厨二病的な人だと思う。それでいて格調高い文章を書くし皮肉もお上手なので、文学性が高くてラノベの枠に収まらなかっただけではなかろうか。
エンタメは読者へのサービスである。熱心に自分の描きたいものを書く、というよりは冷徹かつ論理的に読者の需要に応えるようなところがある。妄想が止まらなくて自分の描きたい世界を在らしめるような人はエンタメには向いていない。サービスが苦手だから。そういうサービス精神の欠如と社会の間を取りもつのが編集の役割なのだろう。逆に「特に描きたいテーマがあるわけではない」という人のほうがよくサービスできる。皮肉な構造である。
8/29(火) モルモットのカルシウム管理
バリバリ働いたあとジムへ。ストレッチとか筋トレをした。血流がよくなり、調子にのって町中華で注文しすぎたら量が多くて食べすぎになってしまった。ぐったり。
🦥🦥🦥
モルモットの結石について調べる。高齢モルモットは結石症になりやすいらしい。
我が家のカレー味様はもう6歳なのでその辺を警戒する必要がある。膀胱にでっかい石ができると、開腹手術が必要になり大事だ。老齢モルモットは手術に耐えられないこともあるし。
対策はカルシウムの少ない餌、日光浴、それから運動。
必要以上のカルシウムは取らないのがよい。しかし骨が脆くなるのも困る。要はバランス。カルシウムが多いのはパセリ、小松菜、春菊あたり。セロリ、白菜、レタス、人参、ピーマンは安全そうだった。
注意がいるのはおやつ系のフードだろうか。モルモット・うさぎ用に野菜を乾燥させたおやつ、アルファルファを押し固めたおやつなどが売られている。カルシウム多めのものが原料に入っている。モルモットも嗜好品は好きなので、おやつへの食いつきはよい。モル・ヒューマンコミュニケーションのために餌で釣ってばかりいると、結石になりやすいなるのかも。餌で釣るならば、チモシーの穂が使えるのでそちらがおすすめ。
8/30(水) 身近な温暖化、オタクモードの店員
八百屋に寄ったらブドウを買ってしまった。さいきん見かけると我慢ができない。露地栽培のブドウが出てきて値段が下がっているのもよくない。
八百屋の入り口には黒ずんだ人参が積まれていた。北海道産。ニュースで見たとおり、異常気象によって野菜が傷みまくっているらしい。温暖化で食が脅かされているのを感じる。新潟では雨が降らなくて米が大ダメージを受けているらしい。
会計をしようとしたら一人で切り盛りしている赤髪のお姉さんがポップを描いていた。スマホを観ながらマジックで文字を書いている。集中していて悪いので待った。
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近代教科書アーカイブを読んでいたら夏目漱石と伊勢物語が同じ教科書に載っていた。戦前は古文と現代文の区別がなかったのだろうか?連続する日本語として取り扱う態度であるならば、それはよいことだと思った。
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LUUPに乗って寺町へ。実は初めての20km/h走行。解禁されてから機会がなくて乗っていなかった。近所になぜかLUUP車体がないがちなのだ。
なかなか軽快だった。速度を引き上げでようやく便利な乗り物になった気がする。
でも京都の交通はひどい。交差点で一時停止しない自転車と車ばかり。
寺町でロードバイクを眺め、靴下を買った。
靴下屋さんでいくつか質問をすると店員がオタクモードになってしまった。本質的な質問をすると、店員がオタクになるのだろうか?
