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トリフィド前夜のはなし


星座まで行けるよ


5月21日(日)文学フリマに出ます!
デザインフェスタにて販売したZINE、3年前に出した短歌集とポストカードを販売いたします。


死ぬなら最後にどんな景色が見たいだろうか。

「最後の晩餐」なんて言葉があるのだから、「最後の景色」というものがあっても良いと思う。
死ぬまではいかずとも、もうすぐ目が見えなくなるというその時に見るならどんな景色がいいだろう。
その先もずっと生き続けるのであれば、一生忘れないものがいい。
網膜の裏に、脳裏に焼きついで離れないようなそんなものがいい。

愛する家族や恋人、友人の顔だろうか、と考えて私は首を振る。

この先も変化していくことを知っているのに、その時のことだけを覚えていて取り残されるのなんてごめんだ。
触れて変化がわかるのであればなおのこと。
目の前から消えるわけではないと自惚れて良いのであれば、私は別のものがいい。

手塚治虫の「ブラックジャック」に「目撃者」という話がある。

あらすじ

新幹線のホームで時限爆弾が爆発する。売店の女店員がその犯人を目撃していた。けれど彼女は爆破のさい、両目を失明していた。警察は容疑者の面通しをさせるため、B・Jに眼球の移植を依頼する。しかし眼球移植は成功した例がなく、成功しても5分でまた見えなくなってしまうことをB・Jは知っていた--。

https://www.akitashoten.co.jp/special/blackjack40/39

結局手術は成功し、彼女は5分だけ視力を取り戻す。
失われゆく視力で最後に見たのは、なんでもない外の景色だった。

だんだんぼやけてきたわ さよなら光さん

彼女はこの景色を一生忘れないだろう。
この光を、一生抱いて生きるのだろう。



本に使用している写真を撮ったのは約5年前、2018年1月22日月曜日。
この日付をGoogleで検索すると、一番にサジェストされるのは「大雪」というワードである。
2014年2月以来、4年ぶりに東京で20cmを超える積雪を観測するなど記録的な大雪となった日。
過去10年では2014年に次いで2番目に降雪量が多く、これを越える大雪はこの5年東京では観測されていないそう。
アンナチュラル全盛期。米津玄師のLemonが街を席巻し、ポプテピピックのアニメが放映されていた年。

その日はのちに新卒で採用してもらう会社のインターン初日だった。
午前中にある程度の研修を受け、お昼にプロデューサーの方にイタリアンに連れて行ってもらい大人の仲間入りをした気分もつかの間。
降り出した雪は、あっという間に品川の海岸を灰色に染めていた。
「電車が止まってしまうから帰りなさい」
おいしいところだけを頂き、私のインターン初日はあっというまに幕を閉じた。 雪が降っただけで帰らせてくれるなんて、私ってばまともな会社を引き当てたんじゃないかしら。
(インターンを2年続け鳴り物入りで入社した結果、中途半端な信頼で社内の面倒人事をすべておっかぶされ半年で退職するのはまた別のお話)

すでにぐじゅぐじゅの道路を踏みしめ、山手線の駅に向かう。
電車には同じように帰宅命令を出されたサラリーマンたちが電車にすし詰めにされている。 良いのか悪いのか。
会社でもらった参考図書を開く。なんとなく企画クリエイティブの仕事をしたいと思っている人へ。普段の生活からヒントを見つけること。常にアイデアメモを書くこと。なんで?と問い続けること。
美大生の自分が普段からやってきたことがそのまま書かれており、それが正しかったと背中を押されたよう。
電車に詰め込まれたサラリーマンと本を交互に眺めながら、頭の中でいろんな企画を巡らせる。気分はすっかりプランナーだった。

結局電車は一駅ごとに5分~10分ほど止まり、もともと1時間半近くかかる予定の帰路は2時間半を越していた。

雪は降り続く。
こんなに雪が降ることは本当に珍しいのだ。自然と笑顔が浮かぶ。
父が台風や豪雨の日、喜び勇んで車を走らせに行く気持ちが少しだけわかる。非日常にどうしたってワクワクしてしまう性分なのだ。

