週報 2022/04/10 アウトラインプロセッサ

近況

さいきん布団の調整が難しい。寒暖差が激しいし、夜の気温も日によって違う。

週の前半は寝冷えで睡眠が悪かったが、頭寒足熱になるよう毛布をかけたらよく眠れるようになった。毛布を下半身にかけて、羽毛布団を全身にかける。

私は布団を蹴るタイプではないので、これでうまくいくが、寝相の悪い人はダメかもしれない。


疲れるとラーメンが食べたくなる。ラーメンに疲れに効く栄養素が入っており、身体がそれを求めるのだ、という解釈もできるが、たぶんそんなことはない。ラーメンには油脂とか香辛料がたっぷり入っているので消化に体力を使う。疲れたからラーメンを食べたいのではなく、疲れてストレスを感じてラーメンを食べたいのだと思う。こういうときは刺激物を食べるのではなく、寝るのが正解。

ただ、この世には異常に胃腸が強く、何を食べても元気な人がいる。そういう人ならば疲れたときに焼肉とかラーメンを食べてより元気になるのだと思う。

妻氏の祖母もそういうタイプで、齢九十にして肉を食いビールを飲む。たいてい胃腸が強い人間は長生きをするのだ。生物とは消化管の周りに機能を発展させてきたシステムなので、消化管の強さが生命力である。

私は胃腸が強くはないので無理をせず、味噌汁と白米でやっていく。

仕事

このところやけに仕事が忙しくて、毎日1.5時間くらい残業をしている。できれば定時ダッシュをしたい私からすると働きすぎである。残業代でお金は増えるが、買いたいものと言えば本くらいしかない。本は大量に積んでいるので、すぐに買いたいものではない。


新しい自転車は気になっている。このところ天気が良いので鴨川に行きたいのだ。京都市の人間は天気が良いと鴨川で光合成をする。

我が家は鴨川から離れたところにあるため、移動には市バスが必須だ。市バスはこのごろ観光客だらけである。コロナ禍に飽きた人々が京都に押し寄せているのである。

人混みは嫌いなので、鴨川への移動手段は自転車が良い。しかし私の持っている通勤用のロードバイクは気軽な移動手段ではない。それなりの準備が必要だし、移動先でも盗難に気をつける必要がある。なので、クロスバイクに乗り換えようかな、と考えている次第である。

まだフルリモートが続いているので買っていないが、出社せよと言われたらすぐに買うつもりである。Bianchiのクロスバイクいいよなあ、などと思っているが、カラーが目立って盗難の対象になりそうだ。それだと乗り換える意味がないかもしれない。

読んだ

省察

デカルトの主著である。有名な「我思う故に我存り」が『方法序説』で、『省察』は『方法序説』をより丁寧に哲学した本。続編と言えるかもしれない。

世界を片っ端から疑っていき、どうにかして現実世界を肯定する、というストーリーだった。

思惟する私が存在することを認めたあと、むりやり神の存在証明を始めたのにびっくりした。時代である。その後の議論では神の存在を前提に論が立てられるので、ちょっと微妙なところもある。

ところどころに、カントの『純粋理性批判』を思い出させるフレーズがあった。物そのものを知覚できないかも、みたいなやつ。もしかすると、カントはデカルト哲学を意識し、継承して『純粋理性批判』のカントOSを作ったのかもしれない。

書くための名前のない技術 CASE3 千葉雅也さん

アウトラインプロセッサの伝道師であるTak.氏が、ヘビーユーザーの千葉雅也氏にインタビューした本。

Tak. 千葉さんにとってアウトライナーというのは考える道具であって、執筆そのものでは ないという感じですか。
千葉 アウトライナーで執筆の実作業に踏みこむのは4分の1くらいまでですかね。やっぱりぼくは最終的には見た目がないと書けない、というか文章として決まらないです。
Tak. やはりそこでビジュアル的な意識が出てくるわけですね。
千葉 ぼくにとってアウトライナーの重要なところは見た目に煩わされずに内容だけを考えられるということです。 その意味では思考のツールです。 その結果アウトライナーの中である程度「思考としての文章」ができるんだけど、なんというのか 「美学的な文章」はそこでは完成しないです。