「口のゴムが切れにくい商品ないですか?」
「合成ゴムは伸縮性に難があって天然ゴムを使っている。しかし天然ゴムは劣化して切れやすい。どうしようもない。洗い方に気をつける手はあって、干すときにゴムを上側にすると水が溜まらなくて気持ち長持ちしやすい」
だそうな。であれば紫外線も避けたほうがいいのだろうな。ゴムが切れる前提の設計なのはSDGsじゃないと思うのだが、靴下ってそんなに消耗品なのだろうか。
8/31(木) アジャイル漫画開発
エアコンなしで寝る実験はことごとく失敗した。夏の京都は地獄。湿度も気温も高くてエアコンなしで寝るなど無理なのだった。諦めて秋になるのを待つ。京都の秋は一瞬だけども。
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妻氏がスランプに陥っていたのでメンタルのデバッグをした。課題として出てきたのは漫画のワークフロー。ここ数年はアナログ原稿で作画をしていた。そのほうが楽しいから。しかし大変ではある。先日、妻氏は残業モードになり疲れで原稿が進まなくなってしまった。そのときデジタル作画に切り替えてしまったのである。
これがまずかった。デジタル作画は楽しくないらしい。描く楽しさが減るので趣味としての漫画制作が苦行になってしまう。原初的な線を引く楽しさはアナログでないと得られないようだ。それに、画面の回転とかツールの切り替えはデジタルのほうが遅い。描いている画面の解像度もデジタルのほうが低い。総じてデジタル環境は劣っていることが再確認され、アナログ原稿に戻すことになった。
また、漫画の制作工程も変えた。ふつう、漫画は
ネーム(コマ割りと台詞の決定)
ネームレビューと修正
作画
仕上げ
という工程を経る。これはIT業界用語で言うところの「ウォーターフォール開発」である。順番に工程が流れていって、基本的に後戻りはできない。
問題は二つある。
ネーム工程の責任が重くなって大変
ネームで描いたときの気分を忘れると作画が進みにくくなる
働きながら漫画を描いていると、ネームを描いた二週間後に作画をするのが珍しくなくなる。当然、ネームを描いたときの心理状態なんか覚えていない。ネームは漫画の下書きである。下書きと清書の間が空くと効率が悪くなるのは当然だ。
だから
ネームを数ページ描き、ネームレビューも描かれたぶんだけ行う
すぐに作画に入って、ネームに追いついたら1に戻る
仕上げ
という工程に変えた。商業連載の場合は編集の許可が必要なので「漫画のウォーターフォール開発」が求められるのだが、同人にはそんなの関係ない。「漫画のアジャイル開発」が可能なのである。
なにより、ネームなんか描きながら変わっていくものなのだ。下書きの時点で精度よく筋書きを予測することなんかできない。本来の漫画の描き方はこれでよいのだと思う。オチなんか最後の気分で決めていいのだ。
9/1(金) シュレッダーねずみ、『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ
厚紙を捨てるとき「スナネズミがいたらな〜」と思うことがある。スナネズミは厚紙をあげると囓ってバラバラにしてしまうのだ。シュレッダーねずみ〜。かつてスナネズミが3世代6年間くらい家にいたのだが、今はいなくなってしまった。再びスナネズミを飼おうにもスナネズミを仕入れてくれる京都大丸のペットショップはなくなってしまった。あそこのおじいさんがスナネズミマニアだったから入荷されていただけなのだ。
また飼ったとしても4歳までは生きられないあたり諸行無常である。同じサイズでもデグーは長生きなあたりよくわからない。
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『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ。
「ビジュアル・シンカー」とは考えごとをするとき、頭の中に画像を思い浮かべる人のこと。著者によると、考えごとの思考様式には以下の三種類がある。
物体視覚思考者: 具体的な物をイメージする人、見たものをそのまま覚えられる
空間視覚思考者: パターンや抽象的な絵としてイメージする人、数学やパズルが得意
言語思考者: 画像ではなく言葉で考える人
著者のTemple Grandinは物体視覚思考者である。この本で描かれる「ビジュアル・シンカーの脳」とは物体視覚思考者の内面のあり方のことなのだ。Grandinは「物体視覚思考者は言語思考者中心の社会で虐げられている。物体視覚思考者は機械の設計・メンテナンスで大活躍するので地位を向上させるべき」と主張する。実はこれ、政治的な本である。政治といっても北米社会がターゲットだが。
何度もこのブログでとりあげているように、私はアファンタジアである。極端な言語思考者であり、画像は一切イメージできない。ふつうは「ビジュアル・シンカー」のどちらかでありつつ、言語思考もできるタイプのようである。職業によってどのタイプなのかは偏りがあり、ソフトウェアエンジニアには「ビジュアル・シンカー」が多いような気がする。
Grandinは「言語思考者の社会が物体視覚思考者をいじめている!」と言って言語思考者を敵視するのだが、たぶんそうではないと思う。単に「どのタイプの人も自分の思考様式が当たり前だと思っている」だけである。敵は自分のあり方を自明視する人であって、思考様式の問題ではない。こう言うと「多様性を受容する社会」みたいな話になってGrandinの意図にも合うのではなかろうか?その意味においては『ビジュアル・シンカーの脳』は脳の多様性(ニューロダイバーシティ)を理解するのによい本である。
正直なところ、言語思考者としては退屈な本だった。序盤はおもしろいのだが、中だるみがひどい。具体的すぎるエピソードが羅列されているだけで説得力に欠ける。
しかし物体視覚思考者にとってはこの批判は筋違いなのだろう。「具体的なイメージをたくさん並べる」ことは説得的なのだ。
彼ら視覚思考者にとって、言語とは二次的なメディアにすぎない。大事なのは「イメージ」であって、頭の中の画像を言語に変換しているだけなのだろう。だから、彼らの「テキスト」は言語思考者にとってのテキストではない。何らかの「絵」が提示されていると思って読まないといけない。逆に、視覚思考者にテキストを読ませるときはイメージに変換しやすいものだと喜ばれるのだろう。
ということに気づけた。やっぱり他人の思考様式を理解するのはたいへんである。
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