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週報 2023/08/13 思ったことを言ってほしい、オリーブ探し、広告が増やす知識

8/5(土)お腹を触れば体調がわかる、思ったことを言ってほしい

『さわれば分かる腹診入門』を読み終わった。腹診とは日本の漢方で独自に発達した診断方法で、お腹の温度、柔らかさで内蔵の状態を把握する技術である。素人でも触れば違いがわかるので、日頃の体調把握で重宝する。有名なのが下腹部の「丹田」で、ここが冷えていたりフニャッとしていたら疲れていると思ってよい。

腹診で把握できる体質にいくつかタイプがある。ストレスを受けて消耗したとき、どういう反応がお腹に出るかで分類する。「腹直筋が硬くこわばる怒りやすくなるタイプ」「丹田が弱くなる冷えタイプ」などなど。それぞれ対策をするためのツボが紹介されていて、自分で指圧やお灸をして対処する。

お灸をしなくても湯船に浸かるだけでよくなることもある。冷え性の場合は腰を温めるのも大事である。

🪿🪿🪿

私は高校生の文理選択から現職までずっと理系なのだが、このごろ他人の理系仕草?が苦手である。特に雑談において。理系仕草とは「あらゆることを自然科学と理性で説明しようとする態度」のことである。インターネット上の例だと、すぐに「エビデンスは?」と言っちゃう人がそれ。

理系仕草がなぜ苦手なのか?が気になって妻氏(理系だけど本ばかり読む)と議論したところ「おもしろくない」のがダメなのだとわかってきた。

理性は使いすぎるとおもしろくなくなるのだ。なぜなら理性は感情や主観を抜きに、客観的で論理的な判断をするものだから。この「主観を抜く」のが曲者で、主観と感情を抜いたらその人固有の意見ではなくなってしまう。私は「あなた」と会話をしているのに、その人の話が聞けなくなってしまう。だからおもしろくない。

じゃあ何を話せばいいのか?会話で大事なのは「相手の情報が増えること」だと思う。相互に情報量が増えれば増えるほど、いい会話だったことになる。そのためにはいわゆるオープンクエスチョンや傾聴する態度が大事で、一般的な会話テクニックの話が出てくる。


さいきんわかってきたのは「自信がない人は正しさにこだわる」こと。自信がなければないほど論理的、自然科学的、あるいは世間的に正しいものを求めるようになる。自分自信を支える根拠が揺らいでいるから、正しいことにすがりたいのだと思われる。こういう人に「正しさなんかどうでもいいから思ったことを言ってくれ」というのは暴力である。むずかしい。

8/6(日)魚は冬、バジルの香り、自然に手が伸びる本を読む

このごろ魚がおいしくない。魚の質が悪いのではなく、人間の側の問題。暑さでやられていて食べる気にならないのだ。ふりかえってみると去年もそうだった。夏は魚が食べられない。

魚がおいしくなるのは秋から冬にかけて。この時期は魚の温度に気をつけて持って帰るのも大変だし、秋まで食べないでもいいのかもしれない。

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ジェノベーゼソースを作ってパスタにした。

ベランダで育てているバジルをちぎりブレンダーで粉砕したらできた。おいしかったのだがバジルの香りが弱い。インターネットで調べると「バジルの葉は洗わないほうがいい。香りが飛ぶ」と出てくる。なるほど洗ったのがまずかったか。

我が家は道路に面していて車がそこそこ通る。たとえ排気ガスを浴びたバジルであっても、おいしさのためには洗わず、排ガス味でいただくべきなのだ。

はやくガソリン車滅びないかな〜。

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『「問い」から始まる哲学入門』を読んだが、微妙だった。おもしろくなかったし後半はまじめに読んでないので感想は割愛する。

同時に保坂和志の『考える練習』を読んでいたのだが、こちらはおもしろくてついつい手が伸びるのだった。

本は自然に手が伸びるものを読めばいい。ちょっと暇になったとき、自然とページをめくる本だけが今必要な本である。

8/7(月)独り言はメモである、ぬるくておいしい飲みものがない

独り言がメモの代わりになることに気づいた。例えば同僚の書いたプログラムを読みながら独り言を言う。ややこしいプログラム、ややこしい文章を理解するにはメモが必要だが、メモ帳に書くのではなくブツブツつぶやきながら読むとスムーズに把握できる。

