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人間関係の時差が好き
こんにちは。のもとです。「誰でも全力でやれば80点の人生にはなれるよ」をモットーに自分自身の思考や行動をこちらのnoteで発信しています。
どんな人間関係にも「時差」があると思っています。
出会って、すぐに意気投合しても時間がたって「あれ?なんか違うな」という違和感を感じたり、最初は変な人って思った人が「案外良い人だった」なんてことを皆さんも経験したことがあるのではないでしょうか。
だから私はすぐにあって「友達」「仲間」、さらに「親友」という言葉を簡単に言う人とは「慎重に」付き合うようにしています。
これらの発言には好意が含まれていますが、実はそれ以上に「期待」が込められていると感じるからです。
「友達なんだから・・・」
「親友だと思っていたのに・・・」
こんなセリフは、価値観が近いと自分自身が錯覚して、「過剰な期待」をするからこそ出てしまう発言です。
尊敬していても、時にがっかりすることもありますし。
一緒にいたら楽しくても、仕事をするのはこの人は無理だなって思うこともあります。本当に人間関係って「ここから」だと思うんです。
がっかりしても、ちょっと相手にモヤっとしても、それでも時間が経って関わりが継続したその先に「ああ、この人って私にはない魅力があるな」と感じたり、本当の意味で尊敬できたりします。
だから、言葉は難しく、言葉に引っ張られた感情や期待は避けるべきだと思うんです。
少し話はズレますが、私の両親は共に今年70歳になりました。
沢山の夫婦喧嘩も冷え切ったような関係も(笑)見てきましたが、最近「ああ、夫婦ってこんな感じなのかもな」って思います。娘の私が言うのもおかしいですが、尊い関係だなと思うのです。
お互い歳もとって、身体も少し不自由になって、言っていることもちょっと子供じみていて、それでも楽しそうに笑っているのを見ると、夫婦って究極の人間関係の形だなと感じます。
そんな相手がいない私は語る資格はないですが、友人でも仕事関係でも本当に「親友」「仲間」という言葉はまだまだ私には早そうです。
相手にとっても自分にとっても「過剰な期待」は避けたいものです。
人間関係は時差を愉しむ。
愉しめるようになって、初めて見えてくる人柄があると思うのです。