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週報 2023/07/23 その基準は本当に正しいんですか?、躁鬱人の衝撃、体質・規範意識・開かれ

7/15(土) ハト、冷やし中華、まずいたこ焼き

急にハトのぬいぐるみが欲しくなって注文した。サービスが悪すぎてAmazonは使いたくないのでヨドバシカメラで注文。取り寄せになったが、すぐに届かなくてもいいのでよしとした。
衝動買いのようにみえるが、衝動的にハトがよいと思ったのではなく、ずっとハトはよいと思っている。リアルなハトのぬいぐるみが家にいてほしい。

一群12羽 1ポッポ2ポッポ…眠れない夜に数えてみては

HANSAという企業はリアルなぬいぐるみを作るのが生き甲斐らしい。

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昼に冷やし中華を作る。暑くて食欲がないのでこういうものしか食べられない。実は自炊で作るのは初めてだ。
問題はキュウリ。キュウリって青臭いのだ。「絶対に臭みを抜く方法があるはずだ!」と思って調べたらGoogleがすぐに教えてくれた。湯通しするといいらしい。
やってみたらキュウリの緑色が濃くなり、食感もシャキシャキになった。もちろん青臭さもなくなっている。苦手なキュウリをおいしく食べる方法を見つけて喜ばしい。ただでさえないキュウリの栄養が無になっているとは思うけども。

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宵山の出店で食糧を買いお太り様活動をする。
八百屋の出店でたこ焼きを買った。でもおいしくなかった。粉が重くてタコも少ないし、紅ショウガも青のりもなかった。妻氏曰く、大阪的にはこれらが必須らしい。
ちょっとレベルが低い。そりゃあ八百屋だからだ。仕方がない。八百屋は調理のプロではない。

7/16(日) 膳處漢ぽっちり、その基準は本当に正しいんですか?

友人とのオフ会。錦の膳處漢ぽっちりで昼食を食べた。祇園祭の膳處漢ぽっちりはしみだれ肉まんで有名。この日も炎天下のなか、長蛇の列ができていた。そんな列を無視して店に入っていくのはいい気分だった。
今回はコース料理。前菜からメインまでずっとレベルが高くておいしかった。中国料理特有の神経質であり繊細な仕事が感じられる。ただ、フカヒレスープは微妙だった。珍味なだけであって、味そのもののレベルが高いとは思えない。

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深夜、妻氏が「仕事の進め方をミスって締切りを延ばしてしまった」といって悩み始めた。妻氏の会社では(だけでなく一般に)開発プロジェクトで締切りが伸びることはよくある。「それはよくあることなのでは?」「そこに至るまでの判断は最適だったのでは?」と質問をしたら妻氏は納得して落ちついた。
「自信がない」とか「うまくいかない」という心理には「理想状態と現状のギャップからくる不安」で説明できる。目標があって主体的に取り組むこと自体は必要だが、「〜あらねばならない」式の外から押しつけられた「理想像」や「規範意識」は持たないほうがいい。しかも悪いことにその「理想像」は誰かが具体的に求めたものではないことがある。主観的に産み出した謎基準なのだ。
また「現状」の評価もおかしいことがある。能力がちゃんとあって発揮されているのに「自分には能力がない」と言う人もよくいる。
どちらも主観の謎基準・謎評価の設定が原因なので「その基準は本当に正しいんですか?」と質問するとよい。

似たようなことはhitode909さんが『ライバル』という記事で言っている。ここでは、まわりの人を合成した超人が脳内の理想像に設定されるケースが想定されている。

7/17(月)祭りの汚れ、躁鬱人の衝撃

今日の烏丸はいつもより人が少なかった。前祭が終わってみんな帰ってしまったのだ。ふだんどれほど観光客が多いか、が思い知らされる。
路面はどこも汚れている。飲み物や食べ物が溢れたあと。車を止めて屋台を出すとこういうことが起きるのだ。もしかして、これが嫌だから日本では屋台が少ないのだろうか。
これらの汚れも雨で流れていく。汚れてるなあ、と思っていつの間にか洗い流されるのを毎年経験している。

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『躁鬱大学』を読んで愕然とする。

なんだこの一生治らないってのは。(中略)
いや、だめです。怒っちゃだめです。不正を見つけると、つい怒ってしまう。ただ、躁状態のときは、本人は怒りだなんて思っちゃいません。不正をただそうとしているんですから、「当然のことだ」「むしろ正義だ」と思っています。いや、思い込んでます。しかし、思い込んでいることに気づけません。(p18)
話を戻しますと、つまり僕も、あらゆる行動を、一見、人のためにやっているような行動までも、すべて自分のためにやっているんです。
自分のためにってどういうことかというと、「そんな不正をただす行為をやっているあなたは素晴らしい!」と周囲の人、いやそれ以上に多くの人から賞賛されたいと思っているということです。褒められるためだけに生きています。(p21)

この手の人はその辺にいるし、弊社にも妻氏の会社にもいる。特徴は怒りっぽくてひどく主観的なこと、気分屋であること。
でも能力がないなんてことはない。それなりの手続きを経て採用されているので腕っぷしはある。なのに、気分の波がすごくてまわりがついていけないのだ。

自閉症、多動、神経症、サイコパス、アファンタジア、HSPなどの傾向をもつ人たちとはいろいろ喋ったことがあるし、相互理解もある程度は可能だった。しかし(坂口恭平みたいな極端なタイプの)躁鬱人(※)はなかなか言葉が通じない。
でも逃げるわけにはいかない。ADHDを併発してるケースもあるからだが、躁鬱人にはすばらしい思いつきをする人もいる。うまくやっていけると強い味方だ。どうにかして理解してみたい。