たぶんワーキングメモリがしょぼい人の処世術だと思う。ADHDやアファンタジア向けの方法。

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うっかり水を飲まないでいることが多い。たいへん暑くて汗ばかりかくのに水を飲まないでいるとだんだん体調が悪くなる。

ふつうの人は夏に冷たいものを飲むのだが、冷え性には厳禁である。夏でも常温か白湯を飲むのが望ましい。

しかしぬるいお茶っておいしくないのである。お茶は冷たいのか暖かいのがいい。コーヒーや紅茶も同様。味がついていてぬるくてもおいしいものはあまりないと思う。

結局ただの水を飲むのがよいことがわかった。水は味がないのでなんとか飲める。常温のいろはすで我慢して水分補給とするしかなさそうである。

100km/hだしなさいよ

8/8(火)文体模写、『考える練習』を読んだ

同僚と1on1(面談)をしたら「文章に文学性みたいなものがあって理系には読むのが大変」という指摘を受けた。我が家の常識からすると「これくらい読めるでしょ」という感覚だったので驚く。何も考えずにわーっと書くとそうなってしまうので、改善策を考えた。仕事では同僚にサービスして読みやすいスタイルで書くべきだから。

試しに「ほぼ日」系のテキストで文体模写をしてみた。

ほぼ日では、
「。」ではなく「、」で
文を切ることが多い。
こうすると長い文章でも、
短いセンテンスで区切られて
視覚的にわかりやすくなる。


たしかにユニバーサルな読みやすさはあると思うのだが、ちょっと嫌いだ。さすがにやりすぎ。せめて「。」で区切りたい。

でも、改行を入れたら把握しやすくなる原則はわかった。

私は200文字程度を一段落にして改行することが多いのだが、それだと理系集団には把握しづらいらしい。

なので仕事では50〜100文字単位での改行にしてみる。ことにした。


また、私は思考の飛躍をそのまま書いてしまうことが多い。考えるのに筆が追いつかないときにそうなる。せっかちなのだな。多少の飛躍はそのまま残したほうがおもしろいのだが、お仕事では飛躍は少ないほうがよろしい。これも矯正することにした。

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保坂和志の『考える練習』を読み終わった。

何の本か?というと難しくて、保坂和志が新米編集部員に説教をし続けているだけなのだが、保坂氏がいちいち本質を突くのでたいへんおもしろい。日頃から考えている量が半端ない人である。あまりによい本なので私の中では殿堂入りとなった。

保坂氏のメッセージはシンプルで「常識とかどうでもいいから、自分の身体で感じたように動け」「型どおりのものでおもしろいものはない。「こんなもん誰がわかるんだよ」というレベルまで考え抜いて表現せよ。努力は必要」というもの。おっしゃるとおりである。

よかったのはこれ

「これ便利でしょ、これ速いでしょ、効率的でしょ、って言うわけだよ。それがどうしたんだよ。そんなこと、ハイデガーの前で言ってみろっていうんだよ。人生は便利と効率と速さかよっていう。人生っていうのは成長と深みだろう。そのために生きてるんだよ」

p54

あとこれ

「小説を書く人間がそのつど苦労して書く。それはやっぱり苦労するから伝わる。何かをするっていうことは、音楽でも絵でもダンスでも、テクニックだと思っている人が多いんだけど、やっぱりテクニックなんていうのは知れたものだよ」

p229

8/9(水)オリーブの木を買った、本は精緻に読まなくてよい

楽天で買ったオリーブの木が届いた。

オリーブとバジル

品種はミッション。自家結実性があるものを選んだ。ふつうのオリーブと違って自分の花粉で実がなる品種だが、できる実の量は少なくなるらしい。物足りなくなったらもう一本買う。