これがよかった。

アウトラインプロセッサについて

このところアウトラインプロセッサ(アウトライナーとも呼ぶ)にはまっている。

アウトラインプロセッサとはテキストエディタの一種で、古くから小説家やライターが使ってきたものである。なんとワープロの時代からあったらしい。

ふつうのテキストエディタと何が違うのか?「箇条書き」(箇条書きとは別物の何かなのだが、通りがよいので箇条書きと呼ぶ)しかできないのが特徴である。

こんな見た目。

「・」で一つのトピックを書き、これをネストして文章を構造化するツールだ。

アウトライナーの特徴

「箇条書き」をネストするだけならさまざまなテキストエディタ、メモアプリにあるが、アウトライナーは「箇条書き」に特化した機能がある。

まず、ネストの深さを可視化する機能。「・」の深さに対応した縦線が描画されている。プログラミングに使うエディタにもある機能だ。

ネストの深さがぱっと見でわかる

次に、任意の「・」を畳める機能。トピックの塊を畳んで見えないようにできる。アウトライナーで書きながら考えると、抽象的な記述がネストの浅いところに、具体的で詳細な記述がネストの深いところに出てくる。今は詳細について考えなくてよい、というときに細部のトピックを畳みたくなるのだ。

畳んだ状態

並び替えの機能も重要だ。アウトライナーでは「・」の順序の入れ替え、ネストが簡単にできる。GUIでも操作できるし、ショートカットキーもある。並び替えることで、構造化をするので、この機能は重要である。

さらに、任意の「・」にフォーカスする機能がある。深いところにある「・」だけを表示して編集ができる。

一部のアウトラインだけ表示している

これらの機能があればアウトライナーと呼べると思う。MarkdownやScrapboxにはネストした「箇条書き」を書く機能はあるが、畳む機能はない。だから専用のアプリが必要なのだ。

構成と詳細の分離ができる

ところで、「箇条書き」がネストできると何が嬉しいのだろうか?

Tak.氏の『書くためのアウトライン・プロセッシング』では次のように言われている。

ここで行っているのは「文章を書く」と一口に言われる作業のうち「構成を考えること」と「ディテールを考えること」を分離して、一度に一方だけを考えることです。文章を書くことが難しいのは、その両方を同時にやろうとするからなのです。一方に集中することで頭の負荷を軽くし、自由に書きながら制御できる状態も保つわけです。

構成と詳細の分離ができる、というわけだ。アウトライナーでは構成を考える=設計を行い、別のテキストエディタで具体的な文章にするのである。

「箇条書き」が良いのは、あとから「・」を足せるところにある。「ネストされた箇条書き」=アウトラインの状態であれば、あとから「・」を挿入して説明を追加したり、論理の飛躍を修正するのが容易である。

一方で、ちゃんとした作文の状態にすると、論理構造を把握し、文章の表現として読めるように調整しなおすのに労力がかかる。

つまり、アウトラインは編集、修正に対して開かれているのが良いのだ。作文された文章は半ば閉じられており、修正が難しい形になっている。

外部脳としてのアウトライナー

また、アウトライナーは頭を整理するのにも使える。アウトライナーは書き散らかして整理をすることで、文章の構造を整える道具である。文章になりさえすれば構造化と整理ができるので、論文や小説でなくても仕事の状況や日記を書けばそれに関する思考が整理されるのだ。

言うなれば、自分で自分をカウンセリングするための道具である。自分の状況をアウトラインにして、テキストの上で整理をしていくと、自然に自分の悩みの本質や、課題が浮かび上がってくるのだ。

大事なのは、素直になんでも書くことだ。「はーだるいなあ」とか「めんどくさいなー」「あーーーー」とか書き、「何がめんどくさいんだろうか」と続けていく。そこから連想が赴くままに書き散らかすといつの間にか、自分の状況が可視化されているのである。

よく、Twitterになんでも書いて、そのうち勝手に納得してる人がいるが、アウトライナーでも似たようなことができる。

「・」一つ一つがツイートになっていて、ネストするとスレッドになる。ツイートの編集ができて、スレッドの並び替えができる、スレッドのネストが無限にできるのがTwitterとの違いである。より自由に構造化ができるのだ。

アウトライナーで整理してるもの

ここからは、アウトライナーの具体的な話をしてゆく。まずはどんなことを書いているのかについて。

日記

先日の週報で日記帳をUlyssesに乗り換えた、と書いたが、また変わってしまった。今ではアウトライナーがそのまま日記になっている。

そもそも日記は作文である必要がないことに気づいてしまった。日常の出来事にストーリーじみた関連なんてないし、起きた出来事にあとから考えごとを足せるほうがいい。編集に対して開かれていたほうが日記として書きやすいのだ。私は三年間、生産的でない日記の書き方をしていたようである。

