あるがまま
映画『私をくいとめて』を観て、ふと思い出したことばがあった。
それは「あるがまま」ということば…
昔、知人がある「心の健康法」ガイドブックのようなものを持っていたので、拝借して読んでみた。
本の表紙には、たしか『森田式精神健康法』と、書いてあった。
(今は手元にないので、思い出しながら書きます。)
それは、禅の本を手にした時と同じように、読めば読むほど府に落ちるものだった。
その内容は、決して病気の治療法ではなく、条件としては健康ではあるが、何らかの「心のとらわれ」によって、生活に滞りが生じてしまった場合の対処法、みたいなことが書かれていた。
(ただし、いわゆる『森田療法』とは、本格的な神経症の治療法らしいですが、この本に関しては健常者を対象としていたようでした…)
現代、特に若い世代は進学受験勉強偏重の影響なのか、いわゆる観念性(かくあるべき、強迫観念性)が強くなりがち…
理想を高く掲げ、自分はこうでなければ、ああでなければと悩み、それに達していない自分が受け入れられない。
ひどくなると、自由に外出することすらできなくなる。
よく○○恐怖症というものがあるが、本当に病気の場合は、適切な治療が必要だが、そうではなくて、なんらかの挫折経験や劣等感などよって、当然自分が進むべき状況から逃避してしまう場合がある。
逃避というのも、精神を正常に保つための緊急的な回避行動だはと思うが、ずっとそのままでは生活に支障が出る。それが長期化したものが、いわゆる「引きこもり」なのか…?
『私をくいとめて』の主人公、黒田みつ子は、ちゃんと仕事もしているし、人間関係も卒なくこなしている…ように見える。
多田君が現れるまでは…
みつ子には、一般的な「恋愛に臆病」という一線を越えたトラウマがあった。
黒田みつ子は、フィクションの人物であるし、こういう人にこの『森田式…』が適切だとは決して思わない。
でも、恐怖症気味ながら、なんとか飛行機にも乗れるし、男性とも付き合いができる。
ただ消化不良をおこした異物のようなものが心の奥に引っ掛かっている。
人それぞれの心の問題になっている根本原因はあっても、もし可能であれば、この『精神健康法』のような方法によって『行動』を前に進められるのかもしれない…
行動…
まさにこの健康法のいわんとするところは、行動…
「気の持ち方」とか「心の安定」ではなく。
心とか感情というものは、人間の意思では変えられないものなので、相手にしても始まらない、という…
だから感情や精神的な変調は、変えようとはせずに「あるがまま」に受け入れて、本来の行動(仕事など)を進めなさい、というものだ。
まあ、あたりまえといえばあたりまえのことだが。
古い本なので、今は容易に入手できるかはわかりません。
⬇️当時、読んだ本とは別のものかもしれない。たしか白っぽいカバーだった。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784837974857