果樹には名前をつけられるのに気づいた。これまで栽培してきたのはバジルとピーマン。どちらもまともに越冬はできず、寒くなると絶滅する植物だ。

一方、オリーブは数十年生きる。下手すると私が死んだあとも元気に生きているかもしれない。それくらい生命として強いので、名前があってもいいかなあと思った。

我が家の傾向として「オリーブ太郎」「ブ太郎」とか名付けがちなのだが、どちらも発音がよくないので不採用。考え中である。

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本を読んでいて、テキストを精緻に読んでないのに気づいた。文章のまとまりをざーっと眺めて把握する。一文一文を目で追っていない。

文系のゼミでこの読み方をしたら怒られると思う。哲学なんかは一文の読解に数時間かける。深読みをするのがお仕事である。また、業務でもこういう読み方をする人はいる。丁寧に一文ずつ論理を追い、大量のレビューコメントをしてくるタイプだ。めんどくさいな、とも思うが重宝する。


趣味では、眺める読み方でいいと思う。かじりつくように読む読み方は、自分の興味を疎かにして義務的に読むやり方だ。楽しくない。

それに脳はすごいので眺めるだけでも内容は把握できる。もしかすると慣れの問題もあるかもしれないが、よっぽど難解な日本語でない限りはぼーっと目に入れておくだけで読めるものである*2。

眺めていて興味が湧いたらその段落を丁寧に読む。意思して丁寧に読むというか、気がついたらそうなっている。

「本は丁寧にしゃぶりつくすように読まなければ」なんてルールはない。興味に従い緩急をつけて読むと楽である。

8/10(木)オリーブ探し

近所の飲食店の前にオリーブの鉢植えがあるのを見つけた。他にも薬局の前にもあった。意外とあるものだ。

オリーブの木を手に入れ葉っぱの形を覚えたので見つけられるようになった。ささやかだが世界の見方が変わっている。

なんでオリーブの木を探しているのかというと、受粉の効率のためである。違う品種が近所にあると自分で二本用意しなくても実がなる。

超近所には植えられてなかったので、自分で用意せねばならないことがわかった。ちょっと残念。

8/11(金)無謀搬入、広告が増やす知識

コミケの荷造りをする。今回は手搬入。巨大なキャリーケースを買っておいたのだ。これに本を詰める。

ところが本だけでカートがいっぱいになってしまった。これさえあれば余裕で搬入搬出できるはずだったのだが、もういっぱいとは何事なのか?服を入れるスペースは?ないが?

正解は搬入は宅配にすることだ。搬出時には本が減っているので巨大カートでよいのだが、行きで本をすべて持っていくのは無謀だった。

今回はカートに全部入るやろガハハでいって失敗した。明日は15kgくらいあるカートをひいて新幹線に乗るのだ。

🍩🍩🍩

YouTubeをみるとたくさんの動画がオススメされる。どれもおもしろそうである。なんでこんなにおもしろ動画があるのか。

今やパン職人、料理人、猟師、漁師、農家などなどあらゆる分野でYouTubeチャンネルがある。人気があるチャンネルは編集が上手で、内容も専門的な知識をわかりやすく説明するからおもしろい。こんなものがあったらテレビ局はたまったものではないだろう。

今や知識が集まるのはテキストではなく動画のインターネットである。あらゆる知識がYouTubeにある。しかも動画なので包丁の動かし方みたいな非言語的な知識も伝えられる。明らかにテキストよりも優れている。

ただそのぶん編集が大変なはずだ。ヒカキンみたいなプロであっても一日中編集をしていると聞いたことがある。編集が大変だから、動画を作らずにライブ配信をして「切り抜き」をファンにやってもらっているバーチャルYouTuberもいる。


そんな大変なのに万人が動画を作っているのはなぜなのか。答えはわかりやすくお金だろう。宣伝や承認を求めている場合もあるが、大事なのはお金である。

YouTubeに動画を投稿してもらえるお金の原資は広告。広告をスキップするためのプレミアム会員費用も原資と言えるが、目的はほぼ広告回避なので広義の原資は広告だと言える。

つまり広告という資本主義の中核システムがYouTubeに知識を増やしているのである。お金がもらえると専門家がわざわざ動画を作ってくれる。尊いことだが、広告がそれを加速させているのには違和感を覚えなくもない。

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