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愚痴ばかりの自己肯定感ゼロなアトツギがポジティブ思考になるまで

僕は数年前まで自己肯定感が著しく低い人間でした。今は結構ポジティブになりましたが、過去がどんな感じだったのか、どのように変わっていったのかを振り返ってみたいと思います。

家業に入ってからずっと自分に自信が持てない日々

僕は異業種での経験を経て30歳で家業に入り、営業担当として即タイへ赴任となったのですが、数か月を過ごしての率直な感想は「とんでもないとこ来ちゃった」というものでした。

  1. 部下である営業のタイ人女性メンバーがお客さんと社内の板挟み調整に疲れて毎日泣いてる

  2. 突然来なくなる従業員が多い

  3. 製品の出荷が毎日何かしら遅れてる

  4. 部門間の仲が悪く協力してくれない

  5. いつまでも終わらない会議が毎日のようにある

  6. 従業員用ロッカーが真っ茶色に錆びてドアも半分くらいしかなく朽ち果てている

  7. 会社カレンダーで年間休日が76日しかない

  8. 何を稟議に出しても却下される

  9. パワハラ横行

  10. とりあえずタイ語わかんない。英語も全然通じないし通訳なんていない

書き出したらキリがないのでここらにしておきますが、一言で「超ブラックな会社」でした。特に朽ち果てたロッカーは「会社の従業員に対する扱いを象徴するもの」として僕には映りました

画像はストックフォトですが、これの一番左二列が全部みたいな感じでした

そこまでのキャリアは東京の外資系PR会社からシンガポール大学のMBAというものでしたので、自分を勘違いし鼻が伸びていた状態ということ、またタイ人スタッフから後継者として期待されており、会社への不満の相談をどこにいても誰と話しても受けていたことから、おかしいと思ったことは大抵口にしていました。

でもね。ハイ。もちろん聞き入れられるわけもありません。

「これはこうしたほうが良い」(と言っても通らない)
「なぜこうやるのか。不合理だ」(と言っても「こういうもんだ」となる)
「なぜ社長(父)は自分の話をきちんと受け止めてくれないのか」(とは言わないけどずっと思う)
「まずは経験を積め」(と言われる)
「何も知らない若造が」(と思われる)

もうね、アレです。全部アトツギあるあるです。
実務は在タイメンバーに任せて月に一度だけ日本から来る社長はその都度話を聞くことはしてくれたのですが、それに対して打ち手は出しませんでした。今にして思えばとりあえず耐えろということだったのでしょう。なお何がどんな風にブラックだったのかという生々しいエピソードは腐るほどありますが、今回はそこが目的ではないので割愛します。

経験の浅い若造が自分の職域を超えて違うやり方を提唱、受け入れてもらうのは簡単なことではなく、ならば自分の担当である営業でまず実績を作ろうと考えるものの、以前記事に書いたように当時は中国から競合が進出して安値を武器にシェアをかっさらっていく最中。加えて世界的な家電製品の価格競争も相まりお客さんからの熾烈なコストダウン要求に応えてシェアを守るだけで汲々としており、目を瞠るような大きな新規案件が取れることもなく徐々に会社の売上は下がっていきました。カイゼン活動を始めてそれまで絞らなかった雑巾を絞ることで利益は維持できていたのですが、「このままでは緩やかな死だけだ。後継者の自分が何かしなければ」という危機感が常にありました。でもその「何か」は簡単に見つかるわけもなく。

「『何か』を見つけて『何者か』になりたい自分とそうなれない自分へのギャップ」がもたらす劣等感が常にあった気がします。

悩みをさらけ出せず負のスパイラル

同世代の日本人は社内にいません。同世代のタイ人はいても自分の立場を考えると会社の愚痴を言うわけにもいきません。じゃあ社外はというと会社員や経営者、起業家の友人・知人はいても、自分は一般的な会社員とはちょっと違う。かといって経営者と対等に話せるレベルでもないわけで、自分で殻を作っていた部分もありますが、心をさらけ出せる相手がまったくいませんでした。これも完全にあるあるの話ですが、アトツギ特有の悩みは同じ境遇の仲間を除いては話しづらいものです。日本であれば青年会議所とかあったのかもしれませんが、タイではそういったコミュニティがなく、たまに後継者だよという人がいてもかなり年上で承継から10年以上経っているベテランだったりとか。どうしようもなくなって酒の席で一緒になった人に愚痴をこぼすことがありましたが、本当にただの弱虫の愚痴でしかありませんでした。初対面の経営者さんにグチグチ吐き出した挙句に本質をズバズバ突かれまくって死にたくなった夜とかよく覚えています。

