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シンクの神事

暫く一緒に暮らしていた姪っ子が出て行った。

子どもが無い身の無駄な責任感なのか、柄にもなく、これを機会に教えてやらねば……と要らぬ苦言を発したこともあったな、と思う。
自分の人生で得たしょうもない統計学を通して、よりよい人生を歩んで欲しい、などといつも考えていた。

逆の立場なら分かる。
分かる訳はないんだ。
同じような年の頃、わたしだって分からなかったのだから。

料理も本当はいろいろ教えたかったが、ヤツの機嫌の良さげな時、余裕のありそうな時……などと顔色をみているうちに、結局は2、3種類しか教えてやれなかった。
きっともうそんな機会もないのだろうな。

このあいだラジオを聞いていたら、上京する息子の為に好物だった料理の作り方を教えてやろうとしたところ、

「あ、Youtubeで見るからいいよ!」

……と呆気なく断られたという愚痴があった。

聞いてやれよ~。

何十年も経過してから、そういうことを後悔するもんなんだぞ!
情報とか技とかじゃなくてさ、気持ちとか思い出なんだよ!
……などと、ラジオの前で悶々とした。
まあ、言ったってわからないんだろうな。
忙しいんだろうな。

わたしが一番教えてやりたかったのは料理……というより台所の家事の〆、流し台の整え方だった。

若い頃、飲食店のバイトをしていたとき、ラストの流し台を清める時間がわたしは一番好きだった。それをいつも少し思い出す。

その店は食器洗浄機を使わない店だった。
高い食器もあったし、洗浄機を使う程の大きな店でも無かった。

深いシンクの底から山のように積まれた洗い物が少しずつ減っていく。

心や頭の中の汚れや黒ずみはどうしたって綺麗になりきらないのに、お皿や器はどんなものでも少し水につけるなどして洗えば、不思議と全て元通りの綺麗なものに戻ってくれる。
シンクの底の鎖を引き上げると、ゴボゴボといった音と共に汚れた水が吸い込まれて流れていく。
それが流れきるところを見ていた。
そんな時、自分の今日一日の様々な感情も疲れも、何だか少し流れていった気がした。

そんな若い頃のことを思いだす。

シンク用の粗いスポンジで、中を磨き上げ、水しぶきを上げ乍ら洗い清める。
そして、最後に台拭き用布巾を濡らしてから、その上に洗剤で小さく丸を描く。

○ マル

目標は全肯定。
他人にも、様々な感情にも、自分にも。

腰をいれてゴシゴシと力いっぱい布巾を洗い清める。

どうか、家族が健康でいられますように。

余計な水滴を全て吸い取り、終える。
これは台所を任された者が行う神事だと思っている。

いい家庭をつくりなよ。

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