13時過ぎに会社を出て、家に着いたのは16時過ぎ。
真冬の夕陽は落ち始めていた。

家に帰って一番最初にしたことは、カメラの充電の確認。
濡れた服を着替え、厚手のタイツの上にズボンをさらに重ねる。
こんな機会を逃すわけにはいかないと、本能で感じていた。
コートに財布とスマホを突っ込み、カメラを首から下げる。

散歩してくるね、写真撮ってくる。
母に告げると、驚きと呆れの混じったような表情を見背て送り出してくれた。

人通りはまばらで、みんな下を向いて歩いていた。
空から舞う雪を見ているのは、上を向いて歩いているのは私だけ。
まるで雪が悪いもののようだ。こんなに綺麗なのに。

この大雪で、商業施設はどこも早仕舞い。私がバイトしていたコーヒーショップもその例にもれず、普段は営業しているはずの時間だったがシャッターが降りていた。
向かいにあるドトールはやっていたので、ホットココアをテイクアウトする。

たくさん雪が積もっているところに行きたいと考え、ココアを片手に広い公園に向かう。
雪だるまを作っている家族でもいるかと思ったが、誰1人いなかった。
20分ほど歩いたが、すれ違ったのは10人に満たない。
みんな家にこもっているのだろう。
ましてこの雪の中、公園に来る人もいないのだ。
雪だるまは雪が止んだら作りに来るのだろう。もったいない。

今が一番綺麗なのに。

誰かが自転車を引きずった跡

この時が一番降雪がひどかったように思う。
傘もささずに歩いていたので、頭も肩もカメラも雪まみれ。
レンズが汚れて、フラッシュを焚いた痕跡に雪が混じるようになってきた。

30分、1時間弱くらいその公園で写真を撮り続けた。
寒さは感じなかった。無心でシャッターを切り続けていた。
周囲に誰もいないのをいいことに、「すごいすごい」とはしゃぎながら撮っていたことを覚えている。

はしゃいだ痕跡

上がる息、心臓の音。それすらも雪に吸い込まれてしまいそうだった。
カメラを下ろして、目の前を見据える。
あたりは真っ暗闇。そこに白い雪。
民家の明かりはまるで見えず、なんの音も聞こえない。

なんの音も、聞こえない。

世界が終わるみたいだ。

誰もいない白銀の世界で一人ぽつんと立ち、そう思った。
この景色を、寂寥感を、興奮を、一生忘れないと思う。
忘れないために写真を撮りにきたのかもしれない。

世界が終わるなら、最後に見るならこんな景色がいい。
こんなに美しいのであれば、世界の終わりも案外悪くない。

「トリフィド時代」というSF小説がある。

ある夜、緑色の流星雨が流れ、世界中の人々がその天体ショーを目撃する。歩行する食用植物「トリフィド」の栽培場で働いていたビル・メイスンは、トリフィドの毒を持った鞭で目をやられて治療のために入院して目を包帯で覆っていたため、流星雨を目撃しなかった。その翌日はビルの包帯が取れる日であったが、朝に起きて周囲の様子が違うことに気が付いた彼は、自力で包帯を取る。流星雨を見た人々は皆、盲目となっていた。ビルは、誰も目が見えず絶望に覆われたロンドンの街を歩き始める。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%89%E6%99%82%E4%BB%A3

美しい流星雨を見なかった主人公は、代わりに惨状を見ることになった。
美しい流星雨を見た世界中の人々は、世界の終わりを目にしなくて済んだ。

たとえ自分の身になにが起こっているかわからないまま死んだとしても--美しいものを最後に見て、現実を見ないで死ねたのならある種幸福なのではないだろうか。
生きさらばえることが必ずしも幸せなことだと私は思わない。

死ぬのが嫌だと思いながら、死なないために生きている。
死なない程度にご飯を食べ、死なないためにお金を稼いでいる。

死ぬのは嫌だ。醜く腐ることも、骨になるのも、なにも考えられなくなるのも。苦労のない穴がそんなにいいだろうか。穴になにがあるというのだ。
そうやって、駄々をこねながら生にしがみついている。

いくら駄々をこねたって、死ぬときは死ぬのだ。
そしてそれはいつか必ずやってくる。

「ああ、こんなに綺麗なら死んでもいいかな」
それは一種の満足である。満たされて一生を終えたいものだ。

どうせなら綺麗に終わってくれ、世界。

そんな思いで作ったZINEです。
文学フリマで販売します。

何卒よろしくお願いいたします。


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