好きとファン

はじめに

皆さんには好きなものはありますか?まあもちろんあると思います。おそらくこの世の大半の人々には自分の好きなものがありますよね。「何にも興味が無い」というような人もいるのはいると思いますが、その人にも気晴らしにすることの1つくらいあると思います。その場合も今回は広義の「好き」に含めて話をしていきたいと思います。
そもそもの話をすると、noteを読んでる時点で趣味やなんやらはあると思うのですが、まあいいや。
今日はそんなお話。僕の思考を垂れ流すだけなので、多分ですがまとまりのない文章になると思いますが何卒。

好きとは?

まずは大前提の話からしていきましょうか。
「好き」ってなんだろう?って話です。好きって色々ありますよね。好きな食べ物、好きな本、好きなグループ、好きな場所、好きな人、、、などなど。じゃあ次に、それらの共通項を探してみましょう。

僕の場合(というかほとんどの場合)、「それに触れていると良い気分になる」だと思います。好きな食べ物を食べれば勿論美味しいし、好きな本を読むと楽しい、好きな場所にいると落ち着く。当たり前ですよね。

好きの乱用

僕はアニメとかVtuberが好きなので、それに当てはめて考えてみたいと思います。
「好きなアニメは?」と聞かれたらいくつも挙げることができます。するとたまにこういうことを聞いてくる人がいます。
「その中で本当に好きなやつは?」
僕はその質問の意図が分かりません。「好き」に本当も嘘もないだろう。こいつは何を言っているんだ。と思います。
勿論彼が言いたいことは分かります。しかし意図が全く掴めないのです。なぜ彼は他人の「好き」に順位をつけさせようとするのか。

ある時友人が言っていました。「好きなんだけど、それに関する知識が浅いせいで好きって言っていいのかわからない」
これを聞いた時、僕はゾッとしました。彼女は自分の知識の浅さではなく、知識の浅さから来る他人からの批判に怯えていたのです。
よくいますよね。「その程度の知識で〇〇を語るな」とか言ってくる厄介オタク。本当に嫌いです。そんなんだから新規が逃げていくんだよ。おっと失礼。文が乱れてしまいました。

つまり僕が何を言いたいかというと、「好き」を軽率に使っていって欲しい、ということです。1回しか行ったことがなくても美味しかったらその店が好きでいい。アニメを途中までしか見てなくても、その作者の本を全作品読んでいなくても、世界観が気に入ったら好きといっていい。「好き」を乱用してほしいんです。ツイートにいいねを押す感覚で。これツイ廃にしか伝わらんか。他人を気にして自分の「好き」を発信できない世の中であって欲しくないと思います。

好きとファンの線引き

前章では、「好き」という感情についての僕の考えを述べさせてもらいました。今までと違ってかなり固めの文章になっていることは重々承知していますが、もうしばらくお付き合いを。

ではここからは、そこに「ファン」という要素を加えて考えていきたいと思います。
先ほどの「軽率に『好き』を使って欲しい」という発言と若干矛盾するところがあるかもしれませんが、僕は「ファン⇒好き」という構図は成り立っても、「好き⇒ファン」という式は不成立だと考えています。これなんていうんでしたっけ。必要だか十分だかやりましたが、そんなものはとうの昔に共通テスト受験会場に置いてきたので知りません。

どういうことかというと、好きにも段階があるんじゃないかな、みたいなことです。分かりやすく言うと会員レベルみたいな感じ。
これを測る基準として、様々な要素がありますよね。例えば好き歴。例えば知識量。例えばつぎ込んだ金額。金額に関しては社会的地位がもちろん大きく影響してくるわけですからあまりしっかりとした指標にはなりえないのですが、まあ一定の指標とみても良いでしょう。
これらが色々と混ざり合って「好きレベル」というのが形成されるのだと思います。ここまでは無意識のうちに皆さんが他の人をこういう風に見ているんじゃないかな、という紹介。

ここからは僕個人の考えです。
先述の「好きレベル」が一定以上に達するとファンって呼んでもいいんじゃないかな、と。もちろん、推し始めてから短いけどどっぷり浸かってる人、古参やけどゆるーく推し続けてる人など、色んな人がいらっしゃると思いますので、明確に「ファン」を定義するのはやめておきましょう。僕の独断になってしまっても良くないですしね。
そんで、ここでいうところの「好きレベル」が高い人=ファンが偉いというわけじゃないんですよね。金をより多く使っているから偉いんじゃないんですよね。そんなこと分かってるよ!なんて声が聞こえてきそうなもんですが、本当に分かってますか?
もう一度釘を刺しますが、同じものが好きな人の間に優劣は存在しません。生活を投げ打って推しにつぎ込んでいても、それはあくまで1ファンなんです。あくまで呼び方に違いがあるだけで、「あるものが好きな人」と「あるもののファン」の間に差はない、というのが僕の考えです。オタクは度が過ぎたファンという風に考えるのが無難でしょうか。

おわりに

長々とお付き合いいただきありがとうございました。理解している方には釈迦に説法だったかもしれません。しかし、僕は一時期そのようなことで悩んでいました。好きではあるけどメンシに入るのは躊躇われるしグッズも買ってない、ライブにも参戦してない。これでも好きですって言っていいんかなって悩んでました。もう大半の方は気づかれていることと思いますが、これは主にVtuberリスナーに向けて書いたものです。もしかしたら同じような悩みを抱えている学生リスナーがいるかもしれないと思い、誠に勝手ながらこの場を借りてお気持ち表明をさせていただきました。
いかんせん難しい言い回しが苦手なもんで、その分簡潔に言いたいことを述べられたかな、という感想です。同じことを言い換えてずっと言っていたような気がしますが、どうでしょうか。少しでも感じるものがあっていただければ幸いです。
この文章では、「相互理解」をテーマにしています。同担の間でのいざこざや金額差別(たぶんないとは思いますが)、違う箱同士で謎に敵対視しあっていることなど、SNSやインターネットに触れていると問題は温泉のように絶えることなく湧き出てきます。しかしこれは相互理解、つまり互いを尊重することである程度抑制できると考えています。そういうことです。はい。
じゃあいい加減終わりますね。次回以降もよしなに。ほな。

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