こういう時はSNSに投稿なんて一切しなくなります。僕は多趣味なタイプなのでそれこそSNSに投稿するようなネタには趣味のフィールドでは事欠かなかったのですが、自分が一日の時間を最も費やす仕事において全く自信がない状態では「仕事できないくせに趣味ばっかりして」などと自分以外の誰も気にしていないことを勝手に気にしてインスタもFBも投稿はほとんどしていませんでした(Xはまだやっていませんでした)。
そんな中でバンコクの同世代の起業家たちの華々しいエピソードがSNSで飛び交っているのを見たりしてどんどん「自分なんか」という気持ちが強くなっていきました。
(なおこの当時「華々しいエピソード」を出していた方々も後で聞くと当時の自分の苦労がアホみたいに思えるほどのハードシングスを抱えていたそうです。それでも気丈に振舞っていた胆力は尊敬でしかありません)

いよいよ参ってくる。母親に大泣き。小説を読んでも大泣き

その頃本社への出張で東京の実家に泊まることがありました。夜寝室で母親と話した最後に「お父さんも期待してるんだからアンタもしっかりやりなさいよ」みたいなことを言われたのですが、多分父からはまだ甘いという風に聞いていたのでしょう。そんなニュアンスを感じる言い方だったのでもうブチッとなってしまい「俺の気持ちなんてわかるわけないだろーがよおおおお!!!!ああああああ!!!」と布団に突っ伏して子供のように大泣きしてしまいました。35歳とかの良い歳した男が母親の前で中学生みたいなセリフを吐いてギャーギャー泣いたわけです。ああ恥ずかしい。

またその頃インド進出の現地調査をしており、ある日デリーからバンコクに戻る飛行機の中で「蜜蜂と遠雷」というバイオリンの天才少年少女達を描いた小説を読んでいたのですが、演奏シーンの描写が始まった途端に突然涙が止まらなくなりました。小説を読んでホロっとくることはあっても号泣というのは初めてのことで、隣にいたインド人もびっくりしていたというのは嘘ですが、作品の素晴らしさは間違いないにしても全く感情をコントロールできない自分を目の当たりにして「やばいな」と思いました。

様々なきっかけで徐々に上向く

そんなこんなでだいぶ一杯一杯になっていたようです。個人メールに届いていたビズリーチのメールを開封して会員登録、履歴書を整えて応募をしてみたりヘッドハンターと話をしたりしました。転職活動です。いくつか本当に面白そうな案件もあったのですが、話を聞いているうちになぜか転職への意欲は自分でも驚くほどに萎んでいきました。

加えてその頃タイで人材開発事業を営む起業家の方が主催する「自分のアイデンティティを見つける」というワークショップがあり、参加した知人が「ホントにモノの見方が変わった」「終わった時号泣だった」と異口同音にするのを見聞きしていたのですが、とにかく変わるきっかけが欲しかった僕はそのワークショップが近日中に開催されるという話を聞いて矢も楯も無く申し込みました。
一緒に参加した初対面のメンバーと一緒に自己開示と自己分析をしながら様々なワークをゲーム感覚で進めていき、最後に自分の三年後のビジョンを描くという二日間のワークショップは単純にエンタメとしても面白いもので、あるゲームの途中で思わず「うわ、何これ、超面白れー!」と叫んだのですが、後の振り返り時に進行役の方から「あの時そうやって叫んでましたよね。のむさんはもう『面白い』で突っ走っちゃったらいいんじゃないんですか」と言われました。

何なんでしょうか。その瞬間「ああ、自分はこれでいいんだ」と全部ストンと腑に落ちました。単純すぎると思われるかもしれませんが、雷が落ちるというか、この時の腹落ち感は人生において類を見ないものでした。
おそらくそこに至るまでの負の感情の蓄積やワークショップの中で自分をメタ認知するという作業を繰り返したことが大きかったのでしょう。「自分は面白いことが好き。ワクワクしたい。そういうヤツでいれば良いんだ」と本当に雲が晴れた気分でした。それ以降この芯はブレていません。なおこのワークショップはスピリチュアル系では一切ありませんので念のため。

更にこの頃インド立ち上げという大きな目標に向かって動くことでタイ国内で鬱屈していた気持ちの向き場ができたことも大きいと思います。単独での進出よりも現地の同業他社と合弁会社を立ち上げようということになり、合弁契約のまとめ、交渉、工場用地選定その他諸々で合計30回弱くらい訪印しましたが、議論上手なインド人との英語の交渉など自分のスキルを活かせる場面が多く、「これは自分だからこそできること」と自己肯定感を上げられるようになっていきました。

ちなみにインドの最後は2019年夏に合弁契約を結び会社を登記、社長も同席した初めての役員会議という場で合弁パートナーがそれまでの合意を全部ひっくり返すインドあるある事件が勃発、大喧嘩になり、「社長、もう行きましょう」とその場を去って以来彼らとは会っていません。
場を去るのは計算でしたしその後相手が譲歩するかと考えていましたが、強かな彼らは一切引いてきませんでした。最終的には美辞麗句を並べながら腹の底では我々のことを全くリスペクトしていないパートナーのことが嫌いな自分に気が付き社長も納得、設備の輸送や資本金の振り込みはまだこれからだったこともあってインド進出は正式に止まりました。その翌年コロナ禍が始まった時は心の底からインドやらないで良かったと思いましたが、やはり彼の地の持つ経済的なポテンシャルは昨今になって顕著に国際的な存在感を増し続けており、いつかまたあっちで何かしたいなという気持ちは消えていません。