また、「・」を畳む機能があると、あとから日記が読み返しやすくなる。詳細は畳んでおいて、大雑把に読むことができる。

読書ノート

読書にも使えた。読みながら理解したことを書いていくのである。

難しい本、長い本だと、議論がどこにいて、どこへ向かっているのかわからなくなりがちだが、アウトラインを書きながら読むと本の全体構造を把握したまま議論についていけるのだ。

本に線を引いて書き込むのも似た方法だが、やっぱり読書ノートとしてまとまっているほうがいい。一瞥して論の構造が把握できるし、自分のものとして残るのが良い。何より、本のページは大した余白がなくて、長文は書けないのである。

仕事全般

朝起きて業務PCにログインしたらまずアウトラインを書き始める。

「えーっとなんだっけ、昨日のアウトラインによるとxxはooさんの反応待ちで、今は%%ができるようだ。これから始めるか」などと書いていく。

すると、自然に仕事が始まり、やる気が出るかどうかとか気にしている暇もなく作業をすることになる。作業の途中経過もアウトラインとして書くことで、割り込みが入っても作業に戻りやすくなった。

また、コードや資料のレビュー、会議にも使える。自分が理解したことを整理しながら書くことで、すばやく応答できるようになった。

なお、業務では下に挙げるアウトラインプロセッササービスが使えないので、macOSのメモ帳を使って「箇条書き」をしている。「・」を畳めないし行間が狭いのが使いにくいのだが、一日ぶんの思考を整理するだけならなんとかなっている。もちろん、ライセンスを買ってもらえるならば、専用のアプリを導入したい。

週報

この週報もアウトライナーで設計している。

ただし、アウトライナーに書いた文章をそのままお出ししているわけではない。アウトライナーに書かれたものは、他人が読めるものではないと思っており、横にアウトラインを表示しながら作文をしている。

構成と詳細の分離はできているので、作文は楽である。何も考えなくてよい。

妻氏のネーム

妻氏が漫画のネームで苦労していたので勧めてみた。小説家が使う道具なので、もしかすると使えるのでは、と思ったらうまくいってしまった。

ふつうの漫画制作では、ネーム→下書き→ペン入れと工程が進むのだが、ネーム工程がそのままアウトライン作りになった。

ネームをテキストだけで作れるのはけっこうな効率化である。

というのも、アウトラインでネームを作るとコマを次のページに送るのが楽になるのだ。アナログネームならば消しゴムで消して描き直しになるし、デジタルでも切り取りと貼り付け、拡大縮小が必要になる。たいてい紙や画像が汚れて読みにくくなる。アウトライナーならば、テキストを移動させるだけなので簡単だ。

妻氏は、ネームの台詞を手書きするのが死ぬほど嫌だったらしく、この点も楽になっている。

アウトライナーのアプリ

DynalistとWorkFlowyが有名である。

WorkFlowyはそれなりに古いサービスで、Dynalistはそのあとに登場したらしい。WorkFlowyがシンプルな機能を売りにしているのに対して、Dynalistは多機能である。

WorkFlowyは無料ユーザーだと月に250個しか「・」を書き込めないのだが、Dynalistは無料で書き放題だそうな。

一番重要な違いは、ノートが複数あるかどうかである。WorkFlowyはアカウントごとに一つのノートしかなくて、すべてを一枚のノートに書く設計思想となっている。「・」は畳めるしフォーカスもできるのでたしかに問題はない。DynalistはWorkFlowyの逆張りをしているので、複数のノートがある。

私はWorkFlowyを選んだ。多機能よりシンプルなのが好みだから。早速ヘビーユースしているので課金をしているのだが、WorkFlowyで得られた生産性を考えると月に4ドルは安く感じている。

まとめ

というわけで、アウトライナーについて長々と書いた。前から気になっていたテキストエディタではあったが、実際に使ってみるとハマって生活の一部になってしまった。

上記の議論が一般に妥当するものとは思っていないが、おすすめではある。特に、テキストで考えごとをする人にはうまく使えるはずだ。頭の整理が捗ると思う。

関連書籍

メイキング・オブ・勉強の哲学

千葉雅也氏のWorkFlowyの使い方、スクショが乗っている。参考になった。

書くための名前のない技術 CASE3 千葉雅也さん

上述のとおり。

書くためのアウトライン・プロセッシング

Tak.氏の本。これよりは『アウトライナー実践入門』のほうが良いかも(私は読んでない)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?