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学習のための動画コンテンツをつくるときに平凡視点はどう役に立つのか?

多くの動画コンテンツは、経験豊富な人や、その道の専門家の人たちが講義形式で知識を伝える形式をとっている。

おそらく特定の技能を教える、ある程度定型化された業務に取り組む際は、その構成で十分役割を果たせると思う。
 しかし、ファシリテーションや人材の面談、地域でのプロジェクトの進め方など、ある程度の型もないことはないけれど、その時によって変化する仕事に取り組むときに、コミュニケーションを取れない「動画コンテンツ」はどのように役に立つのか?
などと最近もくもく考えている。

・知識が豊富な人、業界歴が長い人、引き出しが多い人、など伝えることを持っている人は意外とたくさんいる。
・しかし、大多数の人には上記の人の話は、前提としている知識が多すぎるか、文脈が複雑すぎて、ただ話を聞くだけでは理解できない。
 ※ここでいう大多数の人とは、興味が無い・接点のない人ではなく、その業界・その分野の初心者や、最近関心を持ち始めて学び始めた人を想定。
 
最終的にはこの学習を参考に、実行できるようになることを目指したい。
・つまり、分かりたい!やりたい!という気持ちはあるけれど、一度聞いたらすぐに理解できて実践できるのではなく、実践までの第一歩を踏み出すために、何かしらの「繋ぎ」「解説」「落とし込み」などが必要。

というときの、「学習のための動画コンテンツ」はどのように構成したらいいのか?

ハイレベルすぎてついていけない。を無くす平凡視点


知識豊富な代表×大学の先生のやり取りだと、どちらがファシリテート役をやったとしても、とてもハイレベルな議論になり、置いていかれる人が続出するか、計算されつくした質疑応答になり予定調和になりすぎるという話になった。(どちらも私には到底マネできない、すごい……)

が、一方で、私の平凡視点ファシリテートがコンテンツが役に立つこともあるらしい。
なんとなく上記の組み合わせの進行と違うのかな、と思ったことを書いてみた。

・実際にテーマとなる活動に取り組んでいて、実感値がある。
・経験はしているけど理論的な裏付けはできていない。
・純粋に自分がわからないところを聞いているので、躓きポイントにリアリティがある?
・他の人にも知ってもらいたい!知ってもらったら絶対に良いことがある、と思っている。ので(伝わるかはどうかは別として)他の人にも伝わったらいいなと思いながら話を聞いている。
・知り合い含めて、聞いてほしい視聴者像を具体的にイメージしている。
・でも最終的に一番学んでいるのは自分だと思う。(自分が一番の視聴者なので自分が楽しい)

なので、平凡視点で話をきいたほうが、多くの人にはハイレベル話をされるよりも、最初の一歩を踏み出しやすいこともあるのかなと思いました。

理解が深い人は「どこが分からないのか分からない」状態になりやすいので
分からないところを「そうだよね!」って思えることが大事なのかなと。
 経験はしているけれど理論的な裏付けはできていないってあたりが、該当する人が多そうな気がするので、本当に教えてもらいたいポイントなのかもしれない。

ここまで書いておいてなんだけど、まだ何か見落としている要素がある気がする。
橋渡しができるというのが一番いいのだろうけれど、今回の立場と関係性だからうまくいっている気もする。

となると、私自身が無自覚にハイコンテキスト過ぎるものの動画をつくるときは、私がファシリテーター役でないほうがいいのかもしれない。という仮説もある。もうちょっと検証したい。


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瀬沼希望|地域と推しとコーディネーター
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