タイの代表になったらそれまでの悩みはゼロになった

このように様々な要因で少しずつ精神が上向いてきた2020年、パンデミックによってそれまで月に一回訪タイしていた社長が物理的に来れなくなり、これをきっかけにタイ法人のManaging Directorに就任、実質的なトップになりました。社内に沢山あった理不尽なルールや慣習を見直したり人事評価制度を見直したり休みを増やしたりMVVを策定したり新規事業を立ち上げたり会社ロゴを変えたりユニフォームを変えたりと継いだばかりのアトツギがやりがちなことを次々とやっていく中、それまで自分を苦しめてきた悩みはゼロになりました。Xで発信し始めたのはこの頃ですので、そちらで繋がりのある方には概ねポジティブな部分を見せられているはずです。バンザイ。

ただ当たり前ですが経営者になると別の悩みが生まれます。売上、キャッシュフロー、人事、全部大変です。今年はご飯食べれなくなる程しんどい時期もありましたし、そんな時にXでは何も呟けません。ROM専バンザイ。

またMDになってから始めた取り組みもすべてが機能しているわけではありません。会議の見直しや休日の大幅増加(今オフィス職は年間休日118日)、人事評価の刷新などは従業員定着率や採用力の向上で功を奏したと言えますが、MVVは幹部メンバーを巻き込んで作ったもののバリュー以外はまだ浸透させられてるとは言い難いですし、新規事業に至ってはアトツギ甲子園から一年近く経って11月にようやく「AppSheet アプリを開発します!開発者育成します!」と方向を定めて営業活動を始めたところです。

が、この新規事業に関しては「こんなことやってますよ」と声に出した途端に思いがけない程の反応を様々なところから頂いています。人と話せば話すほど自分達がやろうとしていることが社会に必要とされているのだと実感できていますし、日本の製造業の今後の見通しが明るくないという共通認識の中で新しいことをしようとしている自分達に応援の姿勢を表してくださる方が多いです。事業の柱に育つのはまだまだ先だとしてもこれに関わるメンバーは今とてもワクワクしながら大変忙しく過ごしていますし、徐々に社内での理解も進んできた感じがします。

とはいえ本業あってこその新事業・別事業というのは心から感じます。アトツギ甲子園以降はむしろ本業に真剣に向き合わないといけない時間が圧倒的に増えたのですが、そこに余裕がないと別の新しいことなどできませんので、今後もバランスには注意しつつ地道かつ大胆に事業展開していこうとしています。

今がしんどいアトツギさんへ。逃げてもいい

僕は今何かを成し遂げたというわけでは全くありません。失敗ばかりしていますし、業績面では特に最近落第点レベル。日本の本社の承継もまだこれから。発展途上もいいところです。ただそれでも暗黒時代を乗り越えて以来、精神的にはポジティブですし、家業に入って良かったと心から思い口に出すことができています(会社員だったら良かったと心から思う時もあります)。

でも暗黒時代に這い上がるきっかけがなかったらどうだったでしょうか。多分転職したほうが幸せになったのだと思います。その先に「逃げた」という負い目が残るかもしれませんが、それでも自分の精神が悲鳴を上げていて逃げ場がない環境にずっと身を置き続けるよりは絶対に良いです。星野リゾートの星野さんのように一度家業を離れてまた入り直したという方も結構いらっしゃいます。あるいは家業以外のやりたいことが見つかったというケースもあるでしょう。アトツギだろうがなんだろうが一番大切なのは自分と自分の家族の幸せですから、潰れそうになったら迷わず逃げちゃいましょう。

でももし逃げずにもがき続けることを選んだ場合、その先にはきっと違う景色が見えるというのも間違いありません。今僕は経営者としてもがいた先にもっと違う景色を見たいと思っています。

最後に、文中で触れた「自分のアイデンティティを見つける」というワークショップ(今は「リーダーシップの旅」という名前)が来年2月に初めて東京で開催されるそうです。

もちろん参加した人がすべて僕のように「あれで人生変わった」レベルの衝撃を受けるわけではなく、参加後の感想は当然濃淡が出ます。ただアイデンティティの確立に苦労しがちなアトツギさんとの相性は特に抜群だと身をもって証明しましたので、以前の僕のような悩みを抱いている方には本気でおすすめします。もちろんそれ以外のすべての次世代リーダーにも無駄になることはないはずです。
僕もこの次の3年のビジョンを描くために日本出張の予定を合わせて二度目の参加ができないかなと今から考えています。一緒にワークできたら良いですね。


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