※: 躁鬱人とは、双極性障害でも躁鬱病ではなく体質としての躁鬱人だという坂口氏の主張

7/18(火) アイデアと自尊心

業務でアイデア出しをしたときのこと。人の案に対して「この案そのままだと量が多くて実装が大変かも?」と言ったら若干食い気味に「大丈夫だ」と言って説得された。
アイデアというものはめんどうで、自尊心とくっついてしまうことがある。数日経つまでは、その人の柔らかいところと密結合していて簡単には触れない。触ると反撥される。
丁寧にやさしく指摘できたらいいのだろうけど、私の性格だと無理だ。どうしてもハッキリ指摘しては食い気味に返されてしまう。

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夜にモルモットの爪切りをしたところ、王(モルモット)は身をよじって暴れた。王よ。

7/19(水)体質・規範意識・開かれ

さいきんの読書の影響で、精神分析と躁鬱人の知見を使って性格一般を分析してみた。性格には「体質」「規範意識」「開かれ」の側面がある。

「体質」とは脳の配線の違いのこと。物理的にはシナプス結合の偏りであろう。脳領野同士を結ぶ「高速道路」の太さ、経路は人によって違うはずだ(※)。そうでなければ記憶力や刺激への反応の速さが多様になるわけがない。これはWAISに出やすい性質かもしれない。
脳の配線が生得的な傾向かどうかは知らないが、成人後はあまり変わらないようにみえる。たまに薬が効くこともあるが、効果は安定しない。だから「体質」と呼んでいる。
「体質」についてはくよくよ悩んでも仕方がない。「体質」という天与の性質として事実的に受け容れると楽になる。

※: シナプスには太くて速い高速道路と細い下道がある

「規範意識」とは精神分析で言うところの「神経症」であるかどうか。精神分析では人はみな「神経症」か「精神病」である、とする。「神経症」は常識的な発達をしてきた人。「神経症」の人は「常識」や「規範」「理想像」に悩まされやすい。常識的だから。
無意識に「規範意識」を発動させてしまうのが「神経症」だが、訓練で抑制できることが知られている。精神分析や書くことが有効。

「開かれ」とは「他者および他者の言葉をどの程度信用するか」である。パラノイア的な性質、自閉症的な性質な人は他者を信用しないし世間で流行する言葉も安易に取りいれない。「それって本当にそうなんですか?」と疑り深く質問をしてくる。哲学者やソフトウェアエンジニアに多いタイプ。
これも学習によって変わってくる性質。「勉強」をするほど疑り深くなることからもわかるように。

私は「イメージ欠如の体質」で「規範意識が乏しく」て「閉じられている」タイプである。千葉雅也は「イメージ過剰な体質」で「規範意識が強く」て「閉じられている」タイプだと思われる。坂口恭平は「躁鬱人+ADHD体質」で「規範意識がなく」て「開かれている」タイプであろう。

7/20(木) 締切り前のトラブル、冷えと寝汗

疲れた。一日中業務の実装をしていて23時半に退勤した。

そういえば夕方にトラブルがあった。自宅へ移動して実装の続きをしようとしたらDockerが起動しなくなったのだ。Dockerが動かないと開発用サーバーとの通信ができない。かなりやばい状態だったが、すべての設定ファイルを吹き飛ばしたらなんとかなった。締切り直前にこそ物は壊れ雷が落ちるのである。

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冷えてるときほど寝汗をかくという逆説があるらしい。鍼の先生曰く。
なんとなく経験則として知っていた。鍼で冷えの治療をされると寝汗をかかなくなる。鍼バフが弱まるとだんだん寝汗がひどくなる。
冷えの原因はエアコン。京都の夜は厳しいのでエアコンをつけて寝ている。近所の老婆はドアを開けて蚊取り線香を焚く。我々には真似ができない。妻氏はたいへんな暑がりである。
交渉してちょっとだけ設定温度を上げた。

7/21(金)メタ指摘の投げ方

妻氏が「後輩にあの仕事を投げたのは間違いだったのか、もっとよい投げ方があったのではないか」と悩みはじめたので「どうすべきだったか?という問いは意味がないですよ」と言った。仕事を投げたタイミングは締切り前だったというし、そのときどきの最適な判断をしていたに違いない。「もっとうまくできたのではないか?」という問いは後知恵なのだ。それに、その後輩に「投げられた仕事についてどう感じたのか?」を聞くのがいちばん。他者について「〜したほうがよかっただろうか?」と問うのは出口がなくて自分を消耗させるだけである。

「その悩みは意味がないですよ」という指摘はメタ認知を発動させて有益である。我が家だとメタ認知が大事にされているので許されるのだが、同僚に言うとまずいだろうか。
厄介なのはこの手の思考が自動的であること。自分で主体的に考えているわけではないのだ。ただ思考が巻きこまれているだけ。メタ認知でもって、ぐるぐるを問いごと否定するのは正しいが、指摘としてはちょっと重い。
大事なのは共感を示すことらしい。「その悩みは理解しますけれども、たぶん答えが出ないのでやめておいたら?」という調子。がんばったら仕事でもそういうふうに言えるかしら。でも、私は共感的な信号を出すのが無理なので棒読みになっちゃうかも。ダメでは